私は『ねじまき鳥クロニクル』*1が出た頃、それまでの評論*2をまとめて読んで「評論を読んでもつまらないな」と感じてから、この手の本は避けてきた。人に村上春樹作品についてとうとうと語ってもらっても、ちっとも楽しくないからだ。
では、なぜこの本を読んでみようと思ったか。それには理由があった。
◆目次◆
はじめに――ノーベル文学賞受賞のヴァーチャル祝辞
1 翻訳家・村上春樹
2 村上春樹の世界性
3 うなぎと倍音
4 村上春樹と批評家たち
5 雪かきくん、世界を救う
あとがき
それは、先に読んだ翻訳家・柴田元幸さんの『代表質問』に収められている内田樹さんのインタビューが、この本の出版を機に行われたものだったからだ。
読みながらうなってしまうほど、よくできたインタビューだった。内田先生の語る言葉ひとつひとつが、今までもやもやした形のないものを「これでしょ?」ときちっと言葉にして差し出してくれるよう(もちろん、それを引き出した柴田さんの手腕もすごいんですけどね)。言語化の天才だ、と思った。
好きなもの(本でも、絵でも、音楽でも)について考える時、よく思うことがある。
「私はこの○○が好きだけど、これって一般受けするのかな」
何というか、“たまたま自分は気に入っているけど、爆発的に人気が出るような感じはしない”と思ってしまう*3のだ。
畏れ多くも村上作品にもずっとそんな気持ちを持ってきた。村上さんの場合は特に、海外でも広く読まれていて、なぜ西洋でも東洋でも普遍的に受け入れられているのかずっと不思議に感じていた。
それが、このインタビューでクリアになったのだ。なるほど、これならキリスト教が根底にある西洋社会でも受け入れられる、と腑に落ちた。
それで、内田先生は村上さんの作品をどう受け止めて理解しているのか、もっと詳しく知りたくなったのだ。
実はこの本を読んで、多くの人が村上さんの作品をそれぞれ「自分の物語」として読んでいることを知った。つまり、上の私のように感じている人がたくさんいるというわけだ。そのための方法もテクニックも、実は作品にはかくされているという。
全編、村上作品を愛する人にはたまらない面白さだ。たくさんの作品から共通するエッセンスをすくい上げ、「朝食」の役割について語り、まったく別の素材と村上さんの世界に共通するものを読み解き、思いがけない切り口で魅力をさらに引き出してくれる。文章も軽妙で、時々くすりと笑える。
中でも好きだったのが「雪かき」に関する考察。
「雪かき」は『ダンス・ダンス・ダンス(上)・(下)』に出てくる言葉で、フリーライターをしている主人公がある女性に自分の仕事を説明する時に「文化的雪かき」と表現していたことに端を発する。
そこに文字が書いてあれば内容は何でもいい。でも誰かが書かなくてはならない。だから自分がやっているのだ、雪かきと同じようなもの。文化的雪かき。
といった説明だったと思う(すみません、本が手元にないのでうろ覚えです)。
内田センセイは家事も「雪かき仕事」だ、と書かれていた。
人間的世界がカオスの淵に呑み込まれないように、崖っぷちに立って毎日数センチずつじりじりと押し戻す仕事。
家事には「そういう感じ」がする。特に達成感があるわけでもないし、賃金も払われないし、社会的敬意も向けられない。けれども、誰かが黙ってこの「雪かき仕事」をしていないと、人間的秩序は崩落してしまう(P28)。
この「雪かき仕事」については何度もくり返し出てくるし、村上さんの世界で重要な位置を占めると考えておられるようだ。
今までそんな風に受け止めていなかったので、とても新鮮だった。
※この本に収められた原稿の元になったブログ記事がまだ読めるので、参考までにリンクを貼っておきます。ここでも「雪かき仕事」に言及しています。
After dark till dawn――内田樹の研究室
村上さんの作品を愛する人にとっては、楽しく読める本だと思う。たまたま内田センセイと趣味が合っただけ、なのかもしれませんが。
まずこの本を読み、そこからたどって小説を読んでいくのも村上ワールドへの入り方として「アリ」かも。
続編も出ているので読んでみよう。
私のアクション:『もういちど 村上春樹にご用心』を読む
以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。※メモに関してこちらをご覧ください。
(P27)
家事は「シジフォス」の苦悩に似ている。どれほど掃除しても、毎日のようにゴミは溜まってゆく。洗濯しても洗濯しても洗濯物は増える。私ひとりの家でさえ、そこに秩序を維持するためには絶えざる家事行動が必要である。少しでも怠ると、家の中はたちまちカオスの淵へ接近する。だからシジフォスが山の上から転落してくる岩をまた押し上げるように、廊下の隅にたまってゆくほこりをときどき掻き出さなければならない。
(P29)
世の中には、「誰かがやらなくてはならないのなら、私がやる」というふうに考える人と、「誰かがやらなくてはならないんだから、誰かがやるだろう」というふうに考える人の2種類がいる。
「キャッチャー」は第一の種類の人間が引き受ける仕事である。
(P30)
家事はとても、とてもたいせつな仕事だ。
家事を毎日きちきちとしている人間には、「シジフォス」(@アルベール・カミュ)や「キャッチャー」(@J・D・サリンジャー)や「雪かき」(@村上春樹)や「女性的なるもの」(@エマニュエル・レヴィナス)が「家事をするひと」の人類学的な使命に通じるものだということが直感的にわかるはずである。
(P66)
誰もがやりたがらないけれど、誰かがやらないと、あとで誰かが困るようなことは、特別な対価や賞賛を期待せず、ひとりで黙ってやっておくこと。そういうささやかな「雪かき仕事」を黙々とつみかさねることでしか「邪悪なもの」の浸潤は食い止めることができない。
(P67)
仕事はきちんとまじめにやりましょう。衣食住は生活の基本です。家族はたいせつに。ことばづかいはていねいに。
というのが村上文学の「教訓」である。