「笑う脳」の秘密! 伊東 乾 祥伝社 2009-03-19 価格 ¥ 1,575 by G-Tools |
しかし言えることは、この本は「両方知っている人しか書けない」ということだ。
しかも、文章がとても読みやすくてスーッと頭に入ってくる。「むずかしいことをやさしく説明できるのが頭のいい人だ」という表現が正しければ、著者は非常に頭のいい人だと感じた。東大大学院准教授に対してなんて失礼な、と思われるかもしれないが、理系の優秀な人が必ずしも文章を書くのが得意とは限らない。しかし、この本はとても面白く読めた。
タイトルの「笑う脳」とは、人間らしい脳の状態になるのはどんな時か、という研究の結果、「笑っている時」と「動物の赤ちゃんなどのかわいいものを見た時」というところから来ている。人間以外の動物なら他種の赤ちゃんを見た時、「食える」と思うのが当然だが、人間はそうは思わない。それは、人間だけにある高度な脳の働きによるものなのだそうだ。このような状況の時、人間の脳はバランスよく機能が活性化し、また酸素も充分供給されていることがわかってきた。
というのは、人間の脳は建て増し式で、魚やは虫類と同じ機能の脳も存在しているため、バランスよく使わなければ暴走する危険があるのだという。これが著者の言う「脳内動物園」だ。キレたり、パニックになったり、あるいは生理機能が正しく働かなくなる摂食障害なども古い脳の暴走によるものらしい。暴走せずに、必要な時だけうまくコントロールできるようになる=サーカス化が必要だ、と著者は説いている。
また、「恐怖」「不安」によって暴走しやすい脳の仕組みについても触れられている。生き延びるために当然の機能なのだが、「恐怖」や「不安」はまず、「ウサギ型メッセンジャー」が走って古い脳に信号を届けるようになっている。これによって警戒モードになったり、行き過ぎるとパニックを起こすことにもつながる。これに対して、より高度な思考を司る新しい脳・大脳新皮質に情報を届けるのは足の遅い「カメ型メッセンジャー」である。あとで考えたらおかしいと思ったのに、という状況、たとえば振り込め詐欺などは、カメが到着する前にウサギの情報だけで判断してしまうから起こる結果だという。
このように、知識を持ち、ふだんから少し心がけるだけで脳をバランスよく使えるコツが紹介されている。なぜそうなのか、という丁寧な説明もついているので納得しながら読める。情報が多すぎることで起きる「情報の生活習慣病」*2を避けて脳を健康に保つために、ぜひ読んでみてください。
以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。
笑う脳のゴールデンルール
1.「ダウト」の習慣をつける
何か強い感情に動かされた時、その自分の感情を見直す、あるいは自分の感情を疑ってみる。
2.自分を「クールダウン」させる気分転換法を持つ
強い感情に教われた時、感情をリセットする自分なりの方法を見つけておく。
3.自分を「チアーアップ」させる自分なりの方法を持つ
リラックスさせる。ただしこのリラックスは落ち着いて戦略を立てられる脳、カメの理性の元で脳内動物園のメンバーが一致協力して、見事な「サーカス演技」ができるような、心のコンディションを整える意味。
4.「笑う脳」をフルに使って合理的な作戦を立てる
つまり、冷静な戦略を立てること。自分が直面している状況を冷静に捉えて、解ける部分から問題を解決していくと、大半の状況では、本当に困った部分は限られた範囲にしかないことがわかる。解決可能な問題から片付けてゆくという、合理的な方法を活用するのが鉄則。
5.確実なジャンプ
脳をフル稼働する「笑う脳の戦略」で問題に立ち向かっていった時、最後に「小さな解決不能部分」が残る。そこで、間違いなく跳び越すことができ、安全に着地もできる「確実なジャンプ」を跳ぶ意志決定をしなければならない。この意志決定のために、私たちは感情を強く持つ必要がある。アートやスポーツの経験が必要不可欠なのは、この「ジャンプ」を跳ぶ感情のトレーニングができるからに他ならない。
前の4つのルールで問題を追い詰めることができるが、最後に残るジャンプを跳ばなければ、決して問題状況は解決しない。
まず間違いなく跳べるギャップから、確実に跳んでゆく。けっしてうずくまらない。また、無謀なジャンプを「勇気」だと誤解しない。
身の丈にあったジャンプをコンスタントにくり返してゆくのは、無謀なジャンプに1回失敗をして終わるよりはるかにスタミナも必要だし、強い精神力が要求される。「余裕を持って跳べるジャンプ」を地道にくり返していけば、ものごとは確実に好転していく。
現実の問題が困難に見えるのは、その正体がわからないから
世の中の多くのシチュエーションでは、解くべき問題さえ確定すれば、困難はすでに半分解決したようなものだ、とも言われる。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言葉もあるように、正体が見えないから私たちは幽霊やお化けを怖く感じるのだ。