毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

“慇懃無礼”な対応のわけ☆☆☆

著者は大学で日本人学生・外国人学生双方に日本語を教えている人だ。それだけに日々刻々と変わりゆく日本語、特に敬語に対する感度の高さと危機感はかなりのものだ。
まず、ここまできちんと敬語を理解している人*1がいるということに感嘆した。完璧だ。それだけに、“何となく気持ち悪い”日本語に接するたびに自分の中に増えていくもやもやした感覚をスッキリ解消してくれる、痛快な本だ。「そうそう、それが言いたかったの」と思う。まるでかゆい背中をかいてもらったように。
トップバッターの「させていただく」を皮切りに、そこまで言わなくても、と思うような過剰な(と感じられる)、またはおかしな敬語が次々と登場する。その背景はいろいろだが、著者のスタンスは明快だ。「過剰な敬語を使いすぎて慇懃無礼になったり、日本語がおかしくなるのはやり過ぎじゃないですか」ということである*2。丁寧語だって敬語、相手を敬う気持ちがあれば失礼には当たらない。失礼のないように、と掲示や案内の文章までエスカレートする一方で、マニュアル敬語を丸暗記しているだけのため、マニュアル以外の言葉を必要とする時の対応のまずさや言葉だけが丁寧で気持ちが伴っていない場面が増えていることを指摘している*3


ここ数年、「お客様窓口」のようなところに出向いたり、電話するのに気が重くなった。それは、会社の規模や業種にかかわらず、とても感じの悪いところが増えたからだ。言葉遣いは丁寧なのに、ちっとも思いやりを感じない、そのギャップが嫌なのだ、ということにこの本を読んで気がついた。バカ丁寧な敬語を使いながら「こちらの窓口ではお受け付け致しかねます」とたらい回しにされたり、誰もお客さん(この場合は私ですが)の悩みを引き受けよう、という責任感が感じられないのだ。あれはマニュアル通りに暗記した、表面的な敬語しか使えないからだったのか。

著者もくり返し述べているが、敬語は丸暗記では使えない。応用がきかないからだ。それは、マニュアル接客の例としてよく挙げられる、ファストフード店で大量に商品を注文した客に向かって
「こちらでお召し上がりですか」
と聞くことと根は同じだろう。

この本をたくさんの人が読んで、そんなにバカ丁寧でなくてもいいから気持ちよく意思の疎通が図れる敬語がスタンダードになって欲しいと強く思った。

学校の先生なので、文章は硬くキッチリしている。重箱の隅をつつくような記述もちらほらある。第3章、特に「2方面への敬語」あたりで挫折しそうになる人が多いと思うが、そこを越えれば第4章・第5章は面白いのでぜひ最後まで読んでください。

*1:大学の先生なんだから当たり前なんですが

*2:途中ではそう思えないところもありますが、最後まで読めばわかります

*3:「させていただく」を連発する人たちが、実は「させていただきたがらない人々」であるように