先に読んだ『ばななブレイク』や、『サルタヒコの旅』での吉本ばななさん(当時)と細野晴臣さんの対談でたて続けに話題になっていた*1本。
ふたりが絶賛していたので、これは面白そうと思って借りてみた。
…が、想像以上に読むのが困難な本だった。
◆目次◆
まえがき
序文
第1部 教え
わたしの最良の場所
メスカリトとの出会い
ダツラの体験と煙の準備
メスカリトとの再会
トカゲの呪術
ダツラでの飛行
からだが消える煙の体験
メスカリトの教え
もうひとつのトカゲの呪術
カラスへの変身
魂の奪回
第2部 構造分析
実践的秩序
付録A
付録B
解説
訳者あとがき
この本は、「ヤキ・インディアン」というメキシコをルーツとするネイティブアメリカンの男性(ドン・ファンと呼ばれている)に、南米出身の人類学部大学生だった著者が弟子入りして体験したことをまとめたものだ。
著者はある幻覚性植物について調べていて、ひょんなことからドン・ファンと知り合う。著者は当初、ただシンプルにフィールドワークの一環として聞き取り調査をしたいと思っていたが、ドン・ファンは弟子として受け入れる。そして著者が自らの意志で弟子としての修業をやめるまで、断続的に4年間教えを必死に学んだ、その記録だ。
この本が日本で出版されたのは1974年*2、細野さんによれば当時はヒッピーブームで、この本もそういう背景から多くの人に読まれたそうだ。単純に言えば、この本は“何種類かの幻覚性植物の助けを借りて、さまざまな体験をする”ものなので、そういう意味で受け入れられたのかもしれない。
ただ、私が読んでみたいと思ったのは、ばななさんが『ばななブレイク』で“この本を読みこんで、夢の精度が上がってきた”という風に書いていたからだ。明晰夢というのか、内容に意味のある夢、情報が受け取れる夢を訓練で見ることができる、その方法が紹介されているのかと思って読んだのだが、その意味では「ハズレ」だった。
夢のことは何も書いていない。ばななさんは毎日カバンに入れて持ち歩く*3くらい熟読していたそうなので、もしかしたらこの本の内容で、そういうやり方が見出せるのかもしれないが。
この本には著者以外の「序文」がついている。その中の一文がこの本を言い表していると思う。
本書は民族誌であり、同時に寓話でもある(P4)。
手法はあくまで文化人類学のフィールドワークに則っている。しかし内容は、普通の人がそのまま取り入れられるものではない。
ただ、ドン・ファンの言葉や、著者が体験した中に、時折私たちの心に響くものがあるのだ。“寓話”というのは、そういう意味だろう。
たとえば翻訳者あとがきに引用されていたドン・ファンの言葉。
「…ある道を選んでこれはよくないと思ったら、その道をやめる。ある道には心があるし、ある道には心がない。その道を行くことが楽しいと思う時、その道はお前にとって心があるのだ」(P306)。
こんな風に、時々ハッとする言葉がある。
ただ、時々浮かび上がるそんなフレーズを求めるだけでこの本を読み通すのはかなり辛い。
私がこの本で得た一番の教訓は「異文化を完全に理解するのは不可能だ」という現実だった。
20年以上も西洋文化の中で育った著者は、ネイティブ・アメリカンの文化や考え方をそのまま受け取ることができない。いつまでたっても西洋文化の頭でいろいろ質問を続けるので*4、会話が噛み合わずにドン・ファンがイライラしているように見えるシーンもある。
すんなりすべてを受け取れる頭じゃなかったからこそ、詳細な情報が残せたのだとも言えるが、一種の“文化的摩擦”をずっと読み続けるのはかなりエネルギーが要った。
実はこの本、続きがあるのだ*5。その中に『呪術と夢見―イーグルの贈り物』(5冊目)というタイトルがある。
もしかしたらこれが、私の求めている答が書いてある本かもしれないが、そこにたどり着くまでこのエネルギーの消耗に耐えられるか、あまり自信がない。
続編を読むかどうかはこれから考えます。
【参考】
*6
※この本のメモはありません