養老孟司先生の本。先日読んだ小飼弾さんの『空気を読むな、本を読め。』の巻末で紹介されていたので借りてみたのだが、全然進まない。
ダン・コーガイ氏によれば“『バカの壁』はこの本をやさしく書き直したもの、養老孟司はこれ1冊で足りる”とのことだった。私は『バカの壁』は読んだことがなかったが、大丈夫だろうとこちらを予約したら甘かった。
養老先生はずいぶん前に脳死は人の死ではない、という話をテレビでされていたのを偶然見て、とても納得した記憶がある。確か“何が人の死かは誰も決められない、これが死ですよ、と線は引けない”というような内容だったと思う*1。それがとても穏やかな口調で心に染みたので、そういうイメージで読み始めたのも悪かったかもしれない。
この本は“唯物論”や“唯心論”に対しての“唯脳論”(すべては脳から生まれたものである)を主張しているのだが、書いてあることも、書き方も尖っているような気がする。
さらに、著者は解剖学者なのだが、解剖の手順(いかにして脳を取り出して保存するか)を細かく書いた項があったり、昔の日本の学者が書いた解剖の図や生きている人から白骨死体までいかに変化するかを9段階に分けて書いた図があったり、ホラー映画の苦手な私には夢でうなされそうなものもたくさん出てくる。
「それで脳に興味があると言えるのか!」
と叱られれば申し訳ありませんと平謝りするしかないが、いろんな意味で私にはハード過ぎる。
読んだタイミングが悪かった、というのはあると思う。読みごたえのある本が1冊混じっている程度なら何とかなったと思うのだが、何だか最近負荷のかかる本が多い上に、前述した小飼弾氏お勧めの100冊から読みたいと思った3冊を予約したら、全部一気に来たのだ*2。読んでみたらどれもこれもとにかく噛みごたえのある本で、頭の線が焼き切れそうになった*3。
ただひとつ感じたのは、養老先生はやはり科学者=理系の人、ということだ。最近よく出てくる京大の鎌田浩毅先生は“理系”をキーワードにしながら理系らしくない読みやすく、やわらかい文章を書かれる人だと思うが、それはたぶんひとにぎりの例外だろう。
そして、実用書*4はやはり実用書でしかないのだ。
一気に来た残りの2冊は、意図したわけではないのだが小説家と呼ばれる女性の書いた文章だ*5。どちらも奥行きのある、美しい深い文章に圧倒された。“小説の読めないカラダ”などと冗談で書くこともあるが、それは選び方が間違っていたのだと反省までした。
そして驚いたのは、美しい文章はむずかしくても読めるのだ。ルールの違うスポーツを比べるみたいなもので申し訳ないが、私にとってその差は大きかった。もちろん書いてある内容に興味が持てるかどうか、というのも大きいが。きっと文章には相性があるのだろう。私の場合、10代は絵に描いたような文学少女だったので、そこのストライクゾーンが広いのかもしれない。
というようなことを考えるのは、きっと『日本語が亡びるとき』を読んだせいだと思うので、この続きはその読書日記で。
ただ、最近思うのは“全部やっている時間はない”ということだ。要らなければ捨てる、選ばない、本も途中でやめる。やっとそういうことができるようになってきた気がする。
『バカの壁』はいつか読むかもしれないが、たぶん当分はないと思う。