毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

「世界一強い女の子」の物語☆☆☆

子どもの頃に読んだ『長くつ下のピッピ』をもう一度読もうと思ったのは、先月放送された「グレーテルのかまど」がきっかけだった。
調べてみると、実は3作目まであることを知った。お正月休みに読めると思ってまとめて借りてみたが、実際読めたのは今年に入ってからだった。



番組で落合恵子さんが、「ピッピは自由には責任が伴うことが、ちゃんとわかっている」と話していた。
それで、読み直す気になったのだ。


子どもの頃、この本はうちにあった。自分で選んだのではなく、親が「子どもに読ませたい本の頒布会」みたいなもので買ってくれた中の1冊だった。
この「頒布会」の中にも、何度も読み返すお気に入りと、ほとんど手に取らない本と、その中間があった。実はピッピは私にとっては“ほとんど手に取らない”本だった。
――あまりいいイメージがなかったので、大人の目で読んだら何か違うことを感じるのかな、と思ったのが再読のきっかけだ。


残念ながら、1冊目は子どもの頃の追体験をしただけ、になった。
ピッピは荒唐無稽で、ひとりで自由気ままに生きている。学校には行かないし、字もあまり書けない。お行儀も(しつけてくれる人が周りにいないので)よくない。
隣の家のお茶会を台無しにしてしまう(本人にまったく悪気はなし)ところなど、目を覆いたくなった。


しかしまあ、子どもの頃と違うのは、この作品が生まれた背景などを知ることができることだろう。
著者・リンドグレーンは、風邪を引いて寝込んだ娘に“長くつ下のピッピ*1の話をして”とせがまれて、この話をしてやったという。娘が喜んで毎日聞きたがるので、どんどん話を作り、のちにこの話を1冊の本にまとめて出版社に送ったのがきっかけなのだそうだ。


確かに、子どもがふだん禁止されそうなことばかりしている。お菓子をお腹いっぱい食べたり、遠足の時だけ学校に行ったり、ウソをついたり、子供たちは現実ではできないことを本の中で叶えるのかもしれない。
出版された当初、教育によろしくないと怒った教育学者もいたそうだが、子どもは大歓迎、今では自国では知らない人がいないくらい愛されるキャラクターなのだそうだ。


私も、2冊目以降はちょっと気持ちが変わってきた。
ピッピは荒唐無稽だが、心の優しい子だ。隣の家に住むトミーとアンニカという子どもたちはいかにも良家の子女風だが、ピッピと毎日のように遊んでいる。よくお母さんが止めないな、と思っていたが、「あの子はお行儀は悪いが優しい子です」と見守っている姿が書いてあった。

ピッピは自分の力で困っている子どもを助けたり、理不尽な大人達を懲らしめたりする。世界一強い女の子なので、大人を恐れる必要はないのだ。お金だってお父さんのスーツケースにぎっしり金貨があるので、心配は要らない。


ちょっとうれしかったのは、死んだことになっている(でも、ピッピは生きていると信じている)お父さんが2冊目で帰ってくることだ。3冊目にももちろん登場する。


3冊目の解説は、落合恵子さんが書かれていた。

 ピッピ・ナガクツシタこそ、わたしの永遠のヒーロー、従来のヒロイン像を超えたみごとにチャーミングなアンチ・ヒロインである。
(中略)
人生の難問、難題(中略)持ち前の好奇心と知恵と力で、解決する。そういった意味で、ピッピはヒロインを超えた、凛々しくたくましく、チャーミングな女の子だ。
 長い間、大人社会は女の子を女の子らしい女の子……結局、自分の人生を他人まかせにしてしまう……を賞賛し、再生産してきたのだから。そして、男の子もまた、「男の子らしさ」を、物語を通しても押しつけられてきたのだから(P210)。

なるほど。そんな風にも読めるのか。ジェンダーとか、そういうことに敏感だと、そうなるんですね。
私はまったくそんな面を意識せずに読んでしまったが、他の物語で性的な役割を妙に植えつけられないように、子どもが小さい時からこの本も選択肢に加えておくと、これからの時代いいかもしれない。


とにかく、痛快な物語だ。お行儀の悪さに目をつぶれたら、きっと楽しく読めると思う。
ピッピ船にのる』が私は一番面白かった。
※この本のメモはありません

*1:スウェーデン語で「あしながおじさん」をもじった発音になるそうです