毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

生き方にぶれない軸を持つ☆☆☆

いろいろなところでよく目にするのがこの本。論語も一応読んでみたので、こちらにもトライ。
この本も現代語訳なので、思ったほど敷居は高くなかった。


渋沢栄一は、幕末から明治維新を生き、近代日本の資本主義発展に大きく貢献した人だ。大蔵省を経て数多くの会社設立に関わり、その数500以上とも言われる。このため、「日本実業界の父」と呼ばれている。
豪農の家の出で、当時の農民はそれほど学問が奨励されていなかったが、環境に恵まれて7歳から四書五経や古典を学んだという。

渋沢栄一の素晴らしいところは、私利私欲に走らなかったことで、それは彼が“渋沢財閥”を作らなかったことでも明らかだ。その歯止めになったのが論語の教え。「道徳=論語と経済活動=ソロバンを一致させる」というのが経営哲学だったという。


論語と算盤』は渋沢栄一の講演をまとめたものだ。この本はその抄訳版で、すべてが載っているわけではないが、これを読むだけでも渋沢栄一が実業家として何を信念としていたかがよくわかる。
日本はバブルの頃から極端な「利益至上主義」が横行するようになったが、こういう高い志を持った人の考えを知ることで学ぶことは多いと思う。


私が特に面白いと思ったのは、実業家らしい論語の解釈のしかただ。一般的には孔子は富と地位を嫌っていたとされるが、渋沢の解釈は違う。まっとうな生き方で得られる富や地位は否定しておらず、「正しい道かどうか」が重要だったというのだ。
他にも、さまざまな引用や解釈が出てくるが、やはり長年読み込んで実際に使ってきた人の言葉はわかりやすく、血が通っている。学問のための学問とは違い、自然に受け取れた。
論語がむずしくてなかなか読めない、という人はこの本から読んでみるといいかもしれない。

やはりフェアな生き方をした人が一番強い、と改めて感じた1冊。ブレない生き方に憧れる・探している人には役に立ちます。
私のアクション:“大きな志”を立ててみる
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以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。

「人にはどうしようもない逆境」に対処する場合には(P36)

天命に身をゆだね、腰を据えて来たるべき運命を待ちながら、コツコツとくじけず勉強するのがよいのだ。

「人の作った逆境」に陥ったら(P36)

これはほとんど自分のやったことの結果なので、とにかく自分を反省して悪い点を改めるしかない。世の中のことは、自分次第な面も多く、自分から「こうしたい、ああしたい」と本気でがんばれば、だいたいはその思いの通りになるものである。

得意な時と、失意の時(P41)

…世の中で生きて行くには…得意な時だからといって気持ちを緩めず、失意の時だからといって落胆せず、いつも同じ心構えで、道理を守り続けるような心がけていくことが大切である。

「大きなこと」と「些細なこと」(P41)

失意の時であれば「些細なこと」にも気を配ったりするものだが、得意な時になると、多くの人の思慮はまったく逆に、「なんだこれくらいのこと」といった具合に、「些細なこと」に対して特に軽蔑的な態度を取りがちになる。しかし、得意な時、失意の時に関わらず、いつも「大きなこと」と「些細なこと」への綿密な心がけを持たないと、思ってもみない失敗に見舞われやすいことを忘れてはならない。

まず「大きな志」を立てる(P51)

…一度立てた志を途中で変えるようなことがあっては、大変な不利益を被ることになる。だから、最初に志を立てる時に、もっとも慎重に考えをめぐらす必要がある。その工夫としては、まず自分の頭を冷やす。その後に、自分の長所とするところ、短所とするところを細比較考察し、そのもっとも得意とするところに向かって志を定めるのがよい。
またそれと同時に、自分がその志をやり遂げられる境遇にいるのかを深く考慮することも必要だ。たとえば、身体も強壮、頭脳も明晰なので、学問で一生を送りたいとの志を立てても、そこに経済力が伴わないと、思うようにやり遂げられないような場合もある。だから
「これなら、どこから見ても一生を貫いてやることができる」
という確かな見込みが立ったところで、初めてその方針を確定するのがよい。それなのに、きちんとした考えを組み立てておかないまま、ちょっとした世間の景気に乗じて、うかうかと志を立てて、駆け出すような者も少なくない。これではとうてい、最後までやり遂げられるものではないと思う。

次に「小さな志」を立てる(P52)

すでに根幹にすえる志が立ったならば、今度はその枝葉となるべき小さな志について、日々工夫することが必要である。どんな人でも、その時々にいろいろな物事に接して、何かの希望を抱くことがあるだろう。その希望をどうにかして実現したいという観念を抱くのも一種の志を立てることで、私の言う「小さな志を立てること」とは、つまりこのことなのだ。
(中略)
「小さな志を立てること」に対しては…
「生涯を通じて、『大きな志』からはみ出さない範囲の中で工夫する」
ということなのだ。
また、「小さい志」の方は、その性質からいって、つねに移り変わっていく。だから、この移り変わりによって、「大きな志」の方に動揺を与えないようにするための準備が必要である。つまり、「大きな志」と「小さな志」で矛盾するようなことがあってはならないのだ。この両者は常に調和し、一致しなければならない。

徳川家康の遺訓より(P136)

「人の一生は、重い荷物を背負って、遠い道のりを歩んでいくようなもの、急いではならない。
不自由なのが当たり前だと思っていれば、足りないことなどない。心に欲望が芽生えたなら、自分が苦しんでいた時を思い出すことだ。堪え忍ぶことこそ、無事に長らえるための基本、怒りは自分にとって的だと思わなければならない。
勝つことばかり知っていて、うまく負けることを知らなければ、そのマイナス面はやがて自分の身に及ぶ。自分を責めて、他人を責めるな。足りない方が、やりすぎよりまだましなのだ」

儒教「5つの道徳」(P193)

「仁」――ものごとを健やかに育む
「義」――みんなのためを考える
「礼」――礼儀を身につける
「智」――ものごとの内実を見通す
「信」――信頼される

正しい行為の道筋(P220)

人生の道筋はさまざまで、時には善人が悪人に負けてしまったようにも見えることがある。しかし、長い目で見れば、善悪の差ははっきりと結果になってあらわれてくるものだ。だから、成功や失敗のよし悪しを議論するよりも、まず誠実に努力することだ。そうすれば公平無私なお天道さまは、必ずその人に幸福を授け、運命を開いていくよう仕向けてくれるのである。