梅棹忠夫さんと言えば、『知的生産の技術』*1や国立民族学博物館の初代館長ということくらいしか思いつかない。何だかすごい人だった、というイメージだけがあるが、実はよく知らないので、ビジネスブックマラソンで紹介されていたのを機に読んでみた。
ビジネスブックマラソンの紹介記事はこちら
この本は国立民族学博物館の部下として長年梅棹さんを支えた、国立民族学博物館名誉教授の小山修三さんが聞き手になってまとめられたものだ。インタビューはインタビュアーによって質が大きく変わるが、部下だった人なので非常に充実した、読みごたえのある本になっている。
関西弁の軽妙なやりとりは楽しく読めるが、ひとつひとつの言葉に重みがある。中国内地で調査中に敗戦を迎え、帰国する時に資料を没収されないために考えた工夫や、数々の挫折をどう乗り越えたかなどは鬼気迫るものがありながらあっけらかんと明るく、読むだけでこちらまでつられて前向きになりそうだ。
「知の巨人」と呼ばれた梅棹さんの最後の本。誰にとってもきっと心に響く言葉があるはず。
ご自身の著書も読んでみたくなった。
私のアクション:「上等に見せよう」という意識を捨てる
以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。
分類するな、配列せよ。そして検索が大事(P83)
…日本のインテレクチャルはひじょうにまちがってる。全部、分類がほんとに好きで、すぐ分類したがる。整理って言ったら分類だと。わたしからすれば、分類には意味がない。分類はするな。
小山 整理と分類はちがう。
全然ちがう。「分類するな、配列せよ」。機械的に配列や。それでいったらいいんや。大事なのは検索。しかし、ほとんどは分類して、それでおしまいになってる。
思いつきとはひらめき(P102)
であり、自分のオリジナルの発想をひらめくことこそ「独創」である。誰か偉い人の言葉を引用してきて、それであたかも自分が偉いかのように振る舞う学者のあり方をもっとも嫌ってきたのだ。
梅棹忠夫の文章の特徴(P108)
わたしの文章の特徴を言うと、てらいがない。かざりがない。上等に見せようという意識がない。
多様性の美学(P119)
梅棹は「自分には首尾一貫してものを言おうという美学はない。(自分にあるのは)むしろ多様性の美学だ」という。首尾一貫して武術を究めようとした宮本武蔵について、「戦闘技術を極めて、あれで人生、おもしろかったんかなあ。宮本武蔵はつまらん人生やと思う。多様性の美学がない」と言うのだ。
自分の目で見たものが、残すべきもの(P130)
ほんとにみんなは、学問といえば、ひとが書いたものを読むことだと思っている。…京大の中でもわたしらのことを評して、「あいつらは足で学問ができると思っとる。学問は頭でするものである」と。では、頭でやるというのは、どういうことか。ひとの本読んで、ひとの本のことを書いてどうするというのか。
批判と非難はちがう(P145)
信ずるところを貫かな、しかたない。
みんな、批判をおそれるというより、評判をひじょうに気にする。
自分を相対化する(P194)
(小山) そうやって梅棹さんは、叩き出されても、次は何をやろうかなと考える。日本に帰ってきて、しばらくは外国へ行けないから、じゃ国内の調査をやろう。それなら日本で一番遠いところへ行ってみようとか。いろいろと、そのときにできることを考えてるでしょう。だから、挫折はこたえてない。挫折と思ってない。
思ってないな。
(小山) 自分を相対化して見ていられる。
決断して実行する(P197)
とにかく…決断というのは非常に大事やな。決断して実行する。
*1:実は「知的生産」という言葉を作ったのも梅棹さん。でも、ご自身の意図とは違う意味合いで広まってしまったそうです。そのあたりのエピソードも出てきます