中には「これ本当に茂木さんが書いているの?」と疑いたくなるような言い回しもある*2。その分ずいぶん読みやすくなっている。読者対象は10〜20代前半だろうか。
「セレンディピティ」とは少し前からよく耳にすることばで、私もブログで何回か取り上げている。茂木さんはこれを“偶然の幸運に出会う能力”と定義している。この本ではどうすればセレンディピティを高められるか、具体的にていねいに教えてくれている。
まずは偶然の幸運に出会うために外に出る。人に会う。とにかく行動しなければ偶然の幸運には出会えない。
次に、セレンディピティは実は「出会い」→「気づき」→「受容」とひとつのサイクルになっていて、1回で終わりではなく、それを回し続けること。
新しい何ものかに出会った時に、それを受け入れて、自分が変わることができる、つまり、「セレンディピティ・サイクル」を回せている人というのは、それだけで満ち足りているはず。そういう人って、自然に人を惹きつける。「出会い」→「気づき」→「受容」、これを繰り返していると、そのサイクルに自然に、他の人が巻き込まれてくるのである。
さらに、失敗をチャンスととらえる大らかさも大切。全部楽勝のことばかりなら脳のモチベーションが下がってしまうからだ。8勝7敗くらいの方が脳が学ぶチャンスも増える。
さらに、子供っぽさを大切にすることや、集中しすぎずに周辺視野を開き、脳の散歩*3をして切り替えるとよい、というのはさすが脳科学者のアドバイスだと思う。頭を柔らかくしておかないと、せっかく遭遇したセレンディピティも気づかずに見逃してしまう。
セレンディピティについて触れている本は多いが、今まで読んだ中では一番実践的でやってみる気にさせる本だと思う。
以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。
おばさんにならない!
私が考える「おばさん」の定義は、思ったことを何でも口にしてしまう人のこと。その言葉が他人にどう聞こえるかなどということには一切頓着せずに、心に浮かんだことを考えなしに何でもしゃべってしまう。私は、これを密かに、「無意識の垂れ流し」と呼んでいる。
フロイトやユングが明らかにしたように、人間の無意識の中にはいろいろな欲望があって、その中には暗いものも恐ろしいものもある。どんな聖人君子でも、どんな可愛い人でも、意識下に醜いものや恥ずかしいものを隠し持っている。しかし、そんなものを表に出すことはないのだ。
美は弱者の武器
弱く儚いものを守り、かしずき、奉仕するというのは、生物の脳の中に遺伝的に受け継がれている本能であり、「美」というのは、「弱さ」の究極の表現であるとも言えるだろう。セレンディップの姫*4たちに申し上げたいのは、自分の弱さを否定せず、他力を引きだすこともまた、セレンディピティへのアプローチだということであります。
(中略)
男女平等という、ポリティカルなレベルとは違ったレベルで、男女差に根ざした明らかな傾向というものが存在する。それは自足した状態、つまり、今の自分に満足し、自分ひとりで完璧に立っていられる女性には、ここで申し上げたような「弱者の美」は宿らないし、他人も容易に手をさしのべてくれないであろうということである。
グーグルCEO・シュミット博士の言葉
なぜ、そこまで他人の話を聞くことを重視するのかとたずねると、シュミット博士の答は明快だった。
「シンプルですよ!どんなに頭のよい人がいたとしても、その人ひとりの知恵よりも、多くの人の意見を集めた結果出てくる智慧の方が優れているからです。これは、もう、経験上間違いありません」
セレンディピティの高い人は、子どもっぽい人である。
いい意味での「子どもらしさ」を残している人である。だから、偶然の幸運に出会うために、「自分の中の子ども」を殺してはいけない。
脳の免疫系をゆるゆるにせよ
大物には、いい加減なところがある。それはつまり、脳の「免疫系」をどう働かせるかという問題でもある。私たちの脳には、異質なものを排除する働きがある。自分の感性に合ったものだけを取り込もうとするということは、つまりは異質なものを受容するだけの力が失われてしまっているということを意味するのだ。
美意識を貫くということは、別の味方をすれば自分自身を守っていることになりかねない。それでは、大物にはなれない。
あるクリエーターのハッとするセリフ
「周辺視野でなければ肝心なものは見えない――」
脳の散歩
ふだんの心と体の使い方とは違ったことをする。旅行に行くのももちろんそうだけれど、毎日の暮らしの中で、ささやかでもいいから、自分を解放する。そう考えればいろいろ楽しいアイデアが出てくるはずだ。
「継続する意志」を持つ
いくら時代の流れが速いからといって、めまぐるしく状況が変化するからといって、自分の時間やエネルギーを切り売りするだけではダメだ。絶対に揺るがない芯をもつこと。かけがえのない真実を抱くこと。それを「続ける」意志を持ち続けることで、脳と身体の中に蓄積されたものは、必ずやあなたならではの風合いとして「魅力の磁場」を作ってくれるでありましょう。
開高健の「ナース・ウッド」
開高が言う。「ナース・ウッドというものを知っているか?」ナース・ウッドとは、森の中で倒れて朽ちていく木のことである。自らは生命を終えるが、キノコが生える。苔が覆う。解体した組織が栄養分となり、土を潤す。河を流れる。
「あなたの人生に、ナース・ウッドはあるか?」と開高は問う。倒れてこそ生まれるものがある。弱者、敗者にやさしい言葉である。