「場の空気」が読める人、読めない人―― 「気まずさ解消」のコミュニケーション術 福田 健 PHP研究所 2006-06 価格 ¥ 735 by G-Tools |
また、よくない例がたくさん出てくるが、これがひとつやふたつは誰でも身につまされるものがある。私も、いいと思ってやっていたがまったくの勘違いだった、と気づくことがいろいろあった。自分の欠点を直視するのは辛いが、今後のために知っておくといいと思う。
この本で一番耳が痛かったのは、次のくだり。
「話したことの意味を決めるのは、話し手ではなく、聞き手である」
意味の決定権は聞き手に握られているのである。話し手は、ともすれば、自分の話したことはその通り相手に伝わるだろうと思いがちだ。
(中略)
だが、どう受け取るかは聞き手が決めるのであって、聞き手の権利なのである。話し手にとって聞き手とは、自分の思い通りに話を聞いてくれる相手ではない。聞き手の思い通りに話を聞き、意味を決定する存在なのである。
このことから、コミュニケーションというのは実はかなり不毛なものだということがわかる。それをわかった上で、じゃあどうするか、ということだ。理想や幻想を追い求めるのではなく、伝わらないものだ、という現実を踏まえて話をする。それがコミュニケーションをする時に大切なのではないか、という気がした。
以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。
好意を押し売って相手を怒らせる
言葉で言うほど、人を思いやるのは簡単にできることではない。実践が伴わないと、「思いやり」という好ましい言葉だけがひとり歩きしてしまう。その結果、思いやりのつもりが、単に自分のこだわりだったり、ひとりよがりの思いやりだったりすることも少なくない。本人は思いやりのつもりだから、相手のとまどいや迷惑に気づかない分、場の空気にも鈍感になる。
フランスの哲学者アラン*1の言葉
「悲観は気分、楽観は意志」
落語家・古今亭志ん生の言葉
人の噺を聞いてみて「こいつは自分よりまずいな」と思うと、自分と同じぐらい、「こいつは自分と同じぐらいだな」と思うと、自分より向こうの方が上なんですよ。
*1:『幸福論』の著者