毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

こんな文章術を待っていた!☆☆☆☆

家族が借りてきた本だが、文句なしに今まで読んだ中でベストの文章術の本だった。自分史上最高に付せんを貼ってしまった。


著者はライターで、コラムや連載を多数持つ人だそうだ*1。つまり、長年“お金を払って読む”文章を書いてきたプロだ。それだけに、説得力がある。

読者を想定して書く。そして、読者が喜んでくれるかを徹底的に追求する。ここまで読者が読みやすいことを考える文章術は初めて読んだ。学者や新聞記者とは立ち位置が違う。
そして、長年私が引っかかっていた「です・ます」と「である・だ」の共存を堀井さんはあっさりやってのけている。よかった、そういうプロもいるとわかって心強い。


文章術の本なのに、読み物としても楽しめる、というのもすごい。気軽に、するすると読める。でも、内容は実は硬派だったりする。
この本を貫いているのは「身体性」だ。からだを通して得られたもの、自分から出てきたものを書くということだ。実際、「踊りながら書け」という言葉も出てくるくらいだ*2

偉い人の書いた文章術の本がしっくり来ない人にはお勧めです。
私のアクション:最初に「目指すところ」を意識してから書く


以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。

プロにとって文章は道具でしかない(P13)

マチュアにとっては「個性が現れる表現方法だ」と考えてしまう傾向にある。

「読む人の立場で書け」とは(P18)

「自分の主張を曲げてでも、読者に楽しんでもらおうとしてますか」というのが一番のポイント

想定しているのは「きわめて不親切な読者」(P21)

である。不熱心な読者と言ってもいい。

「初期設定として厳しい読者」へのポイント(P21)

「漢字を減らせ」
「すぐ改行しろ」
国語の作文で教えられていたこととはずいぶん違う。
こういうものが、現場での「読む人のことを考える」ということなのだ。

読者がどちらの音で読めばいいのか迷うような漢字は使うな(P22)

「これぐらいの漢字、知ってて当然でしょ。知らない方が悪い」というスタンスで文章を書く…それが自分の方式を人に押しつけていることになる。
(中略)
読んでる人は、文章を読んで、新たに漢字を覚えたり、熟語を覚えたりしたいわけではない。読んでる人のことを考えるというのは、自分とは知識の違う他人が読んでも、つっかかりなく読める文章を用意する、ということである。

読者をリアルに考える(P30)

大事なのは、誰に、を決めることではなく、誰に、が決まったあと、その人はどういう気持ちで文章を読むのだろうか、というところまでリアルに考える、ということだ。

見出しにはセンスが必要(P46)

職人芸的なセンス。
基本は、驚かせること。

優れた文章は誰がつけても同じタイトルになる(P51)

優れた文章とは、ひとつのことだけをわかりやすく書いていて、ストレートに言いたいことが伝わってくる。

「知らなかったことを知る」文章が面白い文章(P52)

知らなかったことを知った時に、人は、何かが変わった感じがする。
(中略)
だから、面白い文章とは、読んだ人が何か変わったと感じる文章ということだ。

身体性のある文章には説得力がある(P53)

頭の中で考えられた精密なる理想的革命理論には、身体性がない。それでは人を動かせない。同じ革命理論でも、キューバ革命を戦い抜き、コンゴ動乱で活動し、ボリビアでも革命運動に従事した男が話したものならば、それは身体性に満ち満ちているから、読む。そういうものである。革命活動に興味のない人が読んでも、そこから何か得るものがある。

人は人の話が聞きたいだけなのだ(P54)

人の考えはあまり聞きたくない。

人を変える可能性のある文章とは(P55)

書いている人が「自分の驚きを伝えようとしているもの」であることが多い。エッセイなんかはその典型です。

読者をどこへ連れていくのか、を意識しておく(P62)

何となく、でかき始めると、だいたい文章が迷走して、わけのわからないものになる。文章というのは、書き出してしまうと、スピードを出した台車をコントロールしているようなもので、なかなか思ったとおりには書けないものなのだ。…いくら脱線してもかまわないが、最終的にはどこを目指しているのか、だけは強く持っていないと、ちゃんとした文章にならない。

文章はすべてプライベートから始まるのものである(P65)

文章は、ふつう独断と偏見によって書かれるもの(P74)

独断も偏見もない文章は残念ながら読むに堪えない。
(中略)
読者の立場からすれば、独断と偏見になりますが、というフレーズなんか、まったく必要ないのである。

人に話して楽しいこと、自分が好きなものから始める(P75)

そのときに発する熱が一種異様さを帯びると、その対象に興味がない人も惹きつける。それは、その、話してる内容や対象物ではなく、話してる当の本人の熱情が異様で面白く、その熱を感じたくて、人が寄ってくるのだ。
だからプラス方向の熱情じゃないと、人は寄ってこない。物見高い無責任な野次馬がやってくるのは「面白そうで、異様な熱」だけである。

熱と冷静さのバランスをとる(P77)

まず、熱を持って、プライベートな心持ちから発して、どんどん内側のものを出して書くとこから始まる。でも、いったん書き終わったあとに、冷静になった自分によってチェックを入れ、わかりやすいように直して、仕上げていった方がいいのだ。
文章に限らず文化的なクリエイティブの才能というものがあるとすると、それはこの「熱と冷静さ」をひとりできちんと持ってるかどうかだと思う。

話題が公私を分けるわけではない(P81)

その話題をどれだけ自分の血肉と化しているかで、公私が分かれるんですな。

3章まとめ(P84)

身体性が感じられる個人的な部分から発想をする。ただ、同時に、その発想が「ひとりよがり」になってないか、自分でチェックしないといけない。発想は「私の熱」、それをちゃんと企画として通すのは「客観的な冷静さ」である。つまりは「個人の中で培った公的な視点」ということですね。
“公”と“私”のバランスである。

あるドイツ人のことば(P91)

「直感は過(あやま)たない。誤るのは判断である」

新しい発想は、直観から生まれる(P93)

いきなり、あ、これじゃないのかな、という結論を先に思いつくのが、新発想である。地道にこつこつと疑問を調べたところで、発見にはたどり着かない。

仮説はいきなり思いつく。証明は地道にやっていく(P98)

まず「なんか変」と思うところから始まる。

「諸君、異論はあるか。あればことごとく却下だ。」(P105)

これは森見登美彦の小説の主人公が叫ぶセリフであるのだが…文章書きが常に心に携帯しておきたいセリフである。

書く限りは、断定する(P109)

もちろん根拠を示して断定する。

言い切れないなら、書くな(P109)

これは、私が自分に課しているポイントである。
(中略)
言い切れないなら書くな、というのは、だったら言い切れるまで調べ直してこい、ということになる。

「私は」と「思う」はできるだけ取り除く(P110)

だって、すべて「私が思っていること」だからである。
すべての文章に「私は『○○○』だと思う」とつけることが可能なのだ。
(中略)
だから校正の時(つまり、文章の見直しの時)、「一人称と、文末の“思う”」は取れる限り取った方がいい。もちろん、いくつかは残すのであるが、それは「本来は不要であるが、調子を整えるためにあえて残すものであって、本来は不要である」ということは変わらない。

一人称は、特に文章の冒頭に持ってくるべきではない(P111)

「思う」をやめるポイント(P113)

具体的な方法としては「思う」という言葉を文末につけたくなったらとりあえずそれをやめてみる、という方法だ。取ってみて不安になっても、そこはがまんする。どうしてもつけたくてしかたがないのなら、その表現の根拠となってる部分をもう一度考え直した方がいい。

まず、結論を書け(P115)

結論から書き出せ。
それが強く書く秘訣でもある。

時間軸をやめる(P115)

結論が遅い企画書や報告の特徴は、時間軸に沿って書かれているところにある。
つまり、その人の体験なり考えなりが、時間通りに書かれている。それを読むことは、その発案者の“発案に至るまでの時間”を共有することを強要される。なんでそこを共有しないといけないんだ。なんで、発案に至るまでの物語を我慢して聞かなきゃいけないんだ。そういう視点が欠落している。
(中略)
読む人のことを考えて書いていない。ただ、自分が納得する流れで書いている。

コロンボ」と「古畑」の手法(P116)

まず結論。そのあと経緯の説明。それが読む人に都合のいい順序です。
刑事コロンボ』や『古畑任三郎』は、物語の冒頭で犯人がわかる。倒叙法と呼ばれる手法だ。…犯人がわかったからって、誰もそこで見るのをやめないでしょう。

よい文章を書くということは(P119)

上司に「で、言いたいことは何か」と聞かせない文章のことである。

タイトルに結論を入れろ(P119)

疑問形では人は興味を持ってくれない(P120)

「断定した文章」だから人は読んでくれるのである。
結論を聞いたから、もう読まなくてもいいやとは人はあまり思わないのである。意外な結論である限りは、人は、おや、と思って読んでくれるのだ。疑問は、タイトルを読んだ読者の心の中に芽生えるものでないといけない。

“が、”(がのあとに読点)と書きたくなったら、マルを打ちましょう(P125)

辞書はインプットの時に引こう。アウトプットの時は自前の言葉でやろう(P134)

文体が決まるのは「どの言葉を使っていないのか」(P135)

どの言葉を使っているか、ではない。使ってない言葉でスタイルは決まる。だから、作家の文章を表面的に真似ても、ほとんど似ていないものになる。それは、その作家が絶対に使わない言葉を知らずに使っているからである。

オリジナルなんて、たったひとつの新しい視点さえ示せばいい(P146)

本を書く時には「すでに発表されていることをほとんどそのまま踏まえて」、「ひとつだけオリジナルの視点を示せばいい」ということが、たぶん信じられないのだろう。オリジナルである限りは、すべてオリジナルであることを目指そうとして、自壊する。

身体性が勝つと、いいものができる(P183)

すごく時間が切られた時、もう、この時間内にほんとうにどうにかしなきゃいけないと本気で思った時、いわゆる火事場の馬鹿力が出てきて、思いもよらぬものを書いてしまう、ということ。
(中略)
忙しい時の方が頭を無駄なく働かせて、出来がいい、ということです。

人に読んでもらえるとしたら、「その文章の持っている力」によるもの(P185)

知ってる内容でも、表現が珍しいと読む。自分の頭の別の部分を刺激されてる気がするからだ。
それが個性。個性は身体にしか宿らない。頭で考えたことには個性は宿りません。

落ち着いて書くな。じっくりと時間かけて書くな。(P189)

それでは頭が勝ってしまう。

何とかなるだろう、と思ってしまう(P193)

…立て込んできた時、もっともいけないのは「あ、だめだー、無理だー」と思ってしまうこと。無理だと思ったら本当に無理になります。いや、何とかなるだろう、と思わないと、難所を乗り越えられない。

何とかしようという人は、頭で考えるよりも、先にカラダを動かす(P193)

マチュアながら文章を書いてやがてプロになっていく人の特徴(P198)

「忙しいさなかでも書き続ける」というところに尽きる。

くり返しエントリーして、待っているしかない(P204)

ふてくされずに待っていると、ふてくされずに待ってるコンテストをやってたかのように神様がやってくることがあるんで、まあ腐らずにこつこつとやってるしかないです。

自己表現しなくていい(P207)

おのれを殺して、ただひたすら「聞いてもらいたい話をより面白く伝えること」だけを念頭に考えて書けばいいのだ。読んでる人は、誰が書いたかを気にしない。それがいい文章だ。

*1:すみません、この本を読むまで知りませんでした

*2:本当に、レベッカを聴きながら踊って書いていた時期もあったそうです