1年ほど前、茂木さんの『45分でわかる!脳を鍛える読書のしかた。』という本を読んだ時にこの本の存在を知った。茂木さんと『赤毛のアン』が結びつかなくて不思議な気がしたが、いつか読んでみようと思っていた。
もともと『赤毛のアン』ファンの私には楽しく読めた。茂木さんが長年書かれているいろいろなテーマがほぼ全部出てくるところが面白い。メタ認知や安全基地、セレンディピティからなぜ女性は化粧をするのかまで、まるで総覧のようだった。
後半には英語と日本の環境という、水村美苗さんの本*1にも重なるようなテーマも提示され、茂木さんなりの結論もまとめられている。
茂木さんは『赤毛のアン』シリーズ(全10冊、うち短編集2冊を含む)を読破しただけではなく、高校時代に何と原書ですべてを読んだそうだ。茂木さんの英語力のベースがアンだったとは。
同じく小6〜中1でシリーズ読破をした私は、なぜ原書を読まなかったんだろう、と悔やんだ(1作目の『赤毛のアン』だけは、大学の頃に読もうとして買ったものの挫折)。
ふつう、ファンであればあるほど、自分と違う解釈をされるのを嫌う。私もあまり許容量が大きい方ではないのだが、不思議に茂木説は“そんな見方もあるのか”とすんなり受けとめられた*2。
茂木説は、単なる少女のあこがれを超えた、深い物語として読み解いている。またシリーズを読み返したくなった。
ただ、「『赤毛のアン』シリーズ」の引用元が、すべて講談社文庫版(掛川恭子訳)になっているのが残念。出版社の関係でしかたがないのだろうが、やはり村岡花子訳の『赤毛のアン』に親しんできた読者には違和感がある。
茂木さんご自身も村岡さん訳で読まれたようで、村岡さんについて書かれた部分もあったので、できれば何とかしてほしかったところ。
「昔『赤毛のアン』を読んだ記憶はあるが、ストーリーは忘れた」というような、大多数の大人にとって、この本がどういう評価になるのかわからない*3。
茂木さんの本が好きな人は読んでみると新鮮だと思う。いろんなルーツがここにある。
あとは、この機会に『赤毛のアン』を読んでみようかなと思えた人か、読んで日の浅い10代の読者向けだろうか。
これを読んでピンと来た方はどうぞ。(メモは省略します)
私のアクション:『赤毛のアン』を原書で読む
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