毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

ひらめきの正体に迫る☆☆

ひらめき脳 (新潮新書)
茂木 健一郎
新潮社(2006/4/15)

¥714

この本を読んだきっかけは意外なところから。たまたま昨日紹介した“いただいたアマゾンギフトカードで買います”という本の著者のブログで見かけたものだ。茂木さんの本はかなり読んでいたつもりだったのに、あれまだこんな本があったのか、と図書館で借りてみた。


ひらめきとは何なのか、という基本的なところから、ひらめきが生まれやすい環境を知るために脳のメカニズムにも触れ、最後の方では茂木さんのテーマのひとつと思われるセレンディピティについても紹介されている。「ひらめき」をキーワードに、縦横無尽に書かれた本だ。とにかくわかりやすい本を、という意図で書かれたものなので、話が繰り返されたり、内容が散漫に思ったところもあった。入門書としてはいいかもしれない。個人的には前の方がやや退屈に感じたが、後半、脳の機能が具体的に出てくるところあたりから面白くなった。人によって面白いと感じるところは違うと思うが、誰にとっても興味を持てる章がある本とも言える。


ひらめきは天才などの特別な人にしかないもの、がんばってもなかなか出てこないもの、という印象があるが、それをくつがえす説が興味深かった。ある程度の知識がなければひらめきは生まれないのだそうだ。何も知らない状態ではひらめきようがない。このため、学校の詰め込み教育もある意味役に立っているという。
また、感情と理性の関係性も従来の“感情は悪くて、理性が感情をコントロールする状態がよい”という説は間違いで、両方がバランスよく使えるのがいいそうだ。

他にも、実は「ひらめき」は「ど忘れ」の状態に近い、という話が面白かった。ゼロでもだめ、全部揃っていてもだめ、何かが少し欠落している時にそこを埋めようとしてひらめきが生まれるそうだ。
ここまでわかれば、ひらめきがほしい時にある程度条件が整えられるのではないだろうか。

一般的な脳の常識がくつがえるという意味でも面白い本。脳を上手に使うコツがわかります。


以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。

「ど忘れ」とは(P69)

「ど忘れ」とは不思議なもので、思い出すことができないにもかかわらず、絶対に自分はそれを知っているはずだという認識があります。この感覚は、脳科学では、「FOK(Feeling of Knowing)」と呼ばれます。日本語に訳すと、「既知感」とでも訳すことができましょうか。FOKが成立していて、しかも前頭葉からのリクエストに側頭葉が答を出していない状態、これがつまり、「ど忘れ」の状態です。

教師あり学習」と「教師なし学習」(P111)

私たちはどうしても学習と聞くと、「外から答が与えられて、それを勉強する」という認識があります。脳科学者はそうした学習を「教師あり学習」と呼んでいます。「教師あり学習」では、答が最初から用意されているか、あるいは、自分が何か答を出すとそれが間違っているかどうか、すぐに教えてくれて、それによって自分のふるまいを修正していくことができるのです。
それに対して、ひらめきによって起こる一発学習は、典型的な「教師なし学習」です。「洞察」(インサイト)による学習だと言ってもよいかもしれません。

創造性は「体験×意欲」のかけ算(P117)

「意欲」とはFOKが成り立っている「ど忘れ」の事項を一生懸命思い出そうとしたり、あるいは何となくイメージがある作品を形にしたりというように、脳をエネルギッシュに働かせることを指します。

感情は不確実性に対処するために進化してきた(P141)

感情、生物が生きる上で避けることのできない不確実性に適応するために進化してきたと考えられています。自発的な脳の神経細胞の活動が、感情やそれが作り出す価値のダイナミクスとうまく結びついて働いたときに、不確実性をうまく乗り越えることができます。そして新しいものを生み出すことができると考えられているのです。

理性と感情は一体である(P145)

つまり感情は、理性にコントロールされているのではなく、むしろ理性を支えている。これが、最先端の脳科学の考え方なのです。
感情を支えている古い「爬虫類の脳」も、実際には理性を司る大脳皮質と密接に結びついて働いています。理性が感情を一方的に抑えるというよりも、両者は一体のものとして、手に手をとって機能しているというのが実際のところなのです。理性でも論理でも、使えるものはすべて使う。感情と理性は、一緒になって何が起こるかわからない不確実性に対処してきたのです。

ひらめきは不確実性から生まれる(P147)

不確実性は、人生にとってやっかいなものであることは事実ですが、同時にそれは福音でもあります。ひらめきも、不確実性という背景から生まれてきます。すべてが確定した状況にあるならば、ひらめきは必要ありません。不確実だからこそひらめきが生まれる。

確実と未知のバランスを取る(P158)

いかに、確実な報酬源を利用しつつ、未知の報酬を探索するか。このふたつの行動様式の間のバランスこそが、正解が与えられていない強化学習において、もっとも大切な命題なのです。

ひらめきには必ず理由がある(P165)

無からひらめきは生まれません。ひらめきには必ず理由があるのです。世間では、「記憶すること」や「学習すること」と、「創造的である」ということは、互いに逆のベクトルを向いているように思われていますが、決してそうではなくて、私たちの脳の中では、さまざまなことが密接に結びついているのです。

無意識との対話=言語化(P188)

心理学で「フォーカシング」という技法があります。自分が感じているものに言葉を与えようとする技法です。自分が今持っている感覚をどのように表現するか、その正体は何なのかを考えることです。これが意外とできていない人が多いのです。
(中略)
何かことを成す時、我々はどうしても社会的な評価やしがらみ、過去の固定観念にとらわれがちですが、まだ言葉になっていない自分の内面の感覚にどのぐらいフォーカスできるかが、むずかしいことではありますが重要になってきます。どれくらい自分の感覚に忠実でいられるかが勝負なのです。
(中略)
また、言葉になっていないようなものを言葉にすることは、無意識のものを意識上に引っ張り出すという意味で、ひらめきのメカニズムとも非常に近いものです。

脳を自由に活動させる(P190)

そしてそのためには、先にも触れた「脱抑制」が重要になります。脳というのは何かの目的のためにある特定の働きを強制することがおよそできない器官です。目的を設定して、これを捻出しろといっても脳は従いません。むしろ抑制を取り払い、無意識を支える脳の活動を、自由にさせてやるということがとても重要なのです。
(中略)
スポーツ選手は、人間の脳の働きを熟知しているとも言えます。あまり目的意識でがちがちに固めてしまうのではなくて、リラックスして自分の脳の自発的な活動を最大限活かしてやることがひらめきへの近道なのです。

目的意識を持ち、縛られすぎない(P194)

先ほどにも例に挙げた小柴(昌俊)さんにしても、レントゲンにしても、そもそもは「新しいものを発見するぞ」という強い目的意識があったはずです。だからこそ、セレンディピティと出会えたわけです。目的意識がなかったら、ひらめきを活かすことはできません。
その一方で、パラドキシカルな話になりますが、目的意識に縛られすぎてもいけないのです。自分の目的からはずれるものでも、それが未知との出会いをもたらしてくれるものならば、気づき、観察し、受容しなければなりません。

人生というものは、一瞬のうちに風景が変わることがある(P195)

どんなに人生を見切ってしまったと思っても、自分には未来がないと思い込んでしまっても、絶望に打ちひしがれ、あるいは得意の絶頂にあったとしても、一瞬のうちに、何かとてつもないことが起こり、それまでとはまったく違った風景が見えることがあります。
その点にこそ、人生の最大の希望があり、また時には底知れぬ恐ろしさがあるのです。
私たちの脳は、そのような一瞬のうちの風景の変化に備えて、ひらめきを育み、セレンディピティをつかむためのシステムを用意しています。