毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

『しないことリスト』メモ

「しなきゃいけないこと」に追いかけられずに心に余裕を持って生きていくには(P8)

自分の頭で「それは本当に自分に必要なのか」を一つひとつ考えていくしかない。
評価基準を自分の外に置いている限り、他人にあせらされるのは避けられないからだ。

「注意資源」を大切にする(P21)

「注意資源」とは、人間が何かに注意を払うエネルギーのこと。
人間の注意資源は有限。たくさんのものを持つほど、一つひとつの扱いはおろそかになってしまう。

著者が新しいことを始める時に気をつけていること(P34)

1.自分のやりたいことを自分のペースでやる
2.ゆるく外に開いておく

「カッコ悪い」とか「メンツが立たない」を気にしない(P59)

間違えた道を選んでしまった時は、できるだけ早めに引き返した方が傷が浅くすむ。
自分の間違いを認めて引き返す勇気を持とう。

ハンマーシュタイン(ドイツの軍人)の言葉(P68)

「有能な怠け者は指揮官にせよ。有能な働き者は参謀にせよ。
無能な怠け者にはルーチンワークをやらせろ。無能な働き者には一切責任を与えるな」
一番よくないのは無能な働き者で、無能な怠け者よりも悪いとされている。無能な働き者がなぜ悪いかというと、別に何もせずにじっとしていい時でも、やらなくていい余計なことをして事態を悪化させてしまうからだ。

だるさに敏感になる(P73)

「だるいな」「なんかやる気しないな」と思った時点で、それは方向性とかペース配分とか、何かが少しうまく行っていないということなのだ。

自分を大きく見せない(P78)

他人には「こいつはダメな奴だし、変な奴だ」と思われていた方がラクだ。
その方が、「この人はこういうことをやってくれるはずだ」とか「この人に任せよう」みたいな期待を押しつけられずにすむからだ。他人から期待されない方が自分の好きなように行動しやすい。

人に下に見られることを恐れる必要はない(P81)

僕は他人に下に見られることは、まあ当たり前のことなんじゃないか、と思っている。
Aさんにとって世界の中心はAさんなので、僕の存在なんて取るに足りないもの。誰にとってもその人自身が世界の中心だし、自分の自身の価値観が絶対的な基準であるのは当然。
だから、自分が他人の世界の中で取るに足らない存在であったり、他人の価値観でダメな人間であっても気にする必要はない。
他人の評価なんてどうでもいい。自分が自分自身の世界の中でそれなりに自己評価できるかどうかが重要だ。

メモを残す時のコツは「未来の自分は他人だと思う」(P93)

情報を寝かせるためには、いったんすべて忘れてしまって、またあとで続きを再開できるようにメモを残しておくのがいい。

この時、何も知らない他人が見ても理解できるように情報を整理しておく。ふだんからそういう風にメモを作っておくと、自分自身の理解も深まるし、やっていることを他人に引き継ぐ能力も高まる。

あきらめれば人生はラクになる(P154)

自分の頭の中で理想や思い込みを膨らませすぎると、理想と現実のギャップで苦しくなる。
だから、できるだけ正確に現実を認識して、妄想を膨らませすぎないようにしよう。

コンサマトリー的に生きるのが幸せに生きるコツ(P166)

コンサマトリーとは…アメリカの社会学者、タルコット・パーソンズが提唱した概念。日本語では「自己充足的」と訳されることが多い。
「何かの目的のためにそれをするのではなく、それ自体を楽しむ」という概念だ。

コンサマトリーの対義語はインストゥルメンタル(道具的)と呼ばれる。
例)歩くこと
どこかに行くために歩く→インストゥルメンタル
歩くこと自体を楽しむ→コンサマトリー

人生では「今を犠牲にしてがんばる」ことが必要な時もあるが、基本はコンサマトリー的に生きるのが幸せに生きるコツ。

「なんかビミョー」と思ったら、早めに抜けだそう(P171)

他人のペースに合わせる必要はない。惰性に流されず、自分に必要な部分だけつまみ食いするようにしよう。

人の意見を気にしない(P177)

ネットをやっていると、「他人の意見を全部まともに聞く必要はない、というか不可能だ」ということを実感する。
他人というのは、自分の都合で好き勝手なことを言うものだ。人の話を真に受けて自分が失敗したとしても、その人が責任を取ってくれるわけじゃない。結局、自分の人生は自分で引き受けるしかない。

議論を避けるために、ふだんから曖昧な相づちを打つ練習をする(P183)

ややこしい議論になりそうになったら、
「ああ、そうかもしれないですねぇ……、いいんじゃないですか……、ワタシ難しいことはわからないんですが……」
みたいな曖昧な相づちを打っていると、たいていの場合は相手も、
「ああ、コイツに話しても話にならんわ」
とあきらめてくれる。