まとめて読んでみたい、と思って図書館で借りてみた。
翻訳者のあとがきの他に、解説が別についていた。
昔から先に「あとがき」を読むくせがあり、何となく解説も先に読んだのだが、そのおかげでアランという人とこの本の全貌がよくわかった。
現代哲学では形而上学的思索の反作用として身体論・気質論が復興しているが、アランの思索は、それ以前の、より基本的形としての「人間の生の根幹はその身体と、身体に深く結びついた精神によって形づくられる」という<理>(レゾン)に導かれている。そして身体は季節と天候と時間の推移を具体的に備えた地上の生活と分かちがたく結びついているのである(P296)。〜辻邦生氏の解説より〜
ここだけ読んでもわかりにくいかもしれないが、つまり哲学者の崇高な理論ではなく、アランの言う幸福とは“生活に根付いた、もっと言えば体に直結したもの”なのだ。
アランというのはペンネームで、実際は、生涯リセで哲学を教える教授だったという。
学校での仕事とは別に小エッセイを連載しており、独自のスタイルを作ったそうだ。
この幸福論も、短いエッセイを集めた形になっているので読みやすい。すべての文章の最後に日付が書いてあるが、書いた順番ではない。内容によって並べられているようだ(が、これに関する記述は解説にもなかった)。
実は、アランは「考える前に行動する」ことが幸福のカギと考えていたようだ。この本全体を通して、この考えが貫かれていると言ってもいい。
何となく、“日がな1日、書斎で思考を巡らせる哲学者”をイメージしていたので、あまりのギャップに驚いたくらいだ。
不幸はやってくるものではなく、自分の中から出てくるもの。行動すればほとんどが消えるという。
不安・恐怖も実は自分の身体と結びついている、とアランは主張する。彼に言わせれば、人は感情や気分を独立したものとして重要視しすぎなのだそうだ。
その根拠としてあげられていたのが次のエピソード。
2週間ごとにくり返す躁鬱病のある患者の血液を調べたところ、気分の上下と血球の増減が一致していたという。つまり、体調による気分の変化だった、というわけだ。
体を動かすことで気分もよくなる、とアランに言われるとは思わなかった。まるでトレーナーの本みたいだ。
イメージとはずいぶん違ったが、この本を読むと「むずかしいことは考えるのをやめて、とりあえず動こうかな」という軽い気持ちになれる。
考えすぎてしまうタイプの人に、特にお勧めです。
私のアクション:Don't think,act!
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以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。
観念によって苦しみ、行動によって癒える(P34)
想像力の悪影響から身を守るには(P42)
まず第1に、できるだけ満ち足りた気持ちでいることだ。第2には、自分の肉体そのものを対象とした心配、生命のすべての機能を確実に混乱させることになるような心配を、追い払うことである。
どんなしかたでもいいから出発することが必要なのだ(P74)
それから、どこへ行くかを考えればいい。
必要なのは、かたづけ、簡単にし、とり除くことだ(P78)
手の届くところだけを見ていればいいんだ(P90)
物事の手のつけられぬ厄介さを考えたら、全然動きが取れなくなる。だから、まずやってみて、それから自分の行為を考えることだ。石工を見るがいい。しずかにハンドルを回している。大きな石はかすかしか動かない。ところが、やがて家はできあがり(以下略)。
すべては、やがては忘れられる(P101)
現在というものには、いつも力と若さとがある。そして、人は確実な動きをもって現在に順応する。
「考えてばかりいる人間は堕落した動物である」(P123)
※ジャン=ジャックのことば
富というものには2種類ある(P149)
座らせておく富は退屈のもとだ。人を喜ばせるのは、さらに計画や仕事を欲する富である。それは、百姓が欲しくてたまらず、ついに自分のものにした畑のようなものだ。人を喜ばせるのは力、それも休息している力ではなく、活動している力だからである。何にもしない人間は、何にも好きにならない。
いやなことを我慢するのではなくて進んで行う、これが心地よさの基礎である(P151)
自分の意志に従って朝から晩まで働くならば、彼らは決して退屈しないだろう(P156)
想像した幸福は決してわれわれの手には入らない(P161)
実行することの幸福は決して想像されたものではなく、また想像しうるものでもない。それは断じて実質的なものに他ならない。
自分の持っている希望しか、人にはやれない(P183)
自然の成り行きに期待し、未来を明るく考え、そして生命が勝利を得ることを信ずることが必要だろう。これは普通思うよりも、ずっとたやすい。自然なことだからだ。生きとし生けるものは、生命が勝つものと信じている。
幸福の秘訣のひとつは自分自身の不機嫌に対して無関心でいることだ(P208)
自分の過失、自分の悔恨、反省によるあらゆるみじめさから身をひきはなすことだ(P208)
「この怒りは、なくなりたい時には、ひとりでになくなるだろう」と言うことだ。
人間には、自分以外にはほとんど敵はいない(P210)
人間は、自分のまちがった判断や、杞憂や、絶望や、自分に差し向ける悲観的言動などによって、自分自身に対していつも最大の敵なのである。
礼儀正しいとは(P262)
すべての身ぶり、すべての言葉によって、「いら立つまい。人生のこの瞬間を台なしにすまい」と言うか、表情で示すかすることである。
喜びに向かうすべてのものは、また健康へ向かうものだ(P266)
悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意思のものである(P287)
↓解説より
身体についても<理>(レゾン)はある(P297)
暴飲暴食は健康に悪い。昼夜顚倒した生活は神経を休ませない。過剰な緊張は内臓に悪影響を与えるなどなど。この場合<理>(レゾン)とは、自然の法則的な事実に他ならない。フランス人の<生の正しい方向性(サンス)>と呼んだものは、多くこの自然の法則的事実に照らしてその<正><非正>を判断する。アランの判断基準もこの自然の法則的事実にぴったり寄り添っている。つまりフランス人の生活感覚の<理>(レゾン)に従っているのである。
上機嫌法(P299)
呪いの言葉でも言いたくなるようなすべての不運や、とりわけつまらぬ物事に対して、上機嫌に振る舞うこと。