毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

“気鋭の物書き”のやり方を盗む☆☆☆

ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法
福田 和也
PHP研究所( 2001/6/2)

\1,250+税
文庫版が出ています。

以前読んだ日垣隆さんの『すぐに稼げる文章術』で紹介されていた、厳選33冊のひとつ。読むのも書くのも量が普通の人とは桁違いだ。どんなやり方をしたらそうできるのか、興味があった。


著者の福田和也さんは著書多数*1で、たくさんの雑誌にも連載を持たれている。時々いわゆるカンヅメになって原稿を仕上げているそうだ。しかも、ジャンルが広く、資料も深く読み込み、現地に足を運ぶという。
そのインプット/アウトプットの方法が紹介されている。ジャーナリズムの世界でプロとして生きていく人には特に役に立つと思うが、そうでなくても、本の読み方・文章の書き方で参考になるところはたくさんあった。書かれている本のジャンルなどからむずかしそうな文章を書く人かな、と思ったが、意外に読みやすかった。もちろん、文体を自由に操れる人だと思うので、この本向けにそういう書き方をされているのだろう。


自分に必要な本をプロセスを経て選ぶ。また何の目的で読むのかをあらかじめしっかり考えておき、読み方を徹底して守る。というのが効率よく本を読む奥義のようだ。また、著者が勧める「むずかしい本の読み方」も面白い。

書き方では特に、インタビューの時に何を書くのか、という話が私には興味深かった。相手の話をメモするのではないそうだ。すでにその時にはどう書くかを考え、必要なことをメモしているのだという。
文章力を鍛える方法として紹介されている「手で抜き書きする」もやってみたら力がつきそうだ、と思った。

他にも手帳の使い方や古書店とのつき合い方、筆記具の話など内容はさまざまだが、私が感じたのは細かいノウハウよりもその根底に流れる心構えのようなものだった。自分なりのスタイルがしっかりとあり、それを大切にしていることが伝わってきた。そして、この本を読めば自分なりのスタイルを作るきっかけになるように思う。


いい文章を書くためのスタイルのひとつがここにある。文章は読みやすいが、中身はなかなか深い。
興味のある方は読んでみてください。


以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。

読む目的をはっきりさせる(P29)

まず、読む前にそのポイント、つまり自分は何のためにこの本を読む、ということを明確にしておかなければなりません。
(中略)
つまり、あなたが、何を狙いとして、その本に対するのか、ということをはっきりと把握していなければなりません。
その目的が、明確になって初めて、その目的を実現するにあたって、最小の努力と労力と予算ですませるにはどうすればいいのか、という「効率」に関する問いかけが、意味を持つのです。

「効率的に読む」場合に最も肝心なことは本を選ぶという段階にある(P32)

読む時間がいくら短縮できても、役に立たない本を読んでいたのでは何もならない。その時間はほぼ完全な無駄になってしまう。
逆に、多少読むのに手こずったとしても、自分に役立つ本に費やすのであれば、それは有益だということになります。

翻訳書は原語を抜き書きする(P73)

翻訳の本についてですが、抜き書きするほど気に入った、あるいは気になる部分は、原書にもあたって、原語でも書いておくのです。
そうすると、訳語でとは違った、より一層の理解が深まりますし、語学の表現の勉強にもなります。
(中略)
全体を読まなくても、自分の深い関心がある部分だけでも、原語で読んでおくと、格段にものごとの理解が進みます。

読むのがむずかしい本の理由(P75)

1.議論の前提がわからない(読者にある程度の予備知識があると前提して書かれているのにもかかわらず、それを読み手が持っていない)。
2.言葉、概念がわからない(文章に出てくる、いろいろな概念なり、固有名詞なりがわからない、あるいはわかるような気がするのだが、どうも判然としない)。
3.論理の筋道がわからない(言葉も、状況もわかるのだが、そこで行われる論理の筋道や、既決に至る手続きが納得がいかない)。
まず、肝要なのは、自分にとって眼前にある本が「むずかしい」のはなぜなのか、ということについて、その「むずかしさ」が上記の1、2、3のどの場合に該当するのかを、検討するということです。
実際には、いくつかのケースが混在している場合が多いと思いますが、とにかく主要な困難がどれかを見極めて、そこから攻略していきます。

1「予備知識がない」場合(P77)

(注:フーコー『言葉と物』が例として挙げられている)
この場合は、「予備知識」を得なければならないわけですね。
(中略)
実際に読むための予備知識を得るためには、まず、『言葉と物』について書いてある、研究所やブックガイド、あるいはフーコーについての記事や伝記などを集めます。
(中略)
ここで、肝心なのは、資料はなるべく読み易いもの、簡単なものを探すということです。
(中略)
なるぺく平易で、親切な記事、資料を読めばよろしい。
(中略)
せいぜい、2、3日で読みこなせる程度の量でいいと思います。
それから、資料を限定すること。
(中略)
そして大事なのは、やはり、メモ、ノートを取っておくことですね。
そのノートは、実際にテキストを読む時には、絶対に役に立ちます。

2「言葉がわからない」場合(P79)

わからない言葉を抜き書きして、それを調べていきます。
その時、翻訳であれば、原著にあたっておいて、原語では何という言葉なのかを調べておいた方がいいでしょう。
言葉の概念の意味を調べる時に辞書、事典を使うのはもちろんですが、その時に原語がわかっていると、検索範囲が大きく広がるからです。あるいは訳者によっては、同じ言葉を別々に訳し分けている場合もありますから、これはとても役に立ちます。
インターネットを使った検索も同じです。
さらに大事なのは、語義についても、調べたらノートに書いておくことですね。

3「論理が頭に入りにくい」場合(P80)

このケースは実はふたつの場合があります。
第1に、論理構造自体はしっかりしているのだが、文章がわかりにくい、あるいは非論理的である、という場合。
第2に、著者の論理自体が混濁している場合。
M・フーコーの場合は同じわかりにくいといっても、第1のケースに入ります…小林秀雄もそうですね。
こういう場合には…段落ごと、文章ごとの分解を、一部分についてやってみることをお勧めします。
(中略)
第2の論理自体が混濁している場合。
一番いいのは、放り出してしまうことでしょう。版元にダメな本を出すなと抗議の葉書を書いて、当の書物は投げ捨てる、売り飛ばす。そんな本とつきあうには、人生は短すぎますから。

「書くコツ」の身につけ方(P91)

まず、「形式」について意識的になること。
(中略)
さらにもうひとつ、今度は「自分」について知っておくこと。
「自分」を知るとは、「自分」の能力と欲求を知っておくということです。
能力というのは、消化と表現ですね。
消化は、情報や資料の消化能力です。
いくらたくさんの資料を集めても、自己の読んだり、整理したりする能力を超えていれば、何にもなりません。
(中略)
その枠を認識していれば、少なくとも資料の海におぼれる心配はなくなります。
(中略)
数字の羅列してあるものはどうも頭に入らないとか、逆に過度に文学的なものは肌に合わない、といった相性についても、認識しておく必要があります。
資料としては一流ものものではなくても、自分が読みやすい形式で書かれたものの方が、自分にとっては効率的であるということは、きわめて頻繁にあることです。
(中略)
自分が余裕を持ってこなせる資料はどの程度のボリュームか、どの類の文章か、ということを知っている、意識しておくことはかなり大事なことです。
どんな貴重な資料でも、読みこなせないのであれば、存在しないのと同じなのです。

自分の「筆力」を知る(P93)

書けるということには、さまざまな要素があります。量的なもの、その速度も関わりますし、全体的な構想力、構成力にも関わりますし、説得力や修辞の問題もある。
いずれにしろ、こうした要素を合わせて、なお読者にとって説得力のある文章を書くということを考えた時に、自分が扱えるのはどういうものか、ということは自ずとわかってくると思います。
(中略)
視点、対象の変化とともに、書き方も物語的に書く、論文として書く、歴史エセー風に自由な語り口で書く、といういろいろなやり方があるでしょう。
そうした、書き方の中で、自分ができるのは、どういう方法なのか。あるいは、自分がやりたいのは、どういう視点からなのか。

大事なのは、何が「必要」なのかを考えること(P95)

情報に接する時に、それを常に考えておくこと。
つまりは、この情報は、資料は、自分に消化できるのか。
消化した上で、自分が書くものに使いこなせるのか。あるいは不可欠なものか。
その問いを常に発しつつ、資料と接することによって、接し、獲得する資料や情報をなるべく必要に近づけることができます。この、必要により近づける、ということが、そのまま「効率」をよくするということにつながります。

スクラップの時のお勧め(P115)

記事を切ったらよく読んで、1行でもメモを書いておくということです。
なぜ、その記事が大事だと思ったのか。その記事のどこに興味を引かれたのか。

インタビュー時のメモの取り方(P126)

全部を書き残すことはしません。
もちろん、被取材者が言うことも書きますが、それよりも私は、そこで「考えたこと」を書いていきます。つまり、話し手の印象とか、雰囲気からはじまって、その話についてどう思うか、その情報の持つ意味は何かということ。
というのは、自分の文章として再構築する時に一番大事なのは、往々にしてそうだからです。
ただ談話があれば、それをそのまま文章に使える、というわけではないのです。

取材前に自作との関わりを考えておく(P129)

自作との関わりを検討しておくことで、どういう談話が、あるいは情報が、自分の仕事には必要なのか、という点をしっかり把握しておけば、いざ書く段階になった時に聞き漏らしたことに気づいたり、あれを聞いておけばよかった、と後悔することが防げるのです(といって、すべて予防することは不可能ですが)。

現場に行く理由(P137)

現場に行く、ということは有り余る情報を、具体的かつ生き生きと読むための手続きなのです。現場の雰囲気に触れることで、自分の枠を脱して、相手に思いをはせることができる。
資料の中に「小高い山」と書いてある。それを私もまた「小高い山」と書くしかないとしても、資料通りに「小高い山」と書くのと、自分で見た山の姿を「小高い山」と書くのとは全然違うのです。現場を経ないで書くのは資料整理の結果ですが、現場を見て書くのは自分としての表現です。

取材時にメモすること(P138)

人と会う時と同様に取材の時にメモをするのは「情報」ではないのです。
本に書いてあること、文書になっていることをメモしても仕方がありません。
逆に言うと、現場では、どうやってこの場所を書こうかな、という意識でいるわけです。

幅を広げる、関心を広げる=未知のものと会う(P206)

ところが、これはなかなかむずかしい。
自分が知悉*2したジャンルの中で、やや目新しいものを見つけることはできても、自分が意識していなかったり、全く関係のない領域について、出会うことはとてもむずかしいことですね。

*1:本のリンクを貼るために検索したら何と170冊以上ありました

*2:=知り尽くしていること