毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

ドンブリでいいんだ!☆☆

失敗学で有名な畑村洋太郎先生が書いた数の本。“すう”ではなく“かず”と読むのが正しいそうだ。なぜなら、数学の話が大嫌いな人でも数(かず)には親しんでほしい、と工夫して書かれた本だから。
私は理系科目がからきしダメで、大学は私学一本に絞った*1。私が読めるならきっと数学恐怖症の人でも大丈夫だろう、と毒味役になった気持ちで読んでみた。


確かに、読みやすいよう工夫がされている。新書ではほとんど見かけない図解がたくさんあったり、「蛇足」として補足説明する欄に足の生えたヘビのイラストがあしらってあったり。というのも、著者には以前数学嫌いの人向けに書いた本があるそうだが*2、こちらは横書きだったため教科書っぽく見えてとっつきにくく、“読みたいのに読めなかった”人が出たという。そのため、今回はタテ書きの楽しい本を、と出版されたのだそうだ。

私は著者の失敗学の本を何冊か読んでいるが、文体も何となくこちらの方が親しみやすい。扱う話題も料理を作る順番を考える話や温度の話、それに買い物を覚えられず奥様に叱られた話など、ものすごくゆるい。そんな中に数字が出てくるので、はじめはやや読みにくさがあったものの、だんだんなじんできて後半はそれほど苦労しなくても読めた。


というのも、“数を感覚的にとらえる”というのは、生活で意識していれば磨かれるものもあり、これなら何とかなる、自分にもありそう、と思えたからだ。たとえば、1000円からお釣りを払う時の考え方や、面倒な数のかけ算を簡単にする方法など、自然に身についていたものもある。これはおそらく、母がやっているので自然に覚えたのだと思う。母は珠算2級で、いまだに家計簿をそろばんを使ってつけており、著者が言うところの“頭の中にそろばんができている状態”だからだろう。

それから、“数を作る”という話も面白かった。自分が“作って”つかんだものは理解できるし身につくが、決算書など誰かが作った数字の羅列はながめても身につかない、というのはとても説得力があった。

ほかにも、概算の方法をいろいろ紹介してあるのだが、これが面白い。車の重さを概算で出す方法や、階段の一段の高さを算出する方法、地下鉄で目的地に行く時の時間の割り出し方など、日常的に使える「ざっくりとした数のとらえ方」がわかり、数字に対する拒否反応がかなり和らぐ。「なあんだ、ドンブリでいいんだ」というのが私の率直な感想だった。もちろん、当てずっぽうではなく、ドンブリにはドンブリなりの根拠があるのだが、おおざっぱでもかなり近い数字が得られるのがすごい。

すぐ使える実用書、というよりは数にまつわる知的読みもの、という感じだが、数字アレルギーの人や、そこまで行っていない子供や中高生にいいと思う。数字が少し好きになれるかもしれない。
私でも読めたので、数字を見るだけで頭が痛くなる、という人もきっと大丈夫です。


以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。

著者が考える、「数に強い人」2種類(P14)

まず、ものごとを数量的によく考えることができて、しかも覚えておくことができる人である。こういう人は、ものごとの全体像がキチンと頭の中に入っていて、その全体増との絡みで数を考え、覚えられる。
次に、ものごとから数を引き出して、自分の実現したいことの道筋にその数を乗せ、加工し、発展させることができる人である。ひとことで言えば、「数を作れる人」である。

数の作り方(P26)

まず数から「種類」と「単位」を振り落として、「狭い意味での数」に変える必要がある。言い換えれば、「具象の世界」から「抽象の世界」に登る必要がある。
さらに今度は、その単位を振り落とした「狭い意味での数」を、自分や他人の要求に従って加工する。たとえば、足したり、引いたり、掛けたり、割ったりする。そうすると、最初とは別の数ができてくる。ここまでを「抽象の世界」で行う。
そして最後に、「具象の世界」へまた降りていく。つまり、「抽象の世界」へ登った時に振り落とした「単位」を、今加工してできた数にくっつけ直すのである。
「数を作る」という動作は、このような「登って→加工して→降りる」というルートをたどることである。「具象の世界」と「抽象の世界」を行き来することで、新しい数を生み出すのである。

「数に弱い人」とは全体が頭の中にない人、さもなければ、全体をつかむことができない人である。(P39)

原安三郎氏(日本化薬社長)のことば(P69)

自分の出処進退は絶対、人に相談してはいけない。ひと晩考えて出ない結論は、1年経っても出ない。ひと晩考えたら明くる日には必ず決めろ。
(中略)
原さんと会って知ったのは、ものごとの先頭に立って動いている人は、「その場で作る」という動作をしていることである。本を読んで知ったり、人に聞いて覚えたりするのでなく、必要なことは何でも、自分が動いてその場で作る。そして、判断をするのである。

自分で作った数は自分のものになる(P73)

出来合いの数をいくら見ても、何もわからないし、数の感覚も磨かれないのである。
(中略)
たとえば、会社の決算書の数を見てもチンプンカンプンだろう。それはなぜか。人が持ってきた数、人が加工して作った数は、吸収できないからである。
数を吸収し、その意味することを本当にわかろうと思ったら、その数を自分でも作ってみなくてはいけない。数は、他人から唯々諾々と受け取るものではない。自分で作り出してこそ、数は自分のものになるのである。

*1:高校3年の時は何と「数学ゼロ時間コース」!

*2:直観でわかる数学』『続 直観でわかる数学