毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

コラムの書き方がわかる実践編☆☆

ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法 2
福田 和也
PHP研究所 (2004/3/19)

\1,250+税
昨日紹介した、『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』の続編。デジタル機器の使い方やスケジュール管理、時間術を含めてより実践的な内容になっている。


しかし、この本が出版されたのは2004年。パソコンや携帯電話の進歩は凄まじいものがある。今、この本の通りにやってもあまり効率がよくないかもしれない。レビューではここを絶賛している人が多いが、私はあまり惹かれなかった。

一番面白かったのは、著者が大学で教えている文章術が詳しくのっていることだ。コラムは短いので書きやすく、読みやすいので練習にもっとも向いているそうだ。いいコラムを書くための心構えをしっかり学ぶことができる。

また、私が読めてよかったと思ったのは「コラムとエッセイの違い」だった。初めて違いがわかってスッキリした。


時間術やスケジュール管理などは、あとがきを書いている担当編集者によれば編集者泣かせだそうなので、そのまま取り入れるのは危険かもしれない。何しろ、時間術は「いかにして自分の都合に合わせて生きるか」だ、と豪語しているのだ。ただ、自分にとって大切なこと、優先順位を考え抜く姿勢は学ぶ点が大きい。

基本的なことは前著を読めば充分だろう。著者の書く文章が好きな人や、個人的に著者に興味のある人は読むと面白いと思う。


以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。

未来のために仕込みを続ける(P38)

つまり、常に自分は未来に向けて、数年先に向けて準備をしているという感覚が、その日、その時の仕事を充実させるのだと思います。

自分を押し出す(P145)

やはり、書く、書いていくということは、自分自身の存念を売りものにするわけですから、多かれ、少なかれ、主観的な行為なわけですね。誰もが注目しない、誰もが了承しないような観点、意見をことあげして、公衆を説得し、魅了するという、つまりは、どうしたって、思い込みが必要になる。

コラムのメリット(P47)

1)短いので、文章のすみずみまで神経を行き渡らせることができる。
2)人に読んでもらえる。商品たりえる。
3)書くという前提で、事物に接する姿勢を育てることができる。

メリット1「短い」(P47)

書く上で、自分の文章全体を視野に入れて磨き上げることができるというのが第一です。書き直したり、構成を変えたり、文体を変えたりするといった操作をしてみることも、簡単にできます。

「a.構成」「b.姿勢」「c.表現」「d.文体」(P48)

まず、「a.構成」ですが、これは全体の流れですね。
(中略)
さらに大事なのは、この起承転結は、全部入っている必要はないのです。
(中略)
短い文章の場合、省略する部分と、書き込む部分でメリハリをつけることが、文章を魅力的に見せる上で重要になります。

「b.姿勢」ですが…視点と言った方がわかりやすいかもしれない。つまり、書く対象、題材に対してどういう姿勢でのぞむのか、どこから見るのか、ということです。
(中略)
文章に現れることは、すべて作為されたものである、あるいは意識をかいくぐって現れたものである、という風にしていただきたい。思いついたものを、そのまま書きなぐったものを、文章と呼ぶことはできません。

「c.表現」ですが…自分が観たもの、体験した対象を再現する力ということになるでしょうか。描写や記述によって対象を、読者に対して明確に示すことです。

「d.文体」ですが、要するに語り口ですよね。堅い文語的な調子でいくか、クールにするか、馴れ馴れしくするか。修飾語を多用して、絢爛に書いていくか、できるだけシンプルに、歯切れよく書いていくか。漢字をどの程度使うか、という語り口から文章の見栄えに至るまで、いろいろな側面で、文章のスタイルを作ること。
スタイルが変わると、文章全体の印象が、まったく変わってしまう。一度書いたコラムを、別のスタイルの文章で書いてみると、ただ文を直すだけではなくて、構成や視点まで変わってしまうことに、気づかれると思います。
文体には、下記手の発想や論理がリズムとして盛り込まれているためですね。

読んでもらえる、というのは大変なことです(P55)

まったく知らない人に読んでもらって、面白いものであれば、流通する可能性がある。
流通するというのは、要するに商品になるということです。
(中略)
しかし、商品になるというのは、素晴らしいことなのです。
(中略)
売れるということは、要するに、自分という人間を知らない、関心のない人、議論の前提も、倫理感も共有していない人に、受容されるということなのです。

エッセイというのは(P56)

基本的には、名前のある人、つまりは世間から、読者から認知された人が書くものです。

大学のゼミでのテーマの出し方(P58)

ゼミでは、コラムのテーマは私が出す場合もあれば、学生諸君交互に出したり、いろいろなパターンがありますが、いずれにしろバラエティは保たれています。
(中略)
それまでは、面白ければいい、楽しめればいい、何となく刺激を受けたいというような、いわば受動的な姿勢でひとつひとつの(映画や美術展などの)作品に接していたのに対し、書かなければいけないという意識のもとで作品に臨むことになるわけです。
言わば主体的になるわけで、これは大きな意味を持っています。

コラム成立の4つの要素(P60)

1)情報
2)分析
3)解釈
4)価値

そもそも情報とは何か(P61)

まず、「情報」ですが、これは当該の作品についての、さまざまなファクトですね。議論の前提となるものです。
何を情報と考えるか、というところから、勝負は始まっていますし、ここが一番大事だと言ってもいい。

分析、解釈、価値とは何か(P63)

次に「分析」ですが、ここでは、提示した情報を整理します。
(中略)
分析においては、参照を用いるという作戦が有効です。つまりその作り手の今までの作品や、あるいは似たもの、元ネタ、ライバルなどの作品を持ってきたりして、比較をして文脈を作っていくわけです。面白い参照をすることで、こういう見方があったのか、この手で来たか、といった具合に読者を楽しませることができる、腕の見せどころですし、逆に言えば書き手としての素養や蓄積が問われる箇所ということになるでしょう。

解釈では、分析で作られた文脈に意味を与えます。意味をつけるという段階で、書き手の立場がはっきりします。その点で、先の説明で、解釈は、主観であると書いたのです。

価値は、行動なのだ、ということを前に書きました。それはつまり、ここで、書き手は、読者に対して価値を突きつけるという行為、働きかけをするということです。それはまた同時に、その働きかけが有効なものであるならば、読者もまた行動をする、させなければならない、ということになる。

情報に沈まないためにはどうすればいいのか(P164)

全体のプロセスのバランスをきちんと維持することに尽きると思います。つまりは入ってくる情報に対して、それを整理し、分析し、実際に知的な生産に役立てる。このプロセスがきちんと機能をして、初めて情報が有効に働いているといえる。
(中略)
いかに貴重な情報であっても、整理され、分析され、使用されないならば、無駄で無価値なのです。
ですから、入ってくる情報を、いかに自分が有効に利用できる範囲に「限定」するか、限定する情報源をいかにして構成するかということが、きわめて大事なのです。

自分が扱える情報量を知っておく(P168)

自分が本当に扱える情報量というのはどれくらいなのか、ということを、まず徹底的に考えるべきなのです。電車に乗っている間に携帯電話で、ニュースを見たり、いろいろな検索をしたりもできる時代ですから、放っておけば情報を引っ張るだけで1日が終わってしまう。

使える時間を増やすためには(P198)

無駄な時間をなるべく減らすとともに、時間を有効利用するための投資をせざるを得ない、というのが私の結論なのです。

時間を有効に使うために一番大事なこと(P199)

いかにして自分の都合に合わせて生きるかということです。
(中略)
そのための「闘争」こそが時間管理の本質だといってもいいくらいです。