※文庫版あり→『儒教と負け犬 (講談社文庫)』(¥500)
この本は先に読んだ『ニュースの裏を読む技術』で「晩婚化」を検討する時に資料として使われていた1冊だ。
タイトルを見て「儒教と晩婚化に何か関連性が?」と興味が湧き、さっそく読んでみた。
◆目次◆
負け犬の旅、始まる
「老処女(ノチョニョ)」を巡るソウルの旅
「余女(ユーニュイ)」を巡る上海の旅
儒教と負け犬
負け犬三都調査
負け犬たちの希望
あとがき
この本は、月刊文庫情報紙『IN☆POCKET』2007年2月号から2009年2月号連載に加筆訂正し、書き下ろしを加えたもの。
本書は、儒教の残滓が東アジア儒教圏の三国に晩婚化と少子化をもたらしたのではないか、という私の仮説に基づいて書いたものです(P229)。
目次を見ればわかるが、著者・酒井さんが「近隣の国での“負け犬”事情はどうなんだろう?」と思われたことをきっかけに、実際に韓国・中国に渡って調査及びグループインタビューを試み、それを元に書かれたものだ。
※ちなみに、「負け犬」の定義は“30代以上・未婚・子なし”の女性。
儒教の影響があるのでは、というのは酒井さんの仮説だそうだが、これがただの思いつきではないことが次第にわかってくる。
中国・韓国の事情も興味深いが、私がなるほど、と深く納得したのが「女大学」という書物をめぐる洞察だ。
日本において儒教が最も発達するのは徳川期とされていますが、封建社会下において、その基盤をなしていた「家」を存続させるため、女子に対して心構えを説いたのが「女大学」的な書(P153)。
この「大学」というのは今の教育機関の大学ではなく、当時儒教の経書「大学」を学ぶことが男子の基本だったので、その女バージョン、という意味のようだ。
この「女大学」というのが男尊女卑の極みの内容で、今読むとだんだん腹が立ってくるような代物。
その一方で、これをよくないと考えていたのが福澤諭吉。従来の「女大学」を批判する『女大学評論』を発表し、自ら『新女大学』という、新しい時代の女性が身につけるべき心構え集も書いている。
著者は、従来の「女大学」を最初に書いた貝原益軒と、新しい女性を説いた福澤諭吉のダブルスタンダードが晩婚化を招いたのでは、と考える。
…「新女大学」は確かに女性にとって有り難い心得ではあるが、一方でその前の二百年を支配した「女大学」の教えはそう簡単に抜けるものではなく、貝原益軒に右手を、福澤諭吉に左手を引っ張られているような状態は、今も続いているのではないか。いやむしろ、百年もの年月が経った分、右手と左手の距離はうーんと離れてしまい、どちらに行っていいかわからないからこそ、晩婚化や少子化は深刻化したのではないか(P166)。
確かに、男女机を並べて学んだ私たちは基本的に男女平等だと思っている。だが、飲み会に行ったらお酌をしなければとそわそわしたりする*1。平等なんだからどちらがたくさん稼いでも、どちらが決断してもかまわないはずなのに、男性に経済的安定を求めたり、何となく大きなことは男性に決めてもらいたいと思う。しかも、無意識に思っているからよけいに厄介だ。
「儒教」なんてせいぜい歴史の教科書で読むくらいで自分には関係ないと思っていたのにこんなところに根強く残っていたのか、と目がウロコが落ちる思いだった。
調査・分析の手法は学術的ではないのかもしれないが、社会学や人類学的にも素晴らしい考察なのではないだろうか。
また、改めて酒井さんの筆力には感嘆した。緩急自在、読みやすく面白いのに鋭く切り込んでいくのはさすが。他の本も読んでみたくなった。
私が書くと肩肘張った内容に聞こえるかもしれませんが、肩のこらない楽しく読める本です。負け犬予備軍ももう関係ないわよ、という方も、ぜひ気軽に読んでみてください。自分の中のダブルスタンダードの源泉がわかるとスッキリしますよ。
私のアクション:『負け犬の遠吠え』も読んでみる
※この本のメモはありません
*1:今はないかもしれませんが、私たちが社会人になった頃はまだそういう空気がありました