毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

100パーセントの責任を持つ☆☆☆☆

4569697380あなたを成功と富と健康に導く ハワイの秘法
ジョー・ヴィターリ/イハレアカラ・ヒューレン博士
PHP研究所 2008-07-02
価格 ¥ 1,470

by G-Tools
ハワイに伝わる問題解決のプロセス「ホ・オポノポノ」。それを現代版にアレンジした「セルフ・アイ=デンティティー・ホ・オポノポノ(SITH)」の手法を説明する本だ。共著になっており、自己実現に関するたくさんの本を出しているジョー・ヴィターリがこの手法に興味を持ち、それを確立したイハレアカラ・ヒューレン博士を捜し当ててその教えを受けるという流れがそのまま載っている。
ハウツーものとしては変わった形だが、はじめの頃半信半疑だったジョー・ヴィターリの気持ちがだんだん理解して信頼に変わっていく様子がよくわかり、読む側も受け取りやすいと思う。

それもそのはず、メソッドとしては荒唐無稽としか思えないからだ。
やり方はとてもシンプル。

  1. 愛しています(I love you.)。
  2. ごめんなさい(I'm sorry.)。
  3. どうか許してください(Please forgive me.)。
  4. ありがとう(Thank you.)。

これをひたすら唱える。それだけ。
ヒューレン博士は、ハワイのある刑務所に心理学者として勤務した際、精神障害を持つ犯罪者たちを、その誰ひとりとも一切専門的に接することなく、この手法を使って監房全体を治癒したのだという。ジョー・ヴィターリがはじめに興味を持ったのはこの逸話を聞いたからだった。

そんなことで治るわけがない、と思うのが普通だろう。私も何年か前にこの話を友人から聞いたことがあるが、「世の中にはすごい人がいるなあ」と思っただけで終わってしまった。
少し前にクライアントさんからこの本のことを聞き、図書館で予約したのがやっと借りられたので読んだのだが、読んで初めてこれはすごい手法だと思った。

鏡の法則」と基本的な考え方は同じだと思う。目の前に何か問題があった時、それは自分の外に問題があるのではなく、自分の中にあると考える。だから、それらを変えるには自分自身を変える必要がある。そのために上の4つの言葉を唱えるのだ。自分を浄化すると外にあるように見える問題も浄化される。
つまり、ヒューレン博士が刑務所で行ったことは、犯罪者たちの問題を自分のことととらえてことばを唱え、その結果彼らに変化が起きたということだ。

また、さまざまな問題は自分の「記憶」が引き起こしていると考える。価値観や無意識からわき起こる行動プログラムなどがこれにあたる。これらをきれいにすることで、問題は起きなくなるという。


いきなりこの本を読むと面食らうかもしれないが、私自身はいろいろと勉強してきたことがこの本を読んで一気につながったと感じた。今までバラバラだったピースがピタピタとはまってジグソーパズルが完成したような感覚だった。シータヒーリングとも近い考え方があるし、ホメオパシーの学校で学んだことにもよく似ている。そのくらい、普遍的なメソッドだろうと思う。

私が思うに、この手法のカギは「自分の人生に対して100%の責任を持つ」ことだと思う。本当にすべてのことが自分の中から起きていると確信し、それに100%の責任を持てるかどうかがすべてを決める。もちろん、生身の人間がいつでもそうあることはむずかしいが、常にそれを意識できればこの手法は誰にでも使える平易なものにもなり得る。

説明が舌足らずで申し訳ありませんが、興味のある方はぜひ読んでみてください。内容をうまくまとめた個人ブログがありましたので、リンクしておきます。
ゼロ・リミッツ*1(アウワの残響)

以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。

問題はそれらにあるのではなく、自分にある。

だから、それらを変えるには自分自身を変えねばならない。
理解しようとしても無理だ。黙って受け入れるか、現実を生きるしかない。責任を完全に果たすよりも文句を言う方がはるかに楽だ。ところが、ヒューレン博士と話しているうちに、彼の言う癒しと<ホ・オポノポノ>の精神が自己愛を意味していることに気づき始めた。人生を改善したければ人生を癒さなければならない。誰かを治療したいのであれば、その対象が精神的に病んだ犯罪者であろうと、自分人を癒すことによって治療を行うのだ。

ヒューレン博士の教えは、絶えずすべての思考をクリーンにすることによって、

霊感・記憶を問わず、その場その場の正しい選択が可能になるというものだった。
私は次第に、私の減量が「食べる量ほど運動をしない」という記憶、もしくは習慣に従わないことを選択した結果だと考え始めるようになった。習慣に耽溺する衝動に背を向けることによって、私は自由意志、もしくは意志に背く自由へと踏み込んだのだ。言い替えれば、過食衝動とは記憶であって霊感ではなかった。予定(プログラム)がもたらしたもので、神格から来たものではなかった。私は予定(プログラム)も、それをくつがえすことも無視していたのだ。ヒューレン博士が示唆する寄り好ましいアプローチから私が得たものは、解放の時が来るまではそのプログラムを愛することであり、その後に残るのが神格だということなのだ。

モーラ・ナラマクー・シメオーナの祈禱文

神聖なる創造主よ、父よ、母よ、子よ……もしも私、私の家族、親類、子孫らが、汝を、汝の家族、親類、子孫らを、ここに至る我らが創造物の始まりより来る思考、言葉、出来事、行動において傷つけたならば、願わくば許したまえ。
すべての否定的記憶、障害、エナジー、動揺、これを洗い清め、浄化し、解放し、切り去り、そしてこれら望ましからざるエナジーを純なる光に変えさせたまえ……かく成されたり。

100パーセントの責任

「しかし、どうしたら私は人々に伝えられるのだろうか――すなわち、我々は問題に対して100パーセントの責任があるということを」彼は問いかける。「問題を解決したければ自力でやるべし。他人の問題なら、さしあたっては自分自身に訊いてみるといい。『自分の中では何が起こっているんだ?この人に煩わされている自分っていったい何なんだ?』と。だいたい、人っていうのは会うたびにろくなことがない!それがわかっていれば状況は打開できる。どうやって?簡単だ。『何が何だかわからないけどごめんなさい。どうか許してください』」

完璧なる責任とは

すべてを受け容れること――あなたの人生に割り込んできた人々や彼らの問題さえも。なぜなら、彼らの問題はあなたの問題なのだから。それはあなたの人生の内にあり、あなたが自分の人生に100パーセントの責任を負う限り、彼らが体験したことについても100パーセントの責任を負わねばならないのだ。

*1:この本の原題です