毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

「考える」より「感じる」☆☆☆

4492042059運に選ばれる人 選ばれない人
桜井 章一
東洋経済新報社
2004-02-27

価格 ¥ 1,470
by G-Tools

著者は麻雀の裏の世界で負けなしの神がかりな強さを誇り、「雀鬼」の異名をとる。その後、麻雀を通じて人間力を鍛えることを目的とした「雀鬼会」を主宰、多くの若者を育てている。
私が著者を知ったのは、北京オリンピック直前の特番だった。卓球の平野選手が弟子入りしている麻雀の会、ということで面白おかしく紹介されていた。なんで卓球選手がこの人に指導を求めるのか、面白おかしい番組の演出もあってその時にはあまりわからなかったが、長年勝負師だった哲学があるのかな、という印象だった。


しかし、この本を読んで印象は一変した。元競輪選手で、現在はフィギュアスケートの織田選手などを指導する松本整さんの本と同様、極めた人にしか書けない言葉がたくさんあった。麻雀なんて、と思ったが、どんな世界にも学ぶものはある。

タイトルでわかるように、この本は運について書かれたものだ。しかし、著者は一般的に言われる運の良し悪しとは一線を画した考え方をされている。
中でも極めつけなのが、考えずに感じる、ということだ。刻々と変わる運やツキに遅れないためには、考えていたら間に合わないのだそうだ。このため、雀鬼会では、考える前に切るクセをつけるため、負けても間違っても1秒で牌を切る練習をさせるそうだ。

他にも、自然に学ぶところが多く、人間関係などにも心配りが必要だとするなど、非常にまっとうなことが書いてあった。シンプルに短い言葉で書かれているが、とても説得力がある。

運をよくしたい、という人はぜひ読んでみてください。


以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。

逃げるのではなく戻る選択肢

よさそうに見えても、実際、行ってみたらダメなこともある。ダメだったら引き返したり、別の道を選択する勇気も必要だ。行き詰まると前方に道がないように思うが、逃げるのではなく戻るという選択肢があることを忘れてはいけない。
道を進んでいて別の道が現れたら、選択のタイミングが来たことを感じ取ることが大切だ。そして、同時にそれがいい道か悪い道か識別できる感性も必要だ。自分の力でふだんからよいものと悪いものをきちんと見分けられる人はいい選択ができる。匂いでよい方向がわかるのだ。簡単に言えば違和感があるかどうか。違和感があればそれを感じない道を選べばよい。

運を目標にしない

運を目標にする人には運はやってこず、運を作る素材を日々見つけられる人が「運に選ばれる」。素材とは、運をつかむためにするべき工夫や努力の仕方のこと。

運で大事な3つの要素

運を決定する大事な要素が3つある。人との関係について感じたり考えたりする「相互感」、全体を見通す「全体観」、変化のタイミングをとらえる「時の感覚」、この3つをしっかり踏まえていれば、運やツキの波が感じられるようになる。

運をまねくには

なるべく心を気分のいい状態にしておくことだ。たとえばイヤな人に会ったりすると不快になるが、好きな人と会っていれば気分がよくなり、いいことも起こる。
仕事もそうだ。あまりしたくもないのにただお金儲けになるから働いたり義務感で仕事をしていると、どこかに違和感があるはず。違和感が多いといい運はやってこない。できるだけ違和感のあるものから外れて気分がよくなる方へ行った方がいいのだ。

ちょっとした調子の乱れは、30分で回復する

麻雀をしていてツキがなくなったなと思う時がある。そんな時は動揺せず、基本の動作、基本の心構えをなくさないよう心がける。そうするとだいたい30分でツキを戻すことができる。30分前につかみ損ねたチャンスがまた巡ってくるのだ。円が回って元に戻る感覚だ。
この30分という時間は麻雀に限ったことではなく、他の日常のさまざまなことにも言える。そこにおいても基本の動作、基本の心構えが大事なのは言うまでもない。

情報や知識に頼らない判断力はすべてに応用がきく

情報や知識に頼りすぎると判断が間違いを犯す確率は高くなる。考えれば考えるほど、的を射る勘は鈍くなる。生きとし生けるものは感ずる力をなくすと、生きものとしてのバランスを失う。
的を射る「感じる力」があれば、それはいついかなる種類の判断に際しても臨機応変に使える。

違和感

感じ方には、それが心地よいものか違和感があるかということがひとつの基準になる。違和感があればそこから離れることだが、知識に頼るクセがあると違和感がわからなかったりする。考えないで感じることが非常に大切。

終わったらいったん「チャラ」

私は終わったらいつも、いったんチャラだと考える。終わってしまえば、それまでのプラスもマイナスもすべて関係なくなる。また始まりになるのだから、元へ戻せばいいだけだ。「終わり」はすなわち「始まり」と思えば、いつも新鮮な気持ちでいられる。

平常心は常を大切にする心

人間には日々の暮らしがある。それが「常」であり、「常を大切にする心」が平常心だ。雀鬼流に言うと「準備」、「実行」、「後始末」、「整理整頓」をふだんの生活できちんとすること。

気持ちのいい人になれば運が来る

私は人を不愉快な気分にさせれば、自分の負けだと思っている。人と接する時はいつも人を愉快にさせることや気分よくさせることを忘れないようにしている。
お金や仕事をくれたりしても、その相手がどこか違和感を覚える人や会社なら、それは本当の運にはならない。「イヤな人間や会社だけどお金や仕事をくれるからいいや」というのが今の人の感覚だが、そこでもらう運は持続しない。イヤな気持ちをどこか抱きながら仕事をしてもやる気が起きないし力も出ない。次へつながっていかないのだ。
運をもらいたかったら、気持ちのいい人とつき合うようにすることだが、それだけだと他力本願になってしまう。さらに自分自身が気持ちのいい人になるよう心がけることが大事。

完璧主義は最後に負ける。80%主義が強い

本当に強い人は完全を求めることをしない。弱いからこそ完全に憧れるのだ。
ここで誤解してはいけないのは、「完全主義はダメ=全力を出すな」という意味ではないことだ。80%でやっていくのがいいと言っても、けっして全力でやるなと言っているのではない。
全力を出すのはいい。全力を傾注しても、まだ80%だと思えばいい。物理的には100%でも、気持ちの上では80%でいくのだ。やる時は100%の全力でも、気持ちは80%という余裕を常に持つことが大切。

80%という気持ちの余裕

真面目な人は100%をのぞむが、そもそも100%の完全などありえない。完全主義というのは潔癖主義と同じで一種の病気。自分に対する執着の強さの表れ、すなわち自己愛が強すぎるのだ。力を出し惜しみする80%ではなく、80%という気持ちの余裕をものさしとして持っていればいい。

流れを変えないためには次の備えをする

ひとつのことをするとそのことだけに気持ちがとらわれてしまう人。次の準備までちゃんとする人。この2人を比べると、もし出発点が同じでもその後の運の流れは大きく違ってくる。

苦手意識をなくすと、ストライクゾーンが一気に広がる

苦手なこと、イヤなことに挑戦してうまく行くと、その人にとっては大きな財産になる。それは好きなことをして得るものよりも何倍も大きいのだ。
好きなことをして自分の肥やしになるものを3+3とすれば、苦手なものを克服して何かを得るのは3×3になる。好きなもの、得意なものばかり選んでいると足し算、引き算のレベルでしか変化しないが、苦手なもの、不得手なものに挑戦して克服するとかけ算の世界になる。

自分のした努力にこだわらない

自分の努力について饒舌に語る人がいるが、それは「これだけのことをやったんだ、立派な努力を自分はしたんだ」と言っているようなもの。努力したことを自分の中の勲章にしないで捨ててしまった方がよい。努力したことにしがみついていると、努力によってつかんだ運もやがて去ってしまう。

不安は、時間をかけないのが鉄則

不安には時間をかけてはいけない。これは鉄則だ。不安を考え始めると、不安はどんどん膨らみ、やがて恐怖に変わっていく。恐怖にとらわれた人は自分を失ってしまう。
不安はそこから逃げても消えるものではない。ひとつひとつの不安にひるまず真正面から向かっていくこと、時間をかけないでスピーディーに動いて不安と闘うこと、それが不安を解消するもっとも効果的なやり方だ。

「失敗」イコール「負け」ではない

失敗をちゃんと認める人と認めようとしない人では、仕事でも人生でも大きな差がつく。
失敗をごまかしていると成長しない。失敗は失敗として受け止め、ごまかしという自分に対するウソをつかないこと。ごまかすと同じ失敗がくり返しいつまでも続く。失敗した時にどういう態度をとるかが、失敗を起こしたあとの一番の勝負どころになる。
失敗してもみんなに「オープンに言ってしまおう」というくらいの気持ちでいればいいのだ。失敗したら明るく、失敗は失敗とはっきり認めてしまえばいい。それには素直さと勇気が必要。要は、「失敗」イコール「負け」なのではなく、失敗したあとの姿勢が本当の「勝ち、負け」を決めるのだ。

欲が多いと運を逃す

欲が増えればエネルギーをそれだけ注ぐことになり、しかもすべてが叶うわけではないので欲に振り回される機会が増える。欲が強ければ欲にとらわれてしまうのだ。何かにとらわれて心が硬直すると運はやってこない。
腹8分目と言うが、欲は7分でも6分でも抑えた方がいい。そうすればのこりの3分や4分は心が自由になる。その闊達さが運につながる。

スランプは変化と思う

そうなった時に単純にスランプを「変化」と思えばそこから抜け出すのが早くなる。調子は変化していくものなので、好調もあれば不調もあるのも当たり前と思える。不調やスランプは一種の疲れだ。疲れから回復すればいいんだと思うような気軽さもまた大事かもしれない。

怒りは受けて自分の後ろに抜く

相手の怒りを「面白い」と受けて立つと、スーッと通り抜けてしまう。悪いものを直接受けても、後ろへスルーさせてしまうことができる。受けた後、自分の中に置いておくとカッカしてくるが、「面白いじゃないか」と思って受けとると残らないで抜けていく。

急所を見つけて勝つ

急所を見つければムダな力を使わずに勝つことができる。ムダな力を使わなければ疲れないので、ずっと勝ち続けることもできる。急所ではないところを百回攻めても千回攻めても何も起こらないかもしれないが、急所であればたった一度の攻めで相手が変わるのだ。

運は変わるものととらえていれば、運の波に影響されない

本当の寛容さとは、変化を自分の中に呑み込んでそれと同化し、柔らかくなることから生まれる。

集中力は点でなく、大きな円でとらえる

集中力は点でとらえないで広げていく。本当の集中力とは無限の円だ。一点一点が無数に集まって円となり広がっていくイメージ。川や池で小石を投げ入れた時波紋が広がるあの感覚だ。
ひとつのものにとらわれず、集中力も広げて大きな円にしなければならない。

心と体が一致すると、怖いものはない

心と体が一体感を持っていれば怖いものはない。強さは一体感から来る。一体感があれば流れを敏感に感じ取れる。瞬間に的確な判断をして動ける。
反対に心と体がバラバラで一体感がない時は、物事をうまく運べない。不安が次々と湧いて流れを見失ってしまう。

裏切りではなく変化

裏切られたと思うと腹が立つが、裏切られたと言うより相手が変化したと思うべきなのだ。変化と思えば、「裏切り」ということばは出てこなくなる。
流れがあって変化していくのが世の常だから、今決めたことがすぐ変わることはいくらでもある。人の気持ちが変わるのも自然の現象と同じで当たり前のこと。人も自然の一部。人が変わるのは自然の変化と同じことだ。

イヤな人はかわいそうと思え

違和感があったり、不愉快な気持ちにさせる人は世の中にいくらでもいるが、そういうとをイヤだなと思うと、そう思う自分がイヤになる。そんな時は、その人をかわいそうと思うようにする。「こんな性格になってかわいそう」と思うだけで違和感や不愉快さから救われる。

あきらめなければ突破口は見つかる

強い人は最後の最後まであきらめず、開き直ることをしない。開き直りは、弱い人が最後に取る選択だ。開き直っている人を見ると、「さあ、どこからでも来い」と苦境に勇ましく向かっていくようにも見えるが、実はそこから逃げているのだ。
強い人は、どんなことに対しても正面から向き合う。苦しさも不安もすべて受け入れれば、「今は大変だが、やるべきことをやろう」と覚悟を決められる。そうすることで、不安や焦りでわからなかったことが見えてきて、突破口が開けてくる。