先月『古典を楽しむ―私の日本文学』を読んで面白かったので、次は何を読もう、と図書館のリストを調べたところ、比較的借りやすかったのがこちらの自伝。「サワコの朝」でご自身のお話を聞いていたので、読みやすいかと思い借りてみた。
めまいがするほど豪華な登場人物だらけだった。
ドナルド・キーンさんはニューヨーク出身。1922年生まれなので、今年91歳になられる。東日本大震災を機に、日本に帰化し、永住することを表明。約1年後に日本国籍を取得されている*1。
この本では、タイトルの通り、生まれてからのことが順番に綴られている。当然のことながら、このお年なら、第2次世界大戦は経験しておられる。
戦争が始まった時は大学生*2で、平和主義のキーンさんは現実逃避のように偶然巡り合った源氏物語の英訳本にのめり込み、そこから日本への憧れが始まったそうだ。
日本語を必死に勉強し、兵隊にはなりたくなかったので日本語通訳を養成する海軍日本語学校へ入学。卒業後は通訳として各地に赴く。最後に半ば強引に横須賀に行くが、しばらくして本国へ帰還。この時の滞在は短期間で終わったという。
その後大学に戻り、苦労の末留学生として京都に来日。その後、行ったり来たりを繰り返し、アメリカの大学で教えながら、夏休みの間は日本に滞在という過ごし方がパターンとなった。
ご自身が専門としていたのは中世・近代の文学だが、自然と文壇とも近くなり、「文学史」の教科書に太字で出てくるような人物が山のように登場する。
三島由紀夫、川端康成、大江健三郎、安部公房。司馬遼太郎や有吉佐和子。ちらりと触れただけの人もあるが、三島由紀夫とは特に親交が深かったそうで、自決に至る流れが友人の目で書かれているのを読むと背筋が寒くなるようだった。
また、「川端康成を自殺に追い込んだのはノーベル賞だ」という説があるそうだが、それを裏付けるような話もあり興味深い。
ほかにも関わった作家は多かったそうで、「なぜ日記をつけておかなかったのか」と後悔されていた。
この時代を生きてきた人の自伝はそれだけで貴重だと思うが、キーンさんの場合はこういう表現が適切かわからないが、言わば「日本文学史の生き証人」だ。
その役回りを日本人ではなく、日本人以上に日本を愛するアメリカ人が引き受けることになった、というのも面白い、と思う。
日本にたくさんの友人がいたというキーンさん。それはきっと、ご自身のお人柄によるものだろう、と読んで思った。ご自身にとって都合がよくなさそうなことも率直に書いてある*3。
日本に対する深い理解と愛情も、日本人のひとりとして感謝と尊敬の念を抱いた。
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読書日記:『古典を楽しむ―私の日本文学 』
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