我々は、過去のトラウマに翻弄されるほど脆弱な存在ではない(P62)
アドラーの思想は「人間は、いつでも自己を決定できる存在である」という、人間の尊厳と、人間が持つ可能性への強い信頼に基づいている。
過去が「今」を決めるのではない(P69)
あなたの「今」が過去を決めているのだ。
「伝えること」はコミュニケーションの入口に過ぎない(P111)
最終的な目標は、「合意の形成」。伝えるだけでは意味がなく、伝えた内容が理解され、一定の合意を取りつけた時、初めてコミュニケーションは意味を持つ。
怒ることと叱ることは同義である(P113)
子供たちの問題行動を前にした時、親や教育者は何をすべきなのか?アドラーは「裁判官の立場を放棄せよ」と語っている。あなたは裁きを下す特権など与えられていない。法と秩序を守るのは、あなたの仕事ではない。
叱責を含む暴力は、人間としての未熟さを露呈するコミュニケーション(P116)
叱責を受けた時、暴力的行為への恐怖とは別に、「この人は未熟な人間なのだ」という洞察が、無意識のうちに働く。
未熟な人間を尊敬することはできない。
ニーバーの祈り(P117)
「神よ、願わくば私に、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを見分ける知恵とをさずけたまえ」
共同体感覚は「身につけるもの」ではなく、己の内から「掘り起こす」もの(P148)
だからこそ「感覚」として共有できる。
アドラー心理学では、人間の抱えるもっとも根源的な欲求は「所属感」と考える(P151)
つまり、孤立したくない。「ここにいてもいいんだ」と実感したい。
「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「私であること」に価値を置く(P153)
「私であること」を認めず、他者と自分を引き比べ、その「違い」ばかり際立たせようとするのは、他者を欺き、自分に嘘をつく生き方に他ならない。
どうすれば本当の所属感が得られるか(P211)
他者に信頼を寄せて、交友の関係に踏み出すこと。われわれは「仕事に身を捧げる」だけでは幸福を得られない。
「私は誰かの役に立っている」という主観的な感覚があれば、すなわち貢献感があればそれでいい(P237)
それ以上の根拠を求める必要はない。貢献感の中に、幸せを見出そう。貢献感の中に、喜びを見出そう。