家族が借りてきた本。すごいベストセラーになった数年前に読みたいなと思ったが、当然ながら図書館は予約待ちであきらめてそのままになっていた。
いい機会だからと思い、読んでみた。
実は、ヤマザキマリさんの『男性論』に、この本のタイトルを揶揄する言葉があった。“置かれたところで咲くなんてとんでもない、自分が咲ける場所に飛び出すべきだ”というような(すみません、記憶だけで書いています)。それを読んで何だかなあ、と思っていたので*1、これもタイミングだったのかもしれない。
美しさに心洗われるような本だった。
◆目次◆
はじめに
第1章 自分自身に語りかける
第2章 明日に向かって生きる
第3章 美しく老いる
第4章 愛するということ
私は無宗教だが*2、時々キリスト教徒の人がうらやましくなるのは、心のより所として「聖書」があるからだ*3。
この本は、特定の信仰を持たない人に、聖書の代わりに心のより所になってくれる本だと思う。
著者の渡辺和子さんはシスターなので、当然聖書の言葉やキリストのことも出てくる。
しかし、おしつけがましくないし、説教くさくもないのですんなり読める。
問題は、こんな美しく気高い心のありようを見せられると、我が身を振り返って居心地が悪くなることだ。
著者はこの本が出た当時85。人生のかなり先輩だ。そんな人と渡り合うのは無茶なので、いつかこんな風になれたら、と目標にするくらいでいいと思う。
第3章の「美しく老いる」は、人生の先輩の言葉としてありがたく読んだ。「年齢は財産」という言葉は重みがある。ついつい老いに抗おうとする自分を反省した。
著者が大切にしてきた詩や言葉もたくさん引用されているので、文学作品のようだ。
交流のあったマザー・テレサの言葉も心に残る。
手もとに置いて、折に触れて読み返すと心がリセットされそうだ。
まだ読んでいない人は今からでもぜひ読んでみてください。
私のアクション:幸せを他人まかせにせず、自分から動く
以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。※メモに関してこちらをご覧ください。
神に委ねる時も同じ(P20)
神を信頼し、自分もすべきことをしながら、結果については、すべてを御旨(みむね)として謙虚に受け止める自分でありたい。
不平を言う前に自分から動く(P28)
幸せを他人まかせにしてはいけない、自分が積極的に動いて、初めて幸せを手に入れることができるのだ、という真理。
ほほえみかけても無視する人がいたら(P40)
「今の私のほほえみは“神さまのポケット”に入ったのだ」と考える。
まず考え、次に感じ、その後に行動する(P55)
考えるということは、自分と対話すること。
自分自身に語りかけ、次の行動を決めなさい。
「ほほえみ」(P60)
※著者は記載されていません
もしあなたが 誰かに期待した
ほほえみが得られなかったなら
不愉快になる代わりに
あなたの方から ほほえみかけて ごらんなさい
ほほえみを忘れた人ほど
それを必要とする人は いないのだから
ものごとがうまく行かない時に笑顔でいると、不思議と問題が解決することがある(P61)
お姑さんとうまく行かない卒業生が、注意された時に笑顔で「ありがとうございました」と言うようにしたら、関係がよくなった。
不機嫌は環境破壊(P62)
私たちは時に、顔から、口から、態度から、ダイオキシンを出していないだろうか。これらは大気を汚染し、環境を汚し、人の心をむしばむ。笑顔で生きることは、立派なエコ。
「私から歳を奪わないでください。なぜなら、歳は私の財産なのですから」(P100)
迷うことができるのも、ひとつの恵み(P119)
迷った時は、「選択する自由」を与えられたと思ってプラスとマイナスを書き出し、その重みによって決める。
人格(=Person)とは(P134)
自ら判断して、その判断に基づいて選択、決断し、その決断したことに対しては責任を取る。そういう人がパーソンに値する。
右を向けと言われてただ右を向き、ひとりでは渡らないのに、みんなが渡るから赤信号でも渡る。そういう人は人間だが人格ではない。
信頼は98%。あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておく(P139)
この世に完璧な人などいない。心に2%のゆとりがあれば、相手の間違いを許すことができる。
マザー・テレサの言葉1(P146)
「私は神さまとお約束がしてあるの。“フラッシュがたかれる度に、笑顔で応じますから、魂をひとつお救いください”」
ご自分の疲れも、煩わしいフラッシュも、神との交流である祈りのチャンスにして、人々の魂の救いに使ってくださいと捧げていらした。
マザー・テレサの言葉2(P149)
「私たちには偉大なことはできません。しかし、小さなことに、大きな愛をこめることはできるのです」