家族が借りてきた本。
印象派の一員であり、印象派展・全8回に唯一すべて参加した画家で、印象派グループの中でも最年長で温厚な人柄、たくさんの人に慕われていたというのが一般的なピサロ像だろう。
ところが、この本は長年ピサロ研究に携わるフランス人の著書。もっと言えば、ピサロが頼った画商の子孫にあたる人が、ピサロの子孫と一緒に研究してきた成果をまとめたものなのだ。
すごい肉薄ぶりで、こんな本が日本で読めるなんて、と感嘆した。
◆目次◆
第1章 アンティル諸島からパリへ
第2章 印象派の冒険
第3章 印象派から新印象派へ
第4章 最後の住居エラニーと最初の成功
第5章 都市シリーズ
資料篇
ピサロはフランス人ではない。カリブ海のセント・トーマス島の生まれで、終生デンマーク国籍だったそうだ。母はユダヤ人、父はフランス出身のユダヤ教徒だったという。
絵の勉強をするためにフランスに渡り、パリにほど近い農村を中心に絵を描き続けた。
2012年、神戸で開かれたピサロ展*1を見に行って年表も見たので、このくらいの知識はあった。
しかし、40年以上も絵を描き続けた長命な画家の作品を、順を追って見る機会はなかなかない。
この本では、ピサロの画風の変遷について紹介しながら、同時にその人生にも深く触れていく。
さらに、勤勉で非常に筆まめだったピサロは、多くの人に手紙を書いており、その時々に何を考えていたかが手紙を引用することで明かされる。
――という意欲的・立体的な作りで、読みながら混乱することもしばしば。でも、こんな資料を一度に読めるチャンスはそうないので、幸せな混乱かもしれない。
初期の頃のコローに影響された絵から印象派展に参加したあと、新印象派(点描をさらに極めたもの)へ移行したものの、のちにそれをあきらめた回帰したり、という流れがていねいな説明でわかるようになっている。新印象派をあきらめたあとも一部にその手法を残していたり、AからBとある日突然くっきり変わるのではなく、徐々に変わっていくというプロセスがとてもよくわかる。
こういったことは、展覧会で好きに見ているだけではわからない。
読みながら、私が特に好きな時代がどの辺なのかがわかったり、集中してこんな絵を描いていた*2、というピサロの考えや悩みなどにも触れることができ、とても貴重な経験だった。
しかし、同時に「どこまで知っておくことが作品鑑賞にプラスなのか」について考える機会にもなった。
子どもが8人もいて(うち3人は夭折)生活が大変だったとか、お金にならないからと妻が反対したのに5人の息子を全員芸術家にさせたために子どもが30歳を過ぎても仕送りを続けたとか、モネは商才があったから高く絵を売ることができたのにピサロは商売下手で同じ画商に頼るしかなかったとか、生々しすぎる。
今まではまあきれいな絵、と純粋に眺めて楽しめたのが、「この時お金を借りる手紙をあちこちに書いていたのか」、とか「この頃にはもう目が悪かったんだな」とか、「実は政治的には過激な思想の持ち主*3だったんだ」とか、穏やかな風景画をそのまま受け取れなくなりそうだ。
私は正直なところ手紙(最後に資料として紹介されているもの)までは読まない方がよかったかも、と思ったが、家族は「手紙面白いやん」と喜んでいたので、感じ方は人それぞれかもしれない。
とても人間的で、勤勉なピサロ。絵への取り組み方はとても真摯で、多くの人が称賛していたという。
ピサロが大好きな人は、ぜひ一度読んでみてください。
この『「知の再発見」双書』芸術シリーズには膨大な数があり、多くの画家が取り上げられている。ほかの本も読んでみたい。
私のアクション:同シリーズのモネ、レオナルド・ダ・ヴィンチを読む
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