毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

受け止め方で幸/不幸が決まる☆☆

小林正観さんの本を読むのは初めて。スピリチュアル系の本や話には必ずと言っていいほど登場される方なので、一度は読んでおきたいと思っていた。
図書館で予約したら一度に2冊来たのでまとめて読んでみた。

406214929X「人生を楽しむ」ための30法則
小林 正観
講談社 2008-08-28
価格 ¥ 1,500

by G-Tools
406213487X楽しい人生を生きる宇宙法則
小林 正観
講談社 2006-06-16
価格 ¥ 1,500

by G-Tools
小林さんの著書はたくさんあるが、上の「『人生を楽しむ』ための30法則」は去年出版された比較的新しい本。下の「楽しい人生を生きる宇宙法則」は今までの本から抜粋し、加筆・修正したものだ。

読んで思ったのはとても「日本的な世界観」ということだった。特定の宗教の話は何もない*1のに、日本人なら何となくわかる、すっとなじめるものの見方、とらえ方だなあと思った。すべてのものに神が宿ると考えて敬う、その感覚に近いような気がする。


私が一番感銘を受けたのが「幸せという名の現象が存在するのは、『私』が感じたときだけ。」という言葉。すべての人に共通する「幸せ」、絶対的な幸せというものはない、ということに驚いた。確かに、人によって幸せは違う。Aさんが幸せと感じることが、私にとって幸せとは限らない。

「私」が幸せと思ったら幸せ。隣の人にとってそれが幸せなのではなく、全部「私」がそれを決めるのです。
今、目の前にある現象が来たとする。この現象について私が、
「あ、嫌なことだ、不快なことだ、イライラする」
と思ったとします。思った瞬間にこれは嫌なこと、不快なことになります。では、「私」がそう思わなかったら、この現象はただ通り過ぎるだけのこと。
ある現象が次に来たとする。そのときに「私」が、
「あ、楽しい」
と思ったとします。その瞬間にこれは楽しいことになります。「楽しい」と思わなかったら、これはただ通り過ぎるだけのことです。では、「私」が全部決めている、ということになります。幸も不幸も、勝ちも負けも、成功も失敗も、敵や味方も、全部自分が決めている。「私」がそう決めなければ、敵も味方も、成功も失敗も、勝ちも負けも、幸も不幸も全部宇宙には存在しないのです。
〜「人生を楽しむ」ための30法則より〜

これを知っているのと知らないのとでは、何か困難と思われる状況に遭った時、まったく変わってくると思う。いいことを教えてもらった。


ただ、小林さんの根幹をなすもうひとつ、「人生のシナリオは、自分が生まれてくる時にすべて決めてきたから変えようがない」という考え方はあまり受け入れたくないな、と感じた。まったく変えられないと思ったら、私のような人間は厭世的になってしまいそうだからだ(頭のいい人は意味を正しく理解して、そんな風にならないんだと思いますが)。
以前読んだブライアン・ワイス博士の「未来世療法」では、これとまったく逆のことを書かれていたので、私はそのスタンスで行こうと思う。


以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。

〜「楽しい人生を生きる宇宙法則」より〜

日常生活がものを言う

実は人間の本当の価値はそういう時にこそわかる。すべてが順調で、睡眠も足り、人間関係もうまく行っている、という時にニコニコしているのは誰でもできます。本当の価値が問われるのは、誰でもがイライラして怒鳴ってもおかしくないような時、それでもニコニコしていられるか、穏やかでいられるか、が、その人の本当の価値を決めるような気がします。

宇宙から素晴らしいメッセージをもらったら、人に伝えることもさることながら、まず率先して自ら「実践」すること。続けていれば、周りの人が必ず「どんな時でもほほえみを絶やさないあなたを支えているものは何か」と聞いてきます。その時こそ思いの丈を存分に話してください。
ジッセンジャーから発せられる言葉には力が宿ります。「ジッセンジャー」ではない単なる「メッセンジャー」(伝えるだけで実践しようとはしない人)の言葉には力が宿りません。

〜「人生を楽しむ」ための30法則より〜

正しいか正しくないかを基準に人を怒ることはしない

いけないとか間違っているということを誰が決めるのでしょうか。
宇宙にはそういう基準がありません。「私」が決めているだけです。「私」が人に迷惑をかけてはいけないと思うのだったら、「私」の基準でそれをやっていってもいいけれど、その基準を人に押しつけない方がよいと思います。

力を抜いて、楽しい方を選ぶ

どちらが正しいからこう生きなさい、というのではありません。自分にとって人生はどちらが楽しいのか。何が正しいかを問いかけるよりも、「私」がどう生きるかだけを考えて生きる方が楽しいのではないか、ということです。
人間は自分が自分に対して厳しいと、人にも厳しくなってしまいます。他人に寛大になるために、どうしても必要な条件、それは自分に甘くなることです。自分が心地よい生き方をすると、他人にも優しくなれます。

目の前の現象について論評評価する必要はなく、

「私」がどう生きるかだけを考えればよい。

人生の後半生は、こだわりや執着を捨てていく作業の過程

若さや美しさ、体力、気力に対するこだわりの心を捨てていく。
人生の後半生で執着を捨てる心が強ければ強いほど、人生が楽しい。向かい風がなくなるからです。

ドイツの文豪・ゲーテの言葉

人間の最大の罪は、不機嫌である

*1:お経やお釈迦様の話は出てきますが、「信心する人」としての言葉とは少し違うと観じたので