“私”はなぜカウンセリングを受けたのか―「いい人、やめた!」母と娘の挑戦
- 作者: 東ちづる,長谷川博一
- 出版社/メーカー: マガジンハウス
- 発売日: 2002/11/01
- メディア: 単行本
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東さんはテレビで見るキャラクターとは違い、実は複雑な内面を抱えていたのだそうだ。ある時自分はアダルト・チルドレン(AC)ではないか、ということに気づき、さらにそれは母親、さらに祖母から受け継いだものだと感じてお母様と一緒にカウンセリングを受けようと決意したという。この本はそのカウンセリングの記録である。
この本を読んで私もアダルト・チルドレンなのかも、と思った。ここまで複雑ではないかもしれないが、親にしつけとしていろいろ強制されたことは多い。のびのびと子どもらしく育ったとは言えないかもしれない。この悲劇は親には自覚がないということだ。よかれと思ってしたことが子どもの首を絞めてしまう。
東さんは着物のデザインも手がけている。ペンギンのデザインに込められたメッセージというのに心打たれた。
ペンギンは鳥なのに、飛べない
でも、泳げる
飛ぶように水中を自由自在に
ほめられなくても認められなくてもいい
それも、ワタシの幸せ
(中略)
いかに私たちは幼い頃から“承認されること”“ほめられること”を要求されてきたか、と改めて思う。いい点を取らなきゃ、いい会社に入らなきゃ、そして、結婚しなければ、うまく子どもを育てなければ、孫を見せなければ……まるでそれこそが自分の役割であるかのように。
誰だって、ほめられれば嬉しいし、自分の存在価値が認められたような気になる。でも、ほめるのは、認めるのは、一体誰なのか。親、教師、友人、上司、同僚といった世間、みんな……。一体、何人以上からが「世間」や「みんな」なのだろう。そして、その正体は何なのだろう。
「世間というのは勝手なもんだ。良い時は、右にならえで皆いい顔をする。同じ言葉でほめたたえる。しかし、ひとたび逆境に陥ると、それ見たことか、いつかこうなると思っていた、と言わんばかりに嘲笑う。しょせん、他人の不幸は蜜の味、それが世間なのだ」
これは、私が「世間」に依存していた頃の思いだ。わが身にスキャンダルがふりかかり、ワイドショーなどが騒いだ時に痛いほど思い知らされた「世間」。しかしそれは、私が自分よりも世間にすがるあまりに、その世間にしっぺがえしをくらうのが怖かっただけなのだと思う。依存を裏返すと恨みが生まれる。愛憎は背中合わせにある。
今の私は、こう思っている。
「世間というのはお化けのようなもの。いると思うといるし、いないと思えばいない。いたずらに怖がる必要はない」
「世間」とか「みんな」は、実体のないマジョリティなのだ。ほんとうは誰もが分かっているのではないだろうか、そのお化けは自分の心の奥底に住んでいるということを。
だから東さんはがんばれと言わないのだそうだ。がんばれがんばれと言われ続けて疲れ果てている子ども達が多いから。そして、キレる子供が増えているのもいい子になるよう強要されているからだという言葉にはとても説得力があった。
たぶん私もいつも「いい子」「いい人」の仮面をかぶってきた。でも、この本を読んだらそれをやめてみたくなったのだ。いつでも素のままの自分でいられたら、気持ちいいだろうな。