■直観力
中野裕弓さんの本は好きで、何冊か読んでいる。
読書日記は書いていないが、今年の8月に昔読んだ『自分の心を満たす31の方法』を再読し、その中に中野さんが瞑想をすることによって人生が変わった、というエピソードを紹介していたのがきっかけで、中野さんが瞑想について書いた本はないか、探してみた。ヒットしたのがこの本。
図書館で借りて読んでみたが、いわゆる瞑想とはちょっと違うアプローチが新鮮だった。
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瞑想といえば修業とか、行者とか、インドといったイメージがあると思うが、中野さんの提唱する瞑想はとてもシンプル。
宗教っぽいものはちょっと、という人でも抵抗なくできると思う。
簡単に言えば、頭を空っぽにして自分と向き合う時間を作る、というものだ。
瞑想のやり方ももちろん詳しく載っているし、付属CDでは中野さんご自身が誘導してくれる*1。
中野さんご自身は、TM瞑想というものを学ばれたそうだが、「瞑想はあくまでツール」というスタンスが私には心地よかった。
本の後半では「瞑想を続けることでこんないいことがありますよ」という紹介がいろいろある。こんな境地にまで行けるのか、と不思議に思うが*2、いろいろ考えすぎないことで本来の自分になれるのだろう。
むずかしいことは苦手でも、単に頭を空っぽにしたい、心身を休めたいというだけでもこの本の方法ならやってみる価値があると思う。ピンと来た方はぜひ読んでみてください。
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以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。
※もとは「ですます」体ですが、語尾を中心に変えてメモしています。ご了承ください。
「愛着」と「執着」の違い(P45)
「自我=執着」「真我=愛着」
大好き、大嫌いというのもある種の執着。つまり、執着とは感情。一方、「真我」というのは、そういった感情を伴わない。ただし、「愛着」はある。
感情が着脱可能になる(P47)
そうした執着を着脱可能にしてくれるのが瞑想。瞑想が、執着に振り回された感情をリセットしてくれる。
(中略)
感情は動いてかまわない。その代わり、感情は揺れて、戻る、ということを確実にさせてくれるのが、瞑想の最大のメリット。
感情を失うことなく、感情を状況に応じて着脱可能にできるなら、その方がはるかに魅力的。
愛のあるウソは心を込めてつく(P55)
罪悪感を持ってウソをつくのは素人のやること(笑)。心を込めれば方便になる。
直観を信じると決めた以上は、自分で責任を取るしかない(P60)
…「こっちに来ちゃって本当によかったの?」「あっちに行った方がよかったんじゃない?」と、自分で自分を責めても仕方がない。
(中略)
人は、どんなことでも繰り返しやると上手になる。同じように、直観も「信じる→責任を取る」を繰り返すことで上手になる。何度もくり返すうちに、自分のひらめきに自信が持てると同時に、直観力を伸ばすきっかけにもなるはず。
ダライ・ラマ14世のことば(P93)
「これから大切なのは、1人ひとりが毎日自分と向き合う時間を取ることだ」
瞑想を修業ではなくツールとして考える(P98)
…修業と言ってしまうと…楽に、楽しいとは思えない。
反対に私がとらえる瞑想は、精神修養でも自己啓発でもなく、「人生を楽しむためのお役立てツール」だったのです。
毎晩、心のキャッシュレジスターを黒字にしてから寝る(P107)
つまり、マイナス感情ではなく、プラスにしてから休むのだ。…たとえできないことがあっても赤字のままにしておくのではなく、「今日はここまでできた。よかった」と心の収支決算を黒字にしてから寝る習慣をつけている。
自分からシンクロを引き起こす秘訣(P131)
それは「自分がやりたいこと、したいことを強く願ったあとで、それをいったんすべて手放す」というもの。
一度強く願ったら、そのことばかり考えたり、目標達成に向けて必死になって奔走しがち。でもしっかりイメージしたら神様にゆだねるつもりで自分の頭の奥の引き出しに収納して忘れてしまう。それで、目の前のことに没頭していると、思いがけない人から手がさしのべられたり、情報が寄せられたりして、面白いように自分の願望が叶っていく。
本当の「無敵」とは(P162)
強くて敵を倒せることではなく、武器を持って近づいてきた人が戦意消失してしまうこと。
「自分で自分の責任を取る」(P180)
責任を取れば自由になれる。
あなたは「人生に存在している」だけの理由で、大いなる責任を背負っている。つまり、自分が見たり、聞いたり、触れたり、経験するすべてがあなたの責任なのだ。