毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

やるべきことをやるだけだ

松本整さんの本を読んで、ずっと自分の「勝負哲学」は何なのか考えてきた。ようやく、まだ哲学じゃなくて行動指針のようなものだが、これは私に必要だと思うものが見つかった。それがタイトルの「やるべきことをやる」だ。当たり前のことで、こんなものをスローガンにするレベルなのか、と言われるかもしれないが、どうも私には目の前の小さなことよりも、上の方にある大きなことに関心が行く傾向があるのだ。たとえば、ハードルは手前から飛んで行くものなのに、最後のハードルばかり気にして手前で転ぶようなことをよくやる。なので、それをいつも心がけておけばきっと習慣になるだろうという気持ちもあってこれにした。

先日、落ち込むことがあった。仕事上のことでお客様からご意見を頂いたのだ。お客様の感想というのは貴重だ。ほめ言葉よりもお叱りの言葉の方が長い目で見ればありがたいものだということもわかっている。ただ、内容というよりもその言われようにがっくり来てしまった。正直言って「その言い方はないでしょうよ」と思った。それで怒ったり落ち込んだりぐだぐだしていたのだが、昨日やっと「やるべきことをやればいいや」と思えた。


私の好きな作家・村上春樹さんはよく批評(批判)される人なのだが、以前エッセイで「自分の作品を批評されても自分はそれに関わらないようにしている」ということを書かれていたのを思い出したのだ。村上さんに対する批評は私も以前いくつか読んだが、ファンが読んでも傷ついたり嫌な気持ちになるものが多かったので、ご本人ならもっとダメージが大きいだろうと思う。

その「関わらない」というたとえが面白かった(注・手元に本がなく、記憶で書くため事実と違う場合があります。ご了承ください)。村上さんは比喩をよく使う人なのだが、批評のことを馬糞小屋だとたとえていた。そこに馬糞小屋があったらわざわざ近寄って開けたりしますか?しませんよね。開けたらもっと臭いし大変なことになる。だから、道を歩いていて馬糞小屋があっても「ああ、そこにあるな」と思うだけで足早に通り過ぎる。それだけだ、というような話だったと思う。

誤解があったり明らかに全部を読まずに書かれているような批評にわざわざ釈明したり反論したりしても、おそらくスッキリ解決することはない。だったら触らない方がいいだろう、だから一切それに対して釈明も反論もしないという意味に理解した。

やるべきことは自分なりに一生懸命やっている、でもそれが万人に認められるわけではない、だったらそれはもうしょうがないことだから放っておいて自分はやるべきことをやるだけだ、という姿勢をそれを読んだ時感じたのだ。今私が取るべきスタンスはそれだろう、と思ったら吹っ切れた。


もちろん改善するべきところはあるだろうし、ひとりよがりにならないために第三者の視線は必要だ。だが、勘違いや意図がわからないものをすべて真に受けて足を止めてしまうのはもったいない。私は淡々と自分のやるべきことをこなしていくだけだ。

(本日の投資:50%)興味のある方はこちらの本をどうぞ。
無理なく続けられる年収10倍アップ時間投資法