毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

私って何?心って何?☆☆☆

池谷裕二さんといえば『海馬』での糸井重里さんとの共著*1のイメージが強いが、海馬研究の第一人者で、日本の脳科学者で一番ノーベル賞に近いとも言われているそうだ。
この本は、そんな池谷さんが母校・静岡県藤枝東高校で行った全校生徒対象の講演と、希望者9名に対する3日間の特別授業をまとめたもの。高校生相手の講義なので、わかりやすいかなと思って読み始めたが、やはり東大に行く人を輩出する高校なので理解力がとても高く、話がどんどん進んでいく。こっちがついて行けずに読み終わるのにずいぶん時間がかかった。

しかし、むずかしいわけではない。池谷さんは非研究者である高校生にもわかってもらえるよう、細かいところは省略したり、サンプルを用意するなどとても心を配っている。わかればとても面白い話だ。

というのも、私たちの常識を覆すような話が何度も出てくるからだ。不思議なタイトルだな、と感じる人も多いと思うが、読み終わるとそのタイトルの意味がよくわかる。私たちが考えているほど脳のしくみは実は複雑ではないし、「心」というものの理解がひっくり返ってしまうのだ。もちろん、脳科学者の考えをそのまま鵜呑みにする必要はないが、こういう考え方もあるんだな、というのがわかると視野が広がるし、ある意味気が楽になる。とても知的で刺激的な本だと思う。

噛みごたえはあるが、噛めば噛むほど味が出る。脳に興味がある人は必読です。


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以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。

つじつまを合わせる

一般に、自分が取った態度が感情と矛盾する時、起こしてしまった行動自体はもう否定できない事実ですから、心の状態を変化させることでつじつまを合わせて、行動と感情が背反した不安定な状態を安定させようとします。

直感は訓練によって身につく

直感は「学習」なんですよ、本人の努力の賜物なんです。直感は訓練によって身につく。そして、ちょうど私たちが自然に箸を持てるように、その理由は本人にはわからないにしても、直感は案外と正しいんだということになります。

正しさに基準はない

僕らにとって「正しい」という感覚を生み出すのは、単に「どれだけ長くその世界にいたか」というだけのことなんだ。
つまり、僕らはいつも、妙な癖を持ったこの目で世界を眺めて、そして、その歪められた世界に長く住んできたから、もはや今となってはこれが当たり前の世界で、だから、これが自分では「正しい」と思っている。そういう経験の「記憶」が正しさを決めている。

「自由意志」ではなく「自由否定」

手首を動かしたくなった時、確かに、その意図が生まれた経緯に自由はない。動かしたくなるのは自動的だ。でも、「あえて、今回は動かさない」という拒否権は、まだ僕らには残っている。
この構図は決して「自由意志」ではないよね。自由意志と言ってはいけない。「準備」から「欲求」が生まれる課程は、オートマティックなプロセスなので、自由はない。勝手に動かしたくなってしまう。
そうじゃなくて、僕らに残された自由は、その意志をかき消すことだから、「自由“意志”」ではなくて、「自由“否定”」と呼ぶ。
−−しないことをする……。
そうだね。僕らにある「自由」は、自由意志ではなく自由否定。「人は一生に1回くらいは殺意を覚えるもんさ」なんて、ホントかウソか知らないけど、そんなことを言う人がいる。でも、殺意を覚えるだけだったら犯罪じゃないよね。頭の中で思うだけだったら、罪には問われない。そもそも、そこに自由はなくて、勝手に脳がそう思っちゃっているだけだし。
ただし、その時に「殺人はダメだ」と自由否定の権利を行使しなかったら、つまり、殺してしまったら、それは犯罪だ。だから、殺人は有罪になる。
ということで、僕らの「心」の構造が見えてきたね。自由否定が鍵を握っているんだと。
子供は自由否定がヘタだよね。だって、友達のこと強く殴っちゃったりするでしょ。でも、大人になってくると、行動の衝動を「否定」できるようになる。いやいや、ここで殴っちゃいけない……と止まるわけだ。
あるいは子供は口も悪いよね。つい「おじちゃんハゲてるね」とか、「おばちゃんデブだね」とか言っちゃう。大人になるとそれをぐっと抑える。自由否定がうまくなる。大人でも、ハゲてる人を見たら、「あ、ハゲてる」って思うよね。いや、思っちゃうよね。そこに自由はない。でも、口に出すのはやめておく。それが大人の態度。つまり、人間的に成長するというのは、自由否定が上達するということと絡んでくる。

予測は記憶から生まれる

外部世界がすでに脳の中に経験として保存されていて、経験という「世界のコピー」を元に目標から計画を逆算している。それを世間では「予測」という。そういう予測を知らず知らずのうちに、経験に基づいて行っている。
僕らの行動の大半は、過去の「学習」によって拾得した「記憶」に基づいている。記憶を使って常に未来を読んでいる。

可塑性を発揮するとは

可塑性は「成長」を考える上でとても重要。可塑性は「どれだけ変化しうるか」というポテンシャルを表す言葉でもあるよね。生まれた瞬間は、まだ遺伝子で決まる能力が圧倒的だ。そこから、可塑性を発揮するということは、「遺伝子で決定されたデフォルト状態からいかに乖離するか」という自由度を表現することだと言い換えてもいい。

回路の構造+ノイズ=機能

構造さえしっかりしていれば、あとは簡単なルールを繰り返せば、自然と生命現象が創発される。
生命の柔らかさは、「構造」から「機能」が生まれるだけにとどまらず、逆に「機能する」ことによって、「構造を書き換える」ことにもある。つまり、構造→機能だけでなく、機能→構造でもある。
構造←→機能という両方向性の作用があって、初めて生命はしなやかさを獲得するってことだ。一言でいえば、生命は自信を書き換えるってこと。この「自己書き換え」の能力こそが、脳の可塑性の基盤になっている。

ヒトをヒトたらしめているもの

「有限」を知っているというメタ認識こそが、ヒトをヒトたらしめているってこと。人間の心のおもしろさは、まさにそこにあると僕は思っている。自分の心や存在を不思議に思ってしまう、あるいは「自分探し」をしたくなってしまう僕らの妙な癖は、リカージョンの反映だ。
※リカージョンとは…“再帰”。入れ子構造のこと。ここでは脳で脳を考える。自分で自分を見る。

脳そのものは単純

自分の心を考える自分がいて、でも、そんな自分を考える自分がさらにいて、それをまた考える自分がいて……とね。そんな風に再帰を続ければ、あっという間にワーキングメモリはあふれちゃうよ。そうなったら、精神的にはアップアップだ。だからこそ「心はよくわからない不思議なもの」という印象がついて回ってしまう。
でも、その本質はリカージョンの単純な繰り返しにすぎない。脳の作動そのものは単純なのに、そこから生まれた「私」は一見すると複雑な心を持っているように見えてしまう。ただそれだけのことではないだろうか。
だから、自分の心を不思議に感じるという、その印象は、いわば自己陶酔に似た部分があって、それ自体は科学的にはさほど重要なことではない。単にリカージョンの罠にはまっただけだ。

*1:対談と言った方が正しいかも