この本の前に、『アンダ−グラウンド』という作品が出ている。これは地下鉄サリン事件の被害者と一部そのご家族に村上さんが直接話を聞き、まとめたものだ。
この本は言わばその続編であり、今度は加害者の立場からあの事件を見てみよう、という意欲作だ。
『アンダーグラウンド』もそうだが、非常にジャンル分けがむずかしい作品だ。もちろん小説ではないが、いわゆるノンフィクション作品の手法とも少し違う。作品そのものはただのインタビュー集の体裁で、そこに村上さん個人の考えは出てこない。もちろん、表現やまとめ方に反映はされていると思うが、それを聞き続けてどう感じ考えたのか、というまとめは「まえがき」と「あとがき」をのぞきほとんどない。
それが読後感の重さにつながるのかもしれない。読んでスッキリではなく、はい、ここから先は自分で考えてくださいね、と言われた気がするからだろうか。
しかし、被害者側はともかく、たくさんのオウム信者(一部は元信者)にここまでいろいろと深く話を聞いたものは今までなかったと思うので、非常に画期的だ。公正な判断材料を呈示されていると思う。
信者のスタンスもバラバラで、すでに脱会している人、明らかに教団と敵対している人もいればやむを得ずやめた人もいるし、この本が出た時点でまだとどまっている人も何人もいる。あの事件の前にいた部署やポジションもさまざまなので、事件に対する考え方や“教祖”に対する思いもびっくりするほど違う。
マスコミで一般的に報道されてきたのは、画一的な信者のイメージだったので、このバラバラさが新鮮だった。
私が読んで一番感じたのは、“今の世の中に合わないタイプの人の受け皿が必要なのではないか”ということだ。村上さんもまえがきでそれに言及している。
たとえば真理の追究をしたいとか、理想の生き方を追い求めるとか、そういう人は「高度資本主義社会」にフィットしない。現実に、そういう人が生きていける場はほぼないので、結果的にオウム真理教が受け皿になってしまった。オウムに限らず、そういう役割を果たしているカルト集団は今もたくさんあるのかもしれない。
先の選挙で複数の政党が「働かなくても、生きていくのに最低限のお金は全員生まれてから死ぬまで払います」という政策をマニフェストに掲げていた*1。何なのそれ、と思ったが、おおざっぱに言えば“働きたい人は放っておいてもどんどん働くから、働きたくない人の分はそれでまかなえばいい”という考え方だ。犯罪率が下がったり、無理矢理雇用を作り出す必要がなくなるので結果的に企業にもプラスになるそうだ。あくまで試算だが。
この本を読んで、この政策が本当に実現可能なら、ひとつの解決策になるのでは、と思った。政策について知った時はうまくイメージできなかったが、今の日本には至急必要な改革かもしれない。
もうひとつ、違和感があったのは信者の“何でも言われた通りにすればいいから楽”という姿勢だった。“教祖”や上のランクの人がみんな決めてくれる。考えなくていい*2。もしそれが理想の世界だと思っているのなら、それは恐ろしいことだと思う。自らマインドコントロールしてください、と言っているようなものだ。本人にその自覚はないのかもしれないが。
日本の闇の深さを見たようで背筋が寒くなった。