毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

よりよい発想を生むための方法☆☆☆



今まで何冊も紹介している、斉藤先生の本。今回は柔軟な発想を生むための方法“弁証法”がテーマ。
弁証法と聞くと反射的に哲学的でむずかしいと思うが、それは訳語の問題だそうで、日常的なことにも使える方法だという。実際にこの本で展開される弁証法はむずかしくなく、これなら使えそうだと感じた。

AとBというふたつの対立する案があった時、AかBかどちらかを採用するというだけではなく、AB両方を包括した案や、その議論を踏まえてさらによいCという案が出てもよい。
ただ、とかく対立を嫌う日本では少し工夫が必要だという。そのあたりも詳しく書かれているので、すぐ会議などにも使えそうだ。

個人的には、“否定されることに慣れる”というところが一番印象に残った。否定されなければそれ以上の進歩はないそうだ。耳が痛かった。

タイトルからイメージする内容と実際は少し違うと思うので、評価が分かれるかもしれないが、体をからめたワザ化など、著者にしか書けない本だと思う。なかなか斬新なアイデアが出せない人にはお勧めです。打たれ弱いという自覚がある人もぜひ。


以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。

ワザ化する(P17)

たとえば一時期はニーチェに染まりきり、ニーチェの言葉を使い、ニーチェの目で見、徹底的にニーチェ的思考をしてみたらどうでしょう。世の中のいろいろな事象に対して、「ニーチェならこう見る、こう言う、こう考える」ということが自然に身についてきます。それまでの自分とは異なる「自分」が育ってきます。
このように、思考法を自分のものにできるところまで持っていくことを、私は「ワザ化する」と呼んでいます。ワザ化することによって、思考のバックボーンは太くなり、より深く、より広くより多様に考えられるようになっていきます。
これは、私がスポーツや武道をやっていた経験からきています。
スポーツや武道で上達するには、上手な人を外から眺め、そのすごさを解説していても、仕方がありません。単なる評論家にとどまっていては、ダメなのです。上手な人の真似をし、その人の身体感覚の内側に入ることが基本になります。すぐれた人の技術を盗んで、再び自分に戻ってくることで、初めて上達ができます。やがては達人になる可能性も開けていくのです。

呪文化する(P47)

早くレベルアップするためには「呪文化する」のが効果的です。キーコンセプトになる言葉を何回もつぶやくことです。それによって思考のワザを常に意識し、インプットできるようになります。
たとえば宮本武蔵は稽古の時や敵に相対する時、心の中に「無心」という言葉を置いていたのではないでしょうか。
無心は、剣術のワザのキーコンセプトのひとつです。
(中略)
武蔵の「無心」と同様の呪文が現象学にあります。それが「エポケー」です。「判断停止」という意味です。
あるものを見て、たとえば「若い女性向けだ」と思い込んでしまうと、発想は止まってしまいます。「男性にも使える」「ペットにはどうかな」などと発想を広げる必要があります。そのために「若い女性向けだ」という決めつけ、先入観をやめるわけです。これがエポケーです。
判断を停止するだけであり、「思考停止」とは違うことに注意してください。
エポケーは、言葉を換えると「括弧に入れる」ということです。括弧に入れることで、いったん保留し、決めつけないでおくという態度です。「若い女性向け」の「若い女性」を括弧に入れると、「( )向けだ」が残ります。( )にいろいろな言葉を代入することで発想を広げられます。
エポケーは、思い込みや偏見を括弧=( )に入れて保留しようという提案です。

「立ち位置を変える」を呪文化(P94)

世界は立ち位置によって違って見えるのですから、「立ち位置を変える」を呪文化して、どんどん変えてみればいいのです。これまでは思いつかなかったようなアイデアが出るようになります。

体の状態が気分を変える(P109)

現象学でいう「まっさらな気分」で事象に向かうには、思考を支配している気分と、気分を支配している体もまっさらにしておくことです。
(中略)
体の状態が気分を変え、気分が世界のとらえ方も決めていくだけに、日頃から体をできるだけよい状態に保っていくことが大切なのです。

体を柔らかくする(P109)

ちょっとした時間に体を軽く揺さぶって、よどんでいるものをふるい落とすだけでも、体の状態が変わり、ものの見方やとらえ方が変わることを実感できるでしょう。
私は、トイレに行った時、必ず小さくジャンプするようにしています。座って仕事をしていると、どうしても首や肩、肩甲骨のまわりが硬くなるので、そこを柔らかくするためです。それだけのことでも次の仕事へ向かうリフレッシュになります。

体の状態と世界の見え方はつながっている(P111)

世界をまっさらな気持ちで見たいなら、体をリフレッシュさせ、よどみのない気分を保ちましょう。

ノーの方が生産的(P126)

エスでは、話はそこで終わってしまい、対話にならないからです。相手の発言にノーをいうことで初めて話は発展し始めるのです。肯定より否定の方が生産的であるというのが欧米的な考え方であり、弁証法でもあるわけです。
では、日本の場合、ノーを言にうは、どうすればいいのでしょうか。2人の間に信頼関係があることが前提です。それがない場合には殺伐としてくる面があると思います。
信頼関係は、共感の言葉を示すことで確認できます。
たとえば「この案はどうでしょう」と言った時に、いきなり「あり得ない」と言うと、次の対話に進めなくなってしまいます。それより、「いいですね」と共感した上で、「でも、こうアレンジする手もありますよね」みたいな言い可だノーを主張するのが得策です。いわば、イエスから少しずつノーにずらしていく方が日本的と言えます。
このように、共感をベースにした「ずらし」を中心にし、明らかに矛盾する場合はノーを言うというようにします。その場合は「議論の発展のためにあえてアンチテーゼを出したのだ」という了解が、2人にあることが大切です。否定をプラスにするには、その矛盾を手がかりにして、上の次元へと2人でともに上がっていく信頼関係の強さが必要なのです。

否定を避けては進めない(P133)

否定はゴールへの道しるべでもあったのです。否定は壁ではなく、次へと進む足がかり、階段なのです。簡単には乗り越えられないものもありますが、否定があるからこそ、アイデアがよりよいものとなるのも事実です。
すなわち、弁証法的思考法を身につけるには、否定を足がかりととらえる前向きさが不可欠です。

弁証法は矛盾を受け入れることから始まる(P135)

自分にとっての矛盾とは、要するに否定です。それを体を硬くして拒否するのではなく、一度息を大きく吐いて、リラックスして、「否定はむしろ生産的なことなんだ」と快く受け入れるタフなオープンマインドこそが弁証法の基本です。逆に言えば、弁証法を自分のワザにしようと心がけることで、人はタフでオープンなマインドを持つことができるようになります。

無駄なプライドを捨てる(P140)

否定されるとすぐにへこたれてしまうのは、無駄なプライドも影響しています。プライドが、今の自分を守ることになってはいけないのです。誰かに注意されることが、プライドを傷つけられることになっては、弁証法的発展がありません。
何言い割れたことをバネに伸びていけばいいのです。注意されると「プライドを傷つけられた」と感じ、凹んだり、恨みを抱くようになってはいけません。
プライドは「今の自分」にではなく、「伸びていく自分」に対して持つべきものだと思います。現状の自分を守ろうとするのではなく、弁証法的な発展をするプロセスとしての自分にこそプライドを持つべきなのです。

気分と意見を切り離す(P186)

人格と意見を切り離すように、気分と意見も切り離すわけです。言うことは否定的でも、対立的な雰囲気を出さないようにするのが、対立を好まない日本流の弁証法実践術と言えます。