私はあまり「超訳」というものを信用していないのだが、この本は小池龍之介さん編訳だったので、読んでみた。
仏教には教典というものがたくさんある。それがすべて原語は「パーリ語」で書かれたもの。お経としてポピュラーなものはあの“漢字の羅列”になるが、それすら触れる機会は僧職にある人を除けばほぼゼロ*1で、教典なんて普通の人は一生触れることもない。
そう考えれば、この本は「仏教に縁のない一般の人がブッダの教えに触れられる貴重な機会を与えてくれる本」だと思う。
小池さんによれば、ブッダが教えたのは心を操縦するための心理学とトレーニングメソッドであり、実は自分の教えているのは宗教ではない、と示唆するような言動さえあるのだとか。
そう考えれば、自分が何を信じているかにかかわらず、この本を読めば心の扱い方のヒントがもらえるはず。
12のテーマに分かれていて、ひとつひとつは短いのでさらっと読める。必要だと思う章から読んでもいいし、パッと開いたところを読むというのでもよさそうだ。
内容によっては仏教の基礎知識があった方がわかりやすいかも、というところもあるが、知らなくても心に響く。
小池さんご自身がふだんから迷ったり心が弱った時によく口ずさむもの*2を中心に選んであるからだろう。
個人的には、何度か出てくる「まあ、いっか」が力になりそうだ。「まあ、いっか」と思える心が持てれば、いろんなことがラクになるなあと思えた。
分厚い本ですが、気軽に読めます。心が弱った時、頼るものがないと感じた時にどうぞ。
私のアクション:「まあ、いっか」を口グセにする
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以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。
もし誰かにいやな目に遭わされたら(P1)
皮肉なことに、敵を悩ませるための最高の「イヤガラセ」は君が怒らずに朗らかにしている、たったそれだけのこと。
悪口を言われない人はいない(P4)
この世のどんな人でも、必ずどこかで誰かの怒りを買っている。誰かに悪口を言われるのが当たり前。
昔も今もこの先も、未来永劫、それは当たり前の事実なのだから、悪口なんて涼しく聞き流すのがよい。
攻撃には「肩すかし」をもって返す(P8)
他人から攻撃された時、君もまた攻撃をもって返すなら、君の中の恨みも相手の中の恨みも静まることなく増幅し合い、無限に連鎖してゆくことになる。
攻撃を受けても、「まあ、いっか。恨まないよ」という肩すかしを投げ返すなら、互いの恨みは静まり安まる。
これは、永遠の普遍的真理。
自分の心の主人たれ(P133)
君は、君の心の奴隷であることなく、
君の心の主人であるように。
君こそが君の最後のよりどころ。
自分以外の何ものにもすがらず、自分の心を調教する。
まるで自分の子馬を丁寧に調教するかのように。
心穏やかな日々の理由(P134)
ほかならぬ自分によって自分を励まし、
自分によって自分を諫める。
そのように、自分によって自分を守り、
自分の内側を見つめていけば、
君はいつだって心穏やかな日々を送る。
君にもいずれ、死が訪れる(P183)
君にもやがて体が崩壊し、死が訪れる時がくる。
その崩壊の時が来る前に、君に話しておくべきことがある。
「欲しい欲しい、足りないよー」という欲望を手放して、安らぐこと。
過去から溜め込んできた記憶への執着を手放して、
軽やかに、今この瞬間をよけいなことを考えずに生き抜くこと。
そうすれば、すべてのことに「ま、いっか」と
心はすこぶるやわらかくなるだろう。