開いてみてびっくりした。辞書形式になっていたからだ。
これを見てA・ビアスの『悪魔の辞典]』を思い出す人も多いだろう。8つの章に分かれていて、さまざまな事柄を日垣さん独自の解釈で解説してある。
ただし、思ったより毒は少なめ*1。それと、2006年刊なので、当時関心を集めていたであろうことがくり返し出てきたりしていて*2、今読むとややピンと来ないところもある。
日垣さんの本をたくさん読んでいる人には、おなじみのことも多い。メディアの章というのもあるが、先日読んだばかりの『情報の「目利き」になる!』の内容をまとめたようで復習になった。
やはり「深いなあ」とか「鋭い!」と思う項目もいろいろあり、さすがは日垣さん、とうれしくなった(私がさすが、と思ったところはメモにあるので、興味のある方はご覧ください)。
これも人によって反応するところは違うと思う。私は気がついたら選択、気品と仕事力の章に付せんを貼っていた。
ピリッとしたものが読みたい人にはおすすめです。
以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。
「謝罪と反省」より(P13)
謝罪(反省)には3つの要素が絶対に必要だ。
1.謝意を誠実に表明すること
2.失敗に至る経緯を詳しくそのつど説明すること
3.償いをすること
である。
「友達」より(P18)
若いうちは、多くの人から誘われやすいことは、愉しいことである。が、人生には限りがある。だから、年を重ねるにしたがって、遊び相手、話し相手、協力相手を、ほどよく選ばなければならない。ほどよく選ぶことが、ほどよく生きるということの内実なのである。
「やればできる」より(P23)
できるだけ多くの仕事を完成させるか、たくさんの実践で鍛えることを通じてしか、いかなる上達も訪れない。
「義務と責任」より(P111)
権利とは、選択肢があることであり、義務とは、選択肢がないことである。
「文明と文化」より(P128)
民族や国の境界線を簡単に越えて移植されるモノの総体が文明であり、他集団への移植に著しい困難が伴うコトが文化である。
「教養」より(P138)
教養とは、物語力と仮説力の事である。
(中略)
自分の位置を絶えず客観視しようと努めている人を、我々は教養人と呼ぶ。
「天才」より(P145)
ここで「プライドが高い人」というのは、周囲の評価より自己評価が高すぎる人の事である。
「プライド」(P147)
人生において意味あるプライドは、常に好奇心と謙虚さを失わず、その結果「自分がいかにものを知らないか」を自覚し、それをバネにする心構えだけである。
「ずく」より(P164)
ずく(尽、孰)は、やる気や根気や根性などを包括する。青森県、長野県、山梨県、岐阜県、新潟県、愛知県、熊本県などの一部で通じる方言。
「ずくがある」とは、面倒くさがらず根気よくやる、おっくうがらない、努力精励の人の事をいう。
逆に「ずくなし」は、無精で努力しない人、怠け者、横着で働かない人、いざという場面でも根性を出さない人を指す。
たとえば、情報の分類整理や机上の整頓を放置する人は「ずくなし」であり、嫌々でも現場に足を運んだり、仕方なく自分で調べたりする人は「ずくがある」という。
「戦略」より(P168)
狭義で戦略とは、最悪の事態を想定し、それを避けること。
広義で戦略とは、夢を実現する手順のことである。
(中略)
ここで「合意的な努力」とは、いわば要領のこと。そして、何かで「あり続ける」ために必要な技能の筆頭は、おそらく速さである。
「創造力」(P169)
創造力とは、理解不能な奇天烈のことではない。
真似された当人が見てもわからない程度の有意味なパクリか(模倣)、原理をそのままにした用途変更か(応用)、異なる分野のひとつないし3つをうまく組み合わせるか(編集)、そのいずれかを創造力と呼んでいる。
「ビジネスモデル」より(P173)
ビジネスモデルを考えるに際してもっとも肝要なことは、勝利の方程式なるものを真似ることではなく(そんな方程式が本当にあるならみんなとっくにやっている!)、先達のノウハウを貪欲に摂取しつつ、余人を持って代えがたい道を切り開いてゆくことだ。