毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

『養生訓』の教えを現代に活かす☆☆☆

養生事始 ―自愛の手引書
玄侑 宗久
清流出版(2012/07/06)
¥ 1,400+税

五木寛之さんとの対談をまとめた『息の発見』の中で、話題に上っていたのが貝原益軒の『養生訓』。
読んでみたいと思っていたら、実は玄侑さんがこんな本を出されていたのだ。
さっそく図書館で借りて読んでみた。


◆目次◆
お大切
内慾を去って天年を保つ
身は心のやっこなり
短く深い、上質なねぶり
「重くなった」睡眠法
昼寝の功罪
呼吸と丹田
氣と息
私の呼吸法
雷と正坐〔ほか〕

この本は、雑誌の連載をまとめたものだ*1

気軽に読めるエッセイ形式で、益軒先生は『養生訓』にどんなことを書いてあるのかが解説してある。ただ、そのままでは面白くないので、著者が体験を元にさまざまに考察を加えてある(現代語訳ではないのでそこはご注意ください)。
そのまま取り入れるには住環境の違いや、季節感や食べものも今は違っているので、意外にむずかしい。
豆腐と薬味に関する回など、『養生訓』ではあれはダメこれはダメ、と言われた上に内容が矛盾しているので著者もお困りの様子が妙におかしかった。

さらに、著者も書かれていたが、添えられているイラストがほのぼのとしてとても和む。毎回きちんと内容に沿っているので、何が描いてあるのか楽しみだ。

 

――と、気楽に読める健康エッセイ、と言いたいところだが、やはりこの本にも大きく影を落とすのが東日本大震災だ。

放射能と光ガード瞑想法」(P167)という回以降、しばらくはまったくトーンが違う。その後は元の感じに戻ろうと努められているが、かすかに影響が感じられるのは、しかたのないことだろう。

 

この本のサブタイトルは「自愛の手引き」。著者は他の作品でも「自愛」という言葉をよく使われているように思う。
その真意が、あとがきにあたる最後の項「『自愛』の作法」にあった。

 …どうか氣を取り直し、「自愛」を始めてほしいのだ。
 今やこの国には、被災者ばかりでなく、「自愛」すべき人々が大勢いる。国や行政がどんなに立派な施策を実現したとしても、我が身は「自愛」するほかに、守りようがないのである。
 この本は、いわばさまざまな「自愛」の仕方を紹介したものだ。「お大切」という、他者への温かな心情を、少しだけ自分に振り向ける「手」についても述べている。生きにくさを感じる世の中にあって、今はそうして自分のからだに意識を密着させ、内慾を避けて、外邪を遠のけることこそ肝要ではないか(P225)。

震災後のさまざまなご苦労を経て、著者がたどり着いた心境が伝わってくる。

 

時々くすりと笑いながら、楽しんで自分を慈しむ方法を知ることができる本。
この機会に、ぜひ「自愛」を始めてみてください。
私のアクション:毎朝、光ガード瞑想法をやる※下のメモにあります

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読書日記:『息の発見』五木寛之さんとの対談)
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以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。※メモに関してこちらをご覧ください。

体は動いて陽、体は静まって陰が望ましい(P20)

『養生訓』には「心は身の主(あるじ)なり。しづかにして安からしむべし。身は心の奴(やっこ)なり。うごかして労せしむべし」とある。

主は命じたあとは必ず見守らなくてはならない(P20)

これは社長と社員の関係に似ている。ああ、やってるねと、声はかけなくても温かなまなざしを向けるだけでいい。それだけで社員のやる氣は見違えてよくなる。同じように、今動いているからだの部分に逐一自分の意識を向けてあげるのである。

頭脳労働の場合は、体を動かす仕事よりも少し多めに眠った方がよさそうだ(P24)

眠りにくければ、熟睡状態を自分で作ってしまう(P26)

閉じた瞼の内側を睨んでいたら眠れないので、目線を水平線より少し上に運び、ゆっくり左右に揺らす。

「重くなった」睡眠法(P28)

まず右脚に意識を向け、その脚ぜんたいが「重くなった」と念じてみよう。…すでに「重くなった」と完了形で念じるのである。…ほどなく右脚は重くなってくる。「持ち上げられないくらい重くなった」と念には念をしれて念じよう。するとアラ不思議、右脚は重くなるだけでなく、ぽかぽか温まってくる。要するに、重くなるということは毛細血管が開いたということだから、盛んになった血流が脚を温めたのである。
右脚が済んだら左足、そして右手、左手、さらには腰や肩、首へと意識を動かしてくる。次々に脱力して布団に全身が密着してくると…ヒト型の寝型ができるという寸法である。
慣れてくれば、全身いっぺんに「重くなった」と思うことも可能になる。そうなると、「重くなった」と言葉で念じなくても、いきなり体の裏側ぜんたいがたとえば1枚の鉄板になり、シーツにめり込む画像を浮かべてもいい。
(中略)
どうしても部分的に力が抜けないという方は、いったん全身に力を込め続け、そのあとで一氣に脱力してみたらいい。

首前後の筋肉のバランスを取る(P30)

横になって、テレビを視ながらでもいいから枕をはずし、後頭部を5センチほど布団から浮かしたまま保つ。ふだん首の前側の筋肉はほとんど使っておらず、背面だけを使うためにうなじが凝る。これは首の内側の筋肉を鍛える運動である。しばらくすると震えが来ると思うが、そのくらいまで辛抱してみよう。前後の筋肉のバランスが取れれば首の凝りもなくなるはずである。

眠い時、心騒ぐ時、寒い時の呼吸法(P51)

眠い時は、吐く息が眉間から出ているとイメージする。
心騒ぐ時はふつうに丹田から出ていくイメージでいい。
寒い時は、丹田で温まった息が背筋を上がり、それが両肩から両腕に下がり、さらには肘を通過して掌から出ていくと思ってみよう(坐禅の姿勢をとる)。

目の養生法(P93)

時々両手を熱くなるほどこすり、その手を両目に載せることも勧めている。「すり温めた」手で目を温め、さらに髪の生え際から下へと二七(=14回)もなでる。
「事なき時は、つねに目をひしぎて宜し。要事なくんば、開くべからず」とある。特別見るべきものもない時は、目を閉じているべきだというのである。

光ガード瞑想法(P170)

みぞおちに輝く太陽があると思い、その光が全身の細胞をちょうど「卵かけご飯」のように金色に包んでいくイメージを、くり返し思い描く。

我慢は仏教の「七慢」のひとつ(P219)

自分の考え方にこだわる傲慢さほど体に悪いものはない。医師に求められる臨機応変の力が、養生する患者自身にとっても大切だということだろう。

*1:そのため、タイトルがバラバラで章だてもなく、目次は一部のみ載せる形になっています…