毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

目の前のことに、ただ集中する☆☆☆

これまでに何冊か読んでいる、枡野俊明さんの本。禅宗のお坊さんで庭園デザイナーでもある枡野さんの本は、平易な言葉で書かれていて、読みやすくて一般人でも取り入れやすい。
“生活の基本”という言葉に惹かれ、図書館で借りて読んでみた。


◆目次◆
はじめに
1章 「人生をポジティブに変える」20の言葉
2章 「心の持ち方」を変える20の言葉
3章 「明日への不安」が消える10の言葉
4章 「大事なこと」に気づく20の言葉
5章 「毎日を充実させる」20の言葉

以前読んだ『禅、シンプル生活のすすめ 』と同じ文庫のシリーズなので、体裁もほぼ同じ。見開き2ページにひとつの言葉について書かれているが、右ページはタイトルだけなので、文章はわずか1ページ。
その中に、ギュッと禅のエッセンスが詰まっている。

慌ただしく毎日を過ごしていると、同じことの繰り返しだと特に気にも留めず流したり、逆にマンネリを感じたりしてしまう。ところが、禅では捉え方がまったく違う。

 禅は、生活のあらゆることを修業だと考えます。
誰もが日常的におこなっていること、そう、寝て起きて、食事をして、仕事をこなして……といった場面がすべて修業。その一つひとつが禅の発想や知恵の実践なのです(P3)。

…禅の発想も知恵も、じつは「前向きな心」をつくるためにあるのです。
(中略)
 その塵を払ったところにあるのが「本来の自己」、まといついていた余計なものがなくなって、自由に動き出せる心といってもいいでしょう。
 生活のなかでその心を見つける。それこそが禅的な生き方の基本です(P6)。

考えようによっては、お寺で修業しなくても、坐禅を組まなくても、日々の生活を意識するだけで、充分修業になるのだ。
この禅的な心がけがあれば、毎日の感じ方がずいぶん違ってくるはずだ。

しかも、禅宗といったら何だか修行が厳しそう…と思うが、枡野さんは
“グズでいい。なまけてもいい。”
と書かれているので驚いた。目の前のことに集中し、メリハリをつけた生活をすることが大切なのだそうだ。
今まで読んだ枡野さんの著書の中で、この本が一番読みやすく、心に染みた。

また、今まで何度か目にした「やらないことリスト」の意味が、この本を読んで初めてきちんと理解できた。
「やりたくないこと」とは、自分が面倒だから避けたいといった意味ではなく、たとえば“人を裏切ってまで利益を求める”というような、自分の生き方の根底にかかわることをリストアップすればいいのだ。なるほど。
枡野さんはそういった「譲れないこと」をリストアップしておいて、それに抵触しなければ新しいことに思い切って飛び込んでみるよう勧めている。これなら新しいことにも挑戦しやすくなると思う。


目次でわかる通り、テーマごとに章が分かれているので、今の自分に必要なところから読むこともできるし、パッと開いたページを読んでみる、という使い方もできる。
心がざわついたり、イライラしている時も、読むだけで気持ちがすーっと落ち着く。「読む鎮静剤」としてもおすすめです。
私のアクション:何かにひたりきり、他の一切を“なまける”時間を持つ

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以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。※メモに関してこちらをご覧ください。

朝の10分間、そうじをしてみる(P21)

坐禅はむずかしくても、朝の10分間、そうじをしてみてはいかがでしょう。
(中略)
あれもこれもではなく1カ所と決めることでそこに集中できますから、心がしずまり、ととのっていきます。
そんな朝の10分間を、暁天坐禅(=朝のお勤めの前に行う坐禅)にも劣らない、善因、良因をもたらすあなたの習慣にしませんか?

“なまけ者の努力”があってもいい(P23)

精進といっても、なにも禅僧のように自分を厳しく律し、ひたすら修業に励むことだけをいうのではありません。努力も、脇目もふらずそのことに打ち込まなければその名に値しない、というものではないのです。“グズの精進”や“なまけ者の努力”があっても、ちっともかまわない。

簡単な「決まり事」をつくる(P27)

禅の修業の基本は、「毎日、同じことをやる」ということです。起きる時間も、洗面の時間も、食事の時間も、また、そうじや読経、坐禅などお勤めをする時間も、就寝時間も……。すべて決まっていますし、それぞれのやり方(顔の洗い方や食事の作法など)も決められています。同じことを同じように行い、それをずっと続けていく。
頭で考えるのではなく、体で実践するからこそ、論理的な思考を展開する哲学とは違って、そこに身を投じる「(修)行」になるのです。

「やらないことリスト」を作る(P51)

人を裏切らない、大風呂敷を広げない、ずるいことはしない……。何でもいいのです。自分の感性が受け入れがたいことをリストアップして、それに抵触しないことだったら、尻込みせずに体験してみる。

時間を使い切る(P79)

趙州禅師のことば「汝は十二時に使われ、老荘は十二時を使い切る」
12時は、今の24時間のこと。お前は時間に使われているが、私は時間を使い切っている、という意味。

予定が多少ずれても、取りかかっていることに決着をつけてしまう。時間を使い切るとはそういうことです。

「自分と約束した」と考える(P86)

禅では作務をこう位置づけています。
「人が人であるための基本行為である」
なぜ基本行為かというと、それが「今日これをやろう」という自分との約束だからです。

明日のことは考えない(P109)

今できることを徹底的にやる。一点に集中していれば、脇見もよそ見もしなくてすむ。心が動じないのです。徹すれば、必ず、そこに足跡が残ります。その足跡を実績とも評価ともいうのです。

出し切って生きる(P125)

出し惜しめば能力にも澱みが生じ、生き方も澱んだものになります。惜しまず出し切って清々しく生きる。

「下心」は疲れるもと(P137)

疲れる原因は「嫌われたらいやだな」「仕事ができない原因なんて思われたくない」「かっこいいという印象を持たれたい」……。
(中略)
いわゆる「下心」ですが、それがあると「素」とは違った自分を演じなければならなくなります。しかも、一度でも下心が相手に見透かされずに通用してしまうと、ますます“自分らしさ”を押し隠さざるを得なくなる。
禅は「随処快活」、どこにおいても、取りつくろったり、こだわったりすることなく、自然な自分で、素直な心でいるのがいい、と説いています。

何かにひたりきって、他の一切を“なまける”(P167)

…仕事に忙殺された1日が終わったあと、自宅に戻って少し高級なお茶を入れ、ゆっくりと飲む。「あぁ、うまい!」芳香と深い渋みが全身にしみわたって、心の芯からほぐされる気がする、そんなくつろぎのひとときは、お茶とひとつになって、ゆったりとした時間が流れます。

何かとひとつになっている。スローライフとはそんな時間を持つことではないでしょうか。