毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

「執着しない」ことで人生が開ける☆☆☆

麻雀の裏プロとして20年間無敗の「雀鬼」・桜井章一さんの本。以前読んだ『運に選ばれる人 選ばれない人』もいい本だったが、この本はさらに心に染みた。
ただ、人を選ぶかもしれない。


というのも、私はしみじみいい本だと感激したが、この本を借りてきた家族は「そんなにいい本?」とあまり評価が高くなかったからだ。
私は今年に入ってから仏教の考え方に惹かれ*1、「手放すこと」の大切さを感じているので、桜井さんのことばに共感することが多かったのだが、バリバリがんばっている人にはピンと来ないのかもしれない。


5つの章に分かれているが、第1章の「努力しない」から始まり、すべて「○○しない」が貫かれている。足し算ではなく引き算。研ぎ澄まされた感覚を大切にするために、力を抜くのだという。

たとえば、麻雀の時に大切なのは「牌を持たない感覚」だそうだ。「持つ」意識があると、力が入って自在な感覚を失うのだとか。

現代の常識とされることに疑問を投げかける内容で、行き詰まっている人にはものの見方考え方を変えてくれる本だと思う。生きて行く上で本当に必要なこと、大切なことを教えてくれる。
ぜひ、握りしめているものを手放し、手に入らないものはいったんあきらめ、目の前に壁があったら乗り越えようとせず上に乗っかって、いかに楽しむか、力を抜いて考えてみよう。この本が手伝ってくれます。


以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。

努力しない――力が入ったら疑え(P15)

麻雀にしろ、何にしろ、そこにあったのはいつも「努力」ではなく「工夫」だったと思う。「工夫」があれば何事も楽しくできるのだ。
「努力」をしようとすれば必ずよけいな力が入る。練習して上達を続けるには力が入っていてはダメだ。

持たない――持つほどに不自由になる(P20)

持っている感覚だと、これほど軽くて小さな(麻雀の)牌でも、途端に指先や腕や肩に微妙な力が入る。力が入ると体が揺れる。揺れると体や心の軸がぶれ、いい麻雀が打てなくなる。だから私は持たない感覚で打つのである。

日常も持たない感覚で(P22)

牌を持たない感覚で打つという話は日常のことにも置き換えられる。われわれ現代人は物質的にも精神的にもあまりにも多くのものを持ち過ぎている。持っているものが多過ぎて、自由さを失い、息が詰まったような生き方になっている。
そうなったのもモノにしろ、知識にしろ、持てば持つほどいいと思いこんでいるからにほかならないのだが、実際は逆だ。持って持って放すまいと、ギュッと握りしめているから力がますます入って身動きがとれなくなる。

「引き算」してみる(P29)

「足し算」をする時は、同時に「引き算」もやったほうがいい。引き算というのは足し算的発想を戒めることでもあり、人に何かを譲ったり、与えたりすることでもある。本書で言及している「努力する」とか「求める」とか「計算する」とか「頑張る」なとという行為や発想はすべて足し算の考え方に基づいているが、そんなこともみな引き算で考えてみる。ただこの引き算は正確に言うと足し算の反対の引き算とは違う。それは足すという発想や行為から「力を抜く」ことなのだ。

恨まない――あきらめ上手になる(P31)

自分を恨まないようにするにはどうすればいいのか。それはあきらめがよくなることだと思う。私はよく道場生に「勝負や仕事や人生において逃げたいと思うことがあってもにげるな。簡単にあきらめたりするな」ということを言うが、ここで言うあきらめはまた違うものである。
あきらめないことで恨みがましくなったり、ひねくれたり、卑しくなったりするなら、きれいさっぱりとあきらめた方がいいのである。
(中略)
そんな恨みを抱かないためには、あきらめ上手になることだ。恨みの感情を抱くとたいてい自分を責めるか他人を責める。あきらめがうまい人は自分を責めることもなく他人を責めることもない。

上に乗ってみる(P34)

仕事や人生で現れる壁も超えようとは思わないで、まずは上に乗っかってみればいいのだ。それは、壁となっている問題をとりあえず丸ごと受け入れるということである。乗
っかれば視界が開けてそこからヒントとなる何かが見えてくるはずだ。
(中略)ともかく、壁にぶつかったら、壁の上に乗ってひとまず一息つくことだ。

心と体は表裏一体(P37)

体が柔らかければ心もおのずと柔らかくなるものなのだ。
(中略)
柔らかければ、どんな状況になっても素早く対応できる。つまり、ミスをしても修正が速くなるのだ。硬いとそうはいかない。
(中略)
頑張りすぎると人は息が詰まってくる。それが激しくなるとあたかも息を止めたような状態になる。息を吐くと体も心もゆるむが、息を止めれば体は硬くなる。頑張りすぎている人は息が止まったような硬い体になっている。

賢く見せるのは賢くない(P45)

得すると思って賢く振る舞う人は、結局損をしたりする。賢く上手に振る舞おうとプラスの面だけを出し続けることはしょせんできないのだ。
(中略)
賢く見せることに一生懸命になるといろいろなところで辛くなるが、賢くないダメな面も最初から素直に出しておくと楽である。計算もなく素をそのまま出すと相手はマイナス面も含めて存在そのものを受け入れてくれる。

「負けない」気持ちで(P50)

私は道場で「勝つ」ことを求めず、「負けない」気持ちでやれと言っている。「勝つ」は人が作り出す欲望だが、「負けない」は野生の動物が持っているような本能に近いところからくるものだ。
世の中では「勝つ」ことはいいことだとされているが、この「勝つ」は、「得よう」という欲求と同じで際限がないのである。「勝つ」ことが至上の目的になれば手段を選ばなくなってくるからおのずと仕事でも人生でも卑しく汚いものが入ってくる。
しかし、「負けない」という感覚は自然の本能に近いところからくるものなので、必要以上に相手を攻撃したり、ダメージを与えたりすることがない。「負けない」という気持ちでやれば節度のあるきれいな勝負になるのである。

知識が多すぎるとバカになる(P75)

知識が多いという自信があっても、自分も現実も一向に変わらないなと感じている人は知識の脅迫妄想にとりつかれている可能性がある。
知識は思考の道具であり材料であるが、その道具や材料が多すぎると、思考の作業にムダが増え、生き方がブレてしまったりするのだ。
(中略)
最低限の知識と、それにさまざまな体験や本能をベースにした感性さえあれば、360度回転するような柔軟な思考は可能だと思う。それで充分ではないか。

急がない(P77)

せかされた気持ちで物事をなすと往々にしてミスをするし、たとえミスをしなくても質を伴わない結果になるものだ。それに仕事や用事に自分が支配されているような感じになってきて気分もあまりよくない。
(中略)
せかされる状況を招かないようにするには、仕事を速く楽しくやるコツをつかむことだ。
それにはしかるべき準備をきちんとしておく。そうすればいざその仕事をする段階であわてることはない。さらに仕事そのものも努力してがんばるのではなく、工夫をすることで楽しくする。そうすることができれば仕事は実際、速くなる。

体のセンサーを働かせる(P79)

気持ちはゆったりとしてしても、センサーはいつも鋭敏に開いている状態なのだ。
しかし気持ちがゆったりとしていないと、センサーはブレたり閉じたりする。つまり速く歩くとセンターは機能しなくなるのだ。
(中略)
感覚が立っているとちょっとした変化も鋭くキャッチできる。そうやって常に周囲の変化の流れを敏感に感じていると、自然と思考や体が素早く動くようになってくる。そのことが仕事や用事をすます際にも生きてくるのである。

自分から求めない(P93)

自分から強く求めないのは、ふだんからやるべきことをしっかりやっていれば、おのずと何らかの形になり、それなりの結果が導かれるという思いが根底にあるからである。
自分の中に何かあるとすれば、せいぜい、こうなったらいいかなぐらいのうっすらとした思いである。一瞬思ったら、その後は忘れてしまうような薄い思いである。しかし、そんな感覚でいた方が強く求めるより、いい結果をもたらすのだ。

目標は横に置く(P97)

目標は両脇に置くような感覚がいい。横をふと見ると目標が見えるような感覚。目標を横に置くと目標のために過程をおろそかにするようなこともない。
目標を前に置くと、姿勢が前のめりになって視界が狭くなるが、両脇に置けばそんなことにはならない。余裕を持って目標と伴走できるのである。

裏もあってよい(P130)

木の葉もくるくると表を見せたり裏を見せたりしながら落ちてくる。人もそれと同じだ。表だけの葉っぱがあれば奇妙なのと同じで、表だけで生きようという人間も奇妙なのだ。裏も表もあるのがふつうの人間のあり方である。
(中略)
表だけで生きようとすると、無意識に裏にいろいろなものをため込みすぎてどこかに無理が生じるはずだ。

エネルギーは出し惜しみしない(P166)

楽しくなればエネルギーはまた湧いてくる。
(中略)
だからエネルギーというのは気分が乗らないからといってあまり出し惜しみしない方がいい。エネルギーは出せば出すほど湧いてくるものなのだ。

運に選ばれる人になる(P171)

運は求めればやってくるものではない。やるべきことをちゃんとやっていれば、運の方から選ばれるのだ。
では、やるべきことをやるとはどういうことなのか。いろいろなことがあるが、ひとつには物事の流れをつかんでタイミングを外さないということだ。タイミングを外せば、間抜けになってしまう。タイミングをつかむには思考や知識に頼っていてはダメだ。考えることより感じるという力を大事にすることだ。感じる力があれば、物事の的もはずさなくなる。
また流れをつかむには部分にとらわれない全体観を持つことも欠かせない。さらには自分のことだけをいつも計算し考えていると心のバランスが崩れ、運から見放されて自滅の道を歩みやすい。

運に選ばれるとは、結局日々、どのように生きているかで決まることなのだ。(P172)

*1:宗教としてではなく、哲学に近い形だと思います