毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

本当の自分(真我)になるには☆☆☆☆

対談の内容が興味深かったので、図書館にあったこの本を読んでみた。

望月さんの3冊目の著書だそうだが、この本も対談と同様、とてもニュートラルで自然体の言葉で書かれていて、スッと心に入ってきた。

 

◆目次◆
はじめに
第1章 無限の「気」の力で、心と身体を治す
第2章 人生を楽にするヨーガの教え
第3章 瞑想と呼吸法で、ゼロから自分を変える
第4章 旅は最高のエネルギーを与えてくれる
おわりに

日々気功家として、たくさんの人(中には重症の病人も)と向き合っている著者。
治療家としての経験から来る言葉には重みがあった。

たとえば、人によって体質は大きく違うので、合うものも違う。ある人にいいものでも、自分にいいかどうかはわからない。誰に何と言われても自分に合うものを選ぶこと。合わないと思ったらすぐやめる勇気を持つように、と書いてあった。
この何年か、いろんな言葉に振り回されてきた私には耳が痛い。

 

瞑想を行う理由も、著者によれば実にシンプルで意外なものだった。

 ヨーガで瞑想を行うのは、スピリチュアルなものを追い求めるためではありません。逆に「普通」の世界にたどり着くためです(P41)。

私が著者の文章を読みながら「普通の人っぽい」とずっと思っていたのは、ここから来ていたのか、と納得した。

 

また、ヨガの訓練が心の鍛錬にもつながる、として面白い話が紹介されていた。
意志の強さと息を止めていられる時間の長さには相関関係があるという。科学的な実験結果だそうだ。
ある企業の社員を対象に実験したところ、長く息を止めていられる人ほど、営業成績がよかった。つまり、「身体能力や若さ」が息を長く止める必要条件ではなかったのだ。

もちろん、ヨガを続けるうちに、息をこらえる時間は自然に長くなるそうだ。ということは、ヨガで意志の強さを鍛えられる、ということにもなる。

 

また、くり返し「本当の自分=真我」と「身体」は別、「見る自分=真我」と「見られる自分=身体」は違う、と書いてある。それを分けて考えられるようになるのが、瞑想だそうだ。
瞑想によって、「本当の自分=真我」になれるかもしれない。練習してみたい、と思った。

瞑想のごく基本的なやり方も説明されているし、いくつか呼吸法も紹介されていて、試すこともできる。

 

多くの呼吸法では「息を長く吐く」と指導するが、著者は「吐く息に心を留めることができれば、息の長さなど(最初は)どうでもいい」ときっぱり書かれていて、いつも息を長く吐けなくてうまく行かない私はうれしくなった。

 

治療のエピソードも多く、気とはどんなものか、ヨガが目指すものは何か、とてもやさしく書いてあるので、「どういうものか知りたい」という人におすすめです。
私のアクション:「吐く息に心を留める」呼吸法をやってみる

 

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以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。※メモに関してこちらをご覧ください。

いろいろな健康法があっても、とにかく自分の体質に合ったものを選ぶ(P34)

もし自分に合わなかったらすぐにやめる勇気を持つこと。

いいかげんな人が、いちばん元気(P35)

「何かにこだわる心」が体調不良の原因になっていることが多い。「健康法に厳格にこだわる心」によって健康が損なわれている。

大切なのは、常に「当たり前の日常」をありがたく思う心を持って生活すること(P53)

気持ちを深く落ち着けて、「普通」であることをめざす心の持ち方が大切。いつも静かに「普通」を求めて物事を考える習慣をつければ、何もない日常をこの上なく大切に思う気持ちは、自然と湧き上がってくる。

自己実現できないのは、自己実現したい自分がいるから(P58)

自己実現する」という目的を持ってしまうと、何とかしてそれを叶えたいという自我や自意識が生まれ、逆に自己実現の邪魔をするから。
自己実現は、求めて得られるものではない。向こうから「やってくる」もの。自意識を忘れ、何かに夢中になっている時、不意に自分に訪れるもの。

人生に問いかけるのではなく、「人生が自分に問いかけている」と考えてみる(P64)

「人生が何を自分に問いかけているのか」というスタンスを貫くと、「明日にはまた新たな問題が生まれるけれども、それは人生からの問いかけだ」と考えられるようになる。そして問いかけに対し、責任を持って答を出して、1日を生きるようになる。そのやりとりが「生きる意味」であり、死ぬまで毎日続く。

「見るもの」であり続ければ、苦は生まれない(P141)

私たちは「見るもの=自分」と「見られるもの=自分以外」をいつも混同してして、それが苦の原因になっている――。これがヨーガの基本的な考え方。
たとえば、「私は頭が痛い」と言う時、痛いのは自分なのか、それとも身体なのかを混同して、それが苦しみを生んでいる。この場合、痛いのは「頭=身体=自分以外のもの=見られるもの」であって、「真の自分=見るもの」ではない。敷かし両者を同一視することで、単なる頭痛が、本当の「苦」になってしまう。
自分が常に「見るもの=真の自分」だけであり続ければ、「苦」が引き起こされることはない。