今月はじめに読んだ『禅、シンプル生活のすすめ 』とほぼ同時に図書館で予約していた本。
「心の大そうじ」とあるように、心をきれいにするための教えが書いてある。
◆目次◆
はじめに 禅語を活かして「シンプルに生きる」
1章 【上手に「気持ちを整理する」禅のヒント】あなたの「心の荷物」をスッとおろすコツ
2章 【毎日を「丁寧に生きる」禅のヒント】挨拶、食事、整頓……シンプル生活のすすめ
3章 【「人間関係がうまくいく」禅のヒント】すべての出会いは「かげがえのないもの」
4章 【「仕事の悩みが晴れる」禅のヒント】「頑張る」よりも、「心の持ち方」を変える
5章 【「一生の支えになる」禅のヒント】こう考えれば、人生はけっして難しくない
禅語がテーマ。5つの章、92の言葉をやさしく教えてくれる。
この本もひとつの言葉を見開き2ページで解説してあるので、パラパラと気軽に読むこともできる。
先に読んだ『禅、シンプル生活のすすめ』と一部ほぼ同じ内容もあるが、大切なことなので繰り返し書いてあるのだ、と素直に読めた。
著者によれば、禅寺に行かなくても、坐禅を組まなくても日々心を洗い、修業することは可能だという。1日のすべてのことを丁寧に心を込めてやることが修業になるという、「日々是道場」という言葉もあるそうだ。
むずかしく考えず、読んで気に入ったことをいくつか生活に取り入れるだけで、心穏やかに暮らせそうだ。
私は『禅、シンプル生活のすすめ 』の方がより心に響いたが、読む順番によるものかもしれないし、人によっても好みがあると思う。
迷ったらぜひ店頭で見比べて決めてください。読むだけで心が洗われます。
私のアクション:カッとなったら「ありがとさん」と3回言う
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以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。※メモに関してこちらをご覧ください。
自分なりの心を洗う方法を決めておく(P33)
…食事の前にそっと手を合わせるとか、起きたら窓を開けて朝の大気を胸いっぱいに吸い込むとか、たったそれたけで気持ちがシャキッとして心地よくなる。
そんなあなただけの“心洗法”を持っておく。
「ほどほどに」生きる(P43)
…まず、今を「ありがたい。もう、充分だ」という気持ちで受け止めればいい。その気持ちでいたら、むやみに周囲に惑わされることもなく、いつも心が豊かで充実した生活が送れるはず。
その中で自然に手に入るものは、ものでも人の輪でも地位でも、拒否する必要はない。入ってきたその時々で「もう充分」と受け止め続ければよい。
大声で喝を入れる(P47)
腹の底から絞り出す大きな声で一切のものを打ち払うのが喝。「いつまでもひとつのことに悩むな。吹っ切れ!」ということ。
…本当に「喝」と声に出さなくてもよい。もっと身近な言葉、「よし!」でもいい。
忙しくても、お茶でひと息つく(P53)
――喫茶去(きっさこ)
悟りを開く道などない、一杯のお茶を飲む時は、ただ無心にお茶を飲むことに集中している。何度もないこと、当たり前のことを、他に気を取られることなくひたすらやる。それこそ、もう悟っていることなのだ――これが、この禅語の意味。
無理して答を出そうとしない(P61)
本当のところは、いくら考えてもわからない。それぞれが悟る以外にない。いつもでも考えあぐねているより、悟れる機が熟すまでほったらかすのも、ひとつの手。
運命にまかせきる(P69)
――行雲流水
禅では修行僧のことを「雲水」という。これは「行雲流水」が略されたもの。修行僧は、雲が行くがごとく、水が流れるがごとく、居場所を定めず、師を求めて旅を続けることから、この呼称が生まれた。
(中略)
私たちも、「自分はこのままでいいのだろうか」などと、今かかわっていること、やり続けていることを疑っても仕方がない。自分を信じて、そしてまかせきったら、おのずから結果はもたらされる。
マイナス感情が頭に上る前に「お腹にとどめる」(P71)
※総持寺元貫首・板橋興宗禅師のことば
「頭で考えるな」――欲しいと思っても、怒りの感情が湧いても、あるいは、おろかな言動をしてしまいそうな時も、お腹だけにとどめて、頭まで持って行くな、ということ。
そのコツが「ありがとさん」と3回唱えること。
他の言葉でもよい。厄介な感情が湧いてきたら、自分で決めた言葉を3回言って、間を置いてみる。すると、冷静さが戻ってお腹にあったものが消える。
食べることも、寝ることも「修業」(P75)
――歩歩是道場
禅では日常生活のあらゆる場面、生きている一瞬一瞬、人生の歩みの一歩一歩が、すべて“道場”だと考える。だから、行住坐臥、つまり、日々の振る舞いの1つひとつは“修業”。目覚めて顔を洗うことも、食事をすることも、仕事をすることも、そうじをすることも、眠ることも修業。それを端的に言っているのが「歩歩是道場」という言葉。
(中略)
1つひとつの行動に、心を込めて真剣に向き合う。気を引きしめて必死に取り組む。それ以外に、あなたの道場を活かしきる方法はない。
何事も入口が肝心(P85)
玄関は「玄妙に入る関」が元来の呼び名。奥深い道理、絶対的な真理に入っていく関所という意味。
大事な場所に入る関所なので、常にきれいに掃き清められ、履き物も一切の乱れなく整えられていたのは当然。禅寺で特に玄関の整理整頓を厳しくいうのは、こうした背景があるから。
「何でも自分でやる」という心意気(P97)
――1日作(な)さざれば1日食らわず
…自分でやらなければ自分の修業にはならない。何事も自分でやるから、はじめて身になる、という真実が隠れている(以下略)。
千利休の茶の精神を表す「和敬清寂」(P139)
和…人にも自然にも和み、逆らわないこと
敬…すべてに敬いの心を持つこと
清…一点の塵も汚れもない清い佇まいと心でいること
寂…煩悩にとらわれず、静かで動かない心でいること
考えるから迷う。技巧を凝らそうとするから、執着が生まれてしまう(P207)
――無心帰大道(むしんなればだいどうにきす)
「無心帰大道」の「無心」はいかなる作意もなく、身体だけが動いている状態のこと。そんな無心の状態にあってはじめて、自分の本当の力が出ると言える。