去年まで野口先生の「超」整理手帳を使っていたので*1、関連する著書を何冊か読んだ。どれも整然とした内容で具体的、なのにユーモアもところどころ感じられてとても魅力的だった。
その独特の文章はどのようにして書かれるのか、それがこの本を読めばわかる。
この本の大きな特長は、著者自身がマニュアルとして使いたいという目的で書かれていることと、すべてが実践的な視点で書かれていることだ。学者や小説家が理想を述べたものと違い、「実際はどうなのか」という観点が貫かれている。
たとえば、<〜が>という表現はどの本でも避けるよう書いてある。だが、著者はこれをまったく使わずに書くと息が詰まるという。ひとつのパラグラフに2個まではいい、と書いてあった。
こんな風に、理想はあくまで理想、実際はこの程度までならいいだろう、というひとつのガイドラインを示しているところが他の文章術とは違う。やはりたくさんの本を書いている著者ならではの意見だろう。
もうひとつ、あまり他の本で見かけなかったのは「くり返し出てくる概念には名前をつけてしまう」という方法だ。たとえば、「主述泣き別れシンドローム」という名前。主語と述語が離れてしまい、どうつながっているかわからない状態の文を指すのだが、一目で意味がわかり、ユーモアもある。著者の本がわかりやすく、頭に残るのはこのアイデアがあったからか、と納得した。
文の構造や形式、わかりやすい文章にする表現方法などの基本的なところから、用語の選び方の基準まで、これを読めばある程度のレベルの文章が書けると思う。
どれから読めばいいかわからない、という方や、論理的なものが好きな方にはお勧めです。
以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。
書くに値するものを抽出する(P18)
文章を書く作業は、見たまま、感じたままを書くことではない。その中から書くに値するものを抽出することだ。見たこと、感じたこと、考えていることの大部分を切り捨て、書くに値するものを抽出する。これは、訓練しないとできないことである。
広いと浅くなる(P20)
「ピントを合わせる」を言い換えれば、「広すぎるテーマはだめだ」ということだ。
(中略)
なぜだめなのか。…広いテーマを一定の字数で論じようとすれば、どうしても浅く、薄くなってしまう。間口ばかり広くて、深みのない内容になる。
伝道者になる(P47)
これに対して、新しい考えを最初に発見した人は、エバンジェリスト(伝道者)にならざるを得ない。「ためになる内容を、面白く、わかりやすく」話さざるを得ない。そうしなければ、古い考えや異教にとらわれている人々を目覚めさせることができないからだ。
読者の理解度を想定する(P48)
書き手が当然と思っている前提知識を読者は持ち合わせていないことが、実に多いのである。
余計なものはすべて削る(P163)
主張を正当化するためにどうしても必要なもの以外は、すべて削るべきだ。文例(※省略)が読みにくいのは、余計な記述が多いからである。余計な記述があると、読者の注意が横にそれてしまい、全体としての意味を捉えにくくなる。
スイスの哲学者ヒルティの言葉(P229)
「まず何よりも肝心なのは、思い切ってやり始めることである。仕事の机にすわって、心を仕事に向けるという決心が、結局一番むずかしいことなのだ」 『幸福論』より
始めれば完成する(P230)
つまり、「始めればできる」のだ。完全でなくともよい。ほんの手がかりでもよい。「何か」あれば、そこから文章は成長してゆく。ゼロと「何か」の違いは、甚大なのである。
*1:あの、ぱたぱたと屏風を広げるような手帳は全体を見通せて好きなんですが、基本的に手帳1冊で何とかしたい私には使いこなせませんでした…