毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

目からウロコの時間術☆☆☆

夢をかなえる時間術

夢をかなえる時間術

著者は「伊藤塾」という、司法試験合格のための塾を主宰している人だ。なので、例がほぼ全部司法試験に関するものというのが時間術の本としては異色だと思う。しかし、それ以上に新鮮だったのは

「効率性」を追求するだけではなく、「時間の幸福度」を高めること。それこそが、「時間を上手に使う」ことであり、「夢をかなえる時間術」なのだ。

というこの本を貫くコンセプト。「時間の幸福度」という言葉がキーワードだ。

感銘を受けたところをそのまま引用します。

私はよく塾生に、「人生には全て意味がある。何一つ無駄なことはない」と言っている。
たとえ、1年後の司法試験合格のためには関係ないように見える読書も、もっと先にある自分の「夢」――たとえば人の役に立つ法律家になりたいとか――にとって意味のあるものならば、それは決して無駄ではない。むしろ、意味のあることなのだと思う。
それに、一見無駄に見えるおしゃべりの中にも、意味はある。ゆったりとした時間の流れの中でとりとめもなくおしゃべりをする。それが自分にとって幸せな時間であれば、無駄な時間ではなく、とても価値のある時間の過ごし方ではないだろうか。
(中略)
たとえば、「夢」への道のりを最短距離で行きたいと、人は時間を「効率」という観点から見ようとする。世の中の多くの人は、効率的に時を刻む生き方が正しいと思っているものだ。てきぱきと時間を使える人が、仕事のできる人、勉強ができる人、実力がある人だと評される。早く終われば、偉い。一定時間によりたくさんのことができたほうが、すごいというように。
さらには、一般的な時間管理術の本は、どうやったら効率的に時間を使うか、効率性に終始しているような気がする。効率重視の発想をするから「時間がない」というふうに、常に感じてしまう。

でも時間がないことは、そんなに悪いことだろうか?
効率的に生きることが、人生をユタカにすることとイコールなのか?
それが幸せになることなのか?
もっと言えば、それが自分の夢をかなえることなのだろうか?
私たちは、効率を優先するあまりに、本質的なものを見失っているのではないだろうか。

私たちは何のために生きているのか。幸せになるために生きているのではなかったのか。効率的に生きることは幸せになることなのか。「効率的」という物差しだけでは、時間の持つ豊かさに気づけないだろう。やはり、ちょっと見方を変えることが必要である。
つまり、「いかに無駄なく時間を使うか」ということではなく、「いかに幸せに時間をすごすか」という「幸福度」に、時間軸のシフトを変えてみる。すると、自分の満足や幸せ度が格段に高まってくるだろう。
(中略)
「時間の幸福度」を追求する生き方は、おそらくその人が何のために生まれてきたのかという「ミッション(使命)」にも通じる生き方になると思う。
なぜなら、幸福に生きることこそ、じぶんの夢に近づくことであり、夢をかなえるということは、その人に与えられたミッションを果たすことにつながるからだ。
目の前の「効率」に振り回されるのではなく、「時間の幸福度」の高い生き方を追求する。それが、本当の意味で時間を使いこなしている人であり、それこそが夢をかなえる時間術なのである。

本書で繰り返し書いてきたが、時間について、「どう効率的にこなすか」という「時間のノウハウ」を知っているだけでは、夢をかなえることはできない。つまり、何のために効率を上げるのか、何のために時間を使うのかといった「夢」があればこそ、その時間は充実するし、「時間の幸福度」が高まっていく。

効率ばかりを追い求めていると、灰色の男たちに追われている気分になるのかもしれない。とても大事なことを教えてもらったと思う。もちろん、ではどうやって「時間の幸福度」を上げるのか、その方法もたくさん載っている。
姉妹編「夢をかなえる勉強法」もあるようなので、この本も読んでみたい。

以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。

時間に追われる人は、ただ猛烈にそれを消費しているだけ。時間を大切にしていない人である。そして、時間を大切にしていない人は、自分自身の生き方を大切にしていない。自分自身の生き方を大切にせずして、どうして夢をかなえることができるだろうか。
私の人生は試験が終わった後も続いていく。試験の合格発表の日で終わるわけではない。だから私の人生の予定表にあらかじめ「合格」を入れておき、そのあとのことも計画した。
「夢」を持って、その実現のための「夢への時間割」を生きていれば、人生に不満を持つことはないはずだ。だから、いつも「時間がない、忙しい」と嘆いている人は、自分の目標が定まらず、自分の人生そのものに不満を抱いている人なのではないだろうか。
要するに集中力が切れたら、別のことをやればいいだけだったのだ。そして、集中できずに気が散る先を、自分にとってプラスになるようなものに設定しておけばいいのだ。
時間のせいにする人は、同じ間違いをくり返す

「時間がない」が口ぐせの人に共通するのは、言い訳が多いことだ。
「時間がなかったから、できなかった」と言っている人ほど、時間の使い方や勉強法がまずかったり、信念が弱かったりという本当の要因に目を向けるべきだろう。
そもそも、成果につながる要因、失敗する原因はいろいろある。
もし、ある仕事や勉強が思うような成果を上げられなかったのなら、なぜうまくいかなかったのか、その要因がどこにあったのかを自分なりに考えてみよう。いろいろな原因すべてを「時間がなかったから、うまくいかなかった」と時間のせいにしてしまうと、きちんと反省できない。再び同じ間違いをくり返す危険性が大である。

迷ったときは、とにかくどちらかに決めてみる

断れない人は、効果やゴール補を考えず周囲に流されてしまうこともあるだろうが、その原因として「自分の中に価値基準がはっきりしていないこと」もあると思う。
きちんとした自分の「判断の物差し」があれば、どういうときに断ればいいか、迷わないですむ。優先順位をつけるのも早いだろう。
しかし、「自分なりの物差し」を持たない人の方が多いのかもしれない。そういう人はよく判断に迷うので、時間のロスが大きい。
そんなとき私は、「迷ったときは、とにかくどちらかに決めてしまえ!」と言っている。
なぜなら、「その決断が正しいか、正しくないか」ということより、「ぐずぐず迷っている時間のほうがもったいない」からだ。第一、どんなに正しい判断をしても、タイミングを失してしまっては意味がない。とりあえず答を出すことの方が重要なのだ。

どうせ間違えるなら、5秒で間違えろ!

価値基準がないことと関係するが、自分の「特異なこと」と「苦手なこと」が自覚できていないと、時間を無駄に費やしてしまうことが多い。
たとえば、司法試験の択一試験では、60問を3時間半で解かなければならない。3時間半で60問だと、1問3分半の見当になる。
60問の中には当然、「難しい問題」と「簡単な問題」がちりばめてある。だから合格ラインの7割超、正解45問を上回るのは、自分の「得意な問題」と「苦手な問題」を素早く見抜いて、確実に点が取れる「得意な問題」に時間を割り振らなければならない。
最悪なのは、「苦手な問題」に5分も時間を取られて、その上、答が間違ってしまうことだ。だから、「どうせ間違えるなら、5秒で間違えろ」と私は塾生に言っている。
実は、試験に合格するのは、60問全てが解ける人ではない。
全問正解するような完璧な人など、もともと存在しないのだ。そうではなくて、「この問題は時間がかかるか、かからないか」を、瞬時に判断できる人こそが、合格する。「自分の得意」と「不得意」をよく理解できている人の方が、安定して受かるのだ。
このことは、試験以外のことにも同じように当てはまる。
仕事でも同様だ。今小のタイミングで時間をかけてこれを一生懸命やる方がいいのか、それともそれはあと回しにして、得意なことをさっさとやった方がいいのか。全体としての成果はどちらが上か。それを考えられる人は、時間を上手に使える人だ。

「区切り」を意識してメリハリをつける

仕事でも勉強でも、きちんと休みを取って、オンとオフを切り替える「区切り」を設けた方がいい。休みは、その「区切り」にちょうどいい。気分を変えられるし、しきり直せる。2時間やって30分休んでもいいし、1週間やって1日休むのも区切り、半年やって数週間休むのも区切りだ。
その意味では「区切り」は、目標やゴールにもなる。「何時までにこれをやる」とか、「この日までにあれを片づける」と言う目標を設定すれば、効率も上がるだろう。
だから、休みが取れない人はそういう区切りを考えずに仕事をしている。もっと言えば、期限を意識せずに物事を進めている人、と言えるのだ。

全体を見る

私自身がそうなのだが、几帳面な性格の人は、細かいスケジュールを立てすぎるきらいがある。スケジュールを管理するのが好きなのだ。つくっては直し、つくっては直し、スケジュール管理に時間を取られてしまう。
そういうタイプは、スケジュール通りにことが進まなかったとき、ストレスを感じてしまうことが多い。自分が時間を管理するのではなく、時間に管理されてしまっているからだ。スケジュールは悪魔で自分が主体でつくられているわけだから、合わなくなったら、スケジュールの方を臨機応変にどんどん変えればいい。
スケジュールはできるだけ大きく、全体を見渡せることが重要である。「全体像」を見て、「ゴール」を見て、そこに向けて何をやらなければいけないかを把握する。そのためにスケジュールをつくっているのだ。

人にまかせられるものはまかせた方がいい。何でもかんでも自分でやればいいというものではない。まかせ方がうまく行くことだってある。
人には、その人にふさわしい仕事や役割があるのだ。それを、自分が取り上げてやってしまうのは、傲慢ではないだろうか。
うまくいかないときは「オールリセット」ボタンを押す

プランニングをしても、うまく進まないことがある。やるべきことが雪だるま式にどんどんたまってしまって、身動きが取れなくなってしまうのだ。
どんどんたまっていって、やらなければならないことが山のようにふくれあがる。予定との差にうんざりして、モチベーションが下がってしまう。
そこで私が塾生によく言うのは、「一度、オールリセットしろ」ということだ。仕事でも勉強でも、とにかくどこか区切りのいいところで、一度「オールリセット」をする。要するに、できていないことはもう忘れるのだ。「オールリセット」して、ゼロから計画を立て直す。それまでにやり残したことは、ひとまず置くという感覚だ。

夢への「角度」は自分に合っているか?

座標軸の縦軸が「実力」、横軸が「時間」と想像してみてほしい。曲線の先が「ゴール」だ。
自分の実力はゼロなのに、1年で受かりたいというのであれば、出発点からゴールまでがものすごく急角度になってしまう。
その「角度」が自分に合わない可能性がある。その場合は、角度をもう少しゆるやかにするために、目標を先に伸ばして調整しなければならない。

私の場合、予定はだいたい1ヶ月単位で把握している。「この1ヶ月間」のことを考え、そのために「この1週間」で何をすべきか、週単位の予定を確認し、それから「明日」のことを考える。1ヶ月、1週間、そして明日という確認の仕方を大事にしている。
翌日の予定だけしか見ていないと、3日後に締め切りがあるということを直前になって知り、慌てふためくことになる。つねに全体をつかみながら部分を見る発想が必要である。
イデア力が上がる「メモ用紙・雑記帳・付せん」
  • メモ用紙を持ち歩き、思いついたり、感じたり、考えたりしたことは、忘れないうちにメモ用紙に書いて手帳にはさんでおく。
  • パソコンに雑記帳(ワードファイル)をつくっておき、自分の気になったことをランダムに書き込む。整理せずに頭から打ち込んでもキーワードで検索できる。
  • やらなくてはいけないことは付せんに書いて机に貼っておく。外に出るときは、それを手帳に貼り付けて持ち歩く。終わったことはどんどんはがして捨てていけばいいし、記録として残したいときは、手帳の後ろにまとめて貼っておく。
「拘束時間」と「非拘束時間」を色分けする。

毎日の時間悪をつくるとき重要なのは「拘束時間」と「非拘束時間」をはっきり分けることである。
「拘束時間」とは、その名の通り学校の授業やアルバイトなどの自分が拘束されている時間のことだ。「非拘束時間」とは、こうした「拘束時間」以外の全ての時間のことを指す。
時間割を広げ、拘束されている時間には、ブルーのマーカーで色をぬっていく。すると、残りの「非拘束時間」がはっきり見えてくる。それがいわば「可処分時間」、勉強に使える時間である。
こうやって「拘束時間」と「非拘束時間」を可視化することは、思った以上に効果がある。なぜなら、漠然と「時間が空いたら勉強しよう」と思っていても絶対にできないからだ。「可処分時間に相当するところに、やるべき勉強を無理矢理突っ込め」と、私は塾生に言っている。「非拘束時間」を割り出し、そこに何を埋め込んでいくかが勝負の分かれ目と言ってもいい。組み込んでいった勉強時間を、今度は赤のマーカーでぬっていく。すると、拘束時間の「ブルー」と、勉強に使う「赤」の時間のバランスが、はっきりと目で見てわかるようになってくる。まだ色を塗っていない「非拘束時間」が「可処分時間」だ。
私の場合、「拘束時間」である大学の授業の後に、必ず復習時間の赤をセットにしていた。つまり、授業が終わったあとの5分で復習するのだ。そうすれば、大学の期末試験のときに、慌ててよけいな勉強をしなくてすむ。
「復習の5分なんて、別に書かなくても頭に入っていればいいじゃないか」と侮ってはいけない。

たとえ5分であっても、その時間が自分にとって大事な5分なら、きちんと予定として書いておくべきだ。「いつかはやらなければ」と頭でわかっていても、人間は意志が弱い動物なので、結局行動しなくなる。
たかが5分、されど5分。その積み重ねが、夢に近づく一歩となる。
授業を受けたら、その直後の5分間は復習をする。食事をしたら、その後5分で食器を洗う。交通費の精算は、毎日退社する前の5分でやる。出社後の5分は、新しい仕事の構想を練る……。時間が空いたときにやろうと思うのではなく、やるべきことは最初からスケジュール化してしまうことが、確実に計画をこなしていくコツである。
「のりしろ時間」を活用する

「気を抜く」というのは、一本調子で張りつめすぎないということだ。緊張しっぱなしだと、糸が切れる。私とは仕事がいくつも連続するときは、必ず仕事と仕事の合間に気分を変える時間を入れる。それを「のりしろ時間」と呼んでいる。

ブランニングは、いわば「なりたい自分」と「今の自分」のギャップを埋めるために存在している。もし「理想」と「現実」が一致していたら、計画はいらないだろう。よりよく行きたい、より自分を高めたいと欲しているからこそ、人はプランニングするのではないだろうか。
ふだんできない人が本番でうまく行くことはない

試験で集中するためには、当たり前のことだが、ふだんから集中する訓練をしなければならない。今、ダラダラと何も考えずに過ごしている人が、試験の数時間だけ一生懸命考えて答案をあけるわけがない。その瞬間だけに、奇跡が起こるわけはないのである。

「集中力」を高めるには、やはり「準備」が必要である。準備運動もせずに、好きなり最高潮のコンディションにもっていくのは無理な話だからだ。これから勉強や作業をするときには、あらかじめ資料を集めておいたりレジュメをつくっておいたりして、あとは頭を使うだけ、という状態にしておく。準備をしっヵりしておけば、よけいなことを考えずにそのことだけに取り組める。
試験は「よーい、始め!」でとりかかるが、パッと問題を見て解きはじめても、すぐには頭が回転しない。難問か解いているうちにだんだん集中して調子が出てくる。しかしそれでは試験の時間を最大限有効には使えない。
そこで私は塾生に、「よーい、始め!」といわれる前から自分の頭の中で問題を解いていろ、と教えている。つまり、試験開始前、席に座ったときから、簡単な問題を何問か解いている状態にするのだ。バーチャルな世界では、もう問題を解きはじめて、頭を慣らしておく。すでに助走をはじめているので、「よーい、始め!」と言われたときには、パッと加速できるというわけだ。
いい「因」と「縁」の集積が、夢を引き寄せる

すべてがトントン拍子で、恐ろしいほどうまく進んだ。皆で「なぜこんなにうまくいくのだろう」と話し合った。その結論は、「自分たちが正しいことをやろうとしているからではないか。だから何かが後押ししてくれているのだ」ということだった。
私利私欲のためではない純粋な一念、いわば「利他の心」が、道を開いてくれたのだと思っている。
おそらく一定の成果や結果を出す人は、自分の努力ももちろんだが、優しい気持ちをもち、感謝の気持ちを忘れていない人ではないだろうか。

堺屋太一さんは、1日を6時間ずつ、4つの時間に分けているそうだ。「仕事の時間(アウトプット)」と「勉強の時間(インプット)」、それに食事や入浴などの「生活時間」、そして「睡眠時間」だ。
1日の「時間の種類」を、できれば10分単位で細かく書き出してみる。すると、ある時間帯と時間帯の間に「すき間の時間」が見えてくる。すき間の時間を見つけて、それを上手に利用すれば、時間は何倍にも増えるはずだ。
こうやって「すき間の時間」用に、短時間に適したグッズを用意しておくと、ますます時間を有効に使えると思う。
段取り上手は分類上手

ポイントは「内容」で分類するのではなく、「効果」で分類するということだ。何に使うのか、どんな目的で使うのかという「ゴール」を意識しながら分類すると、段取りはうまくいく。

効果的なファイリングボックスの使い方

どうやって分類しようかと迷っている時間がもったいない。分類することが「ゴール」ではない。不都合が生じたら、あとでどうにかすればいいのだ。
一見して分類できないものは、パソコンの「雑記帳ファイル」と同様、とりあえず「雑ファイルボックス」に放り込んでおく。何かアイデアを考えなければならないときは、この「雑ファイルボックス」を引っぱり出すと、意外に役立つ。