著者はケンブリッジ大学やハーバード大学で日本文学・日本語を教えていた人で、専門は江戸文学だそうだ。著者はアメリカにいながらこの本を書いたので、客観的に日本語やそれを取り巻く技術を考えられたのかもしれない。
今買える本だと漢字や表記が変わっているかもしれないが、読みにくい反面、昔の本だから味わえる格調の高さもあり、日本語は変化しているんだな、という実感が湧いた。何しろ40年近く前の本なので。
全体の構成は頭のウォームアップから始まり、最後の仕上げまで流れに沿って書かれている。
文房具に関する章はさすがに時代遅れ。鉛筆削りは使うなとか、テープレコーダーについて書かれても実用的ではない。個人的には、ダーマトグラフの使い方やカードに抜き書きする方法などは参考になった。
特に勉強になるのは視点、読書、発想あたりだろう。この本を読んでKJ法をちゃんとやってみようかな、と思えた。
また、パラグラフの形態「ピラミッド型」「逆ピラミッド型」を見抜く方法や、そこから派生した英語を理解する方法はとても新鮮だった。これを身につけるだけでも、この本の価値は充分にあると思う。
文体で上品な印象を与える著者が、読者に「気に入ってもらえる形」を提案しているのは意外な印象だったが、“読んでもらってナンボ”的なところがこの本の読みやすさ(文面はとっつきにくいが内容は面白い)にもつながるのかもしれない。エッセーのスタイルなので、気軽に読める。
古典的名著と言っていいと思う。ぜひ続も読みたい。
以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ*1。
ピラミッド型と逆ピラミッド型(P54)
だいたい筆者には文の書き進め方に型があるもので、読みはじめの数ページを気をつけて読めば、その型が見つかるものである。大きく分けてピラミッド型と逆ピラミッド型のふたつの型がある。
ピラミッド型はあまり重要でないことがはじめの方に述べられ、文の終わりにもっとも重要な記述がなされる型である。もうひとつの逆ピラミッド型は、文のはじめに重要な記述が出てきて、先に進むに従って重要度の少ないものが出てくる尻すぼまりの型である。
型がわかれば読むスピードが速くなる(P55)
この型が章にも、節と節との組み合わせの中にもあらわれる。もちろん、個人差があって、ピラミッド型と逆ピラミッド型の混同したものや、同じ筆者でもふたつの型を使いわけたりするけれども、そうそうひとりの筆者にたくさんの変型があるわけがない。だいたいは、パラグラフのはじめと終わりを探せば型がつかめるものである。…本の場合も、気をつけて読めば短時間で型がつかめるものである。この練習をしておいて、本なり雑誌なりを読めば、読むスピードが速くなるし、つまらないものは早いうちに捨ててしまうことができるようになる。
読まなくていい論文の見分け方(P56)
わたくしは、アメリカの学生に「……的」「……性」のたくさん出てくる日本語の論文は読むな、そういう筆者は、たいていはバカである、と冗談でよく言う。むずかしい内容だからそうなる場合は少なく、念入りに考えて書かれていないために……的・……性が多くなるのだと思う。
ブレーン・ストーミング読書(P57)
わたくしは…つまらない雑誌をたくさん買い込んできて2日がかりくらいで徹底的に全ページに目を通すことを時々実行している。何かものを考えていて行きづまった時、また生活が単調に思われてきて抜け出したくなる時、わたくしは新聞売場に出かけて行って、目の触れた雑誌を次々に取り上げて20冊くらい買い集める。買う時、いちいちの雑誌の内容のことをゆっくり考えてはいけない。とにかく、手当たり次第に取り上げるのだ。誌名もロクに見ないくらいにして買う方が効果的である。
(中略)
普通は週末にやることにしてるが、これをみんな表紙から裏表紙まで広告も飛ばさないで読み通す。読むというより眺めるといった方がよいかもしれない。もちろん面白い記事は、その全部を読破する。2日くらいかけてそれが終わった時は、いつも新しいアイディアが生まれているし、行きづまっていた問題を別な角度から眺めることができるようになっているものだ。
ヘンリー・ベッティンガーの“三角測量法”(P63)
ベッティンガーは…方面違いの分野のエキスパートになっている人の例をいくつも挙げている。そして、彼自身の行き方として、測量の言葉を比喩的に使って三角測量法という次の方法を説明している。自分から遠く離れた2点を観測して自分の位置を明らかにする、というつもりの命名である。
(中略)
1.ある日刊新聞をはじめからしまいまで、ざっと目を通す
2.週刊誌、書評、週刊展望誌を読む(時々その種類を変える)
3.自分の分野から、ずっと離れた分野の業界新聞を、これもいつも違った種類のものを選んで読む
4.高級総合雑誌をいろいろ違えて読む
5.学会の専門誌を、題目のほかは何もわからないでも読む
6.書評誌を読み、刺激になりそうだったら書評されている本を買って読む
7.外国の雑誌を読む
8.若い時に読んだ小説・古典を読み返す
9.歴史上の、ある時代または事件を選び、徹底的に調べる
10.雑学者と呼ばれるのを恐れるな
精読の方法(1):黄色でチェックする(P68)
黄色のダーマトグラフで線を引きながら読む。必読の書といわれているものに、黄色いしるしをつけながら読んで、読み返す時にも再びしるしをつける、という作業をくり返すと、著者の論理の運び方、修辞の特徴などがわかってくる。読み返しは、しばらく間をおいてからする方が、時間を置かずに読み返すよりも効果的である。
精読の方法(2):見出しつけ(P69)
…次に、各節ごとにペンなり鉛筆なりで見出しをつける。…見出しをつけるのは、その節の要約をすることであるから、この練習を積めば読書力が増大するし、本の全体を理解する力も強くなる。
精読の方法(3):パラパラ読み返す(P70)
以上のことが終わったら、本を始めから終わりまでパラパラとめくって、見出しだけを見ながら、あるいは黄色の部分だけを見ながら読み返す。べつに一字一句をもれなく読むわけではなく、ただ眺めるようなつもりで、このパラパラを時々実行すると、本の全体に対する理解が深まるように思う。…読み放しにした本と、パラパラをやった本とでは、わたくしに関する限り、非常に違う結果があらわれている。
カードとりの方法(P70)
たとえば、夏目漱石の匂いについての描写を集める目的なら、読みながら関連事項が出てくるたびにカードをとるけれども、その本そのものを勉強することが目的だった場合には、全体をよく読み通して、黄色のしるしが出そろってからカードとりを始めるべきだ、と思う。読みの通らないうちにカードとりをすると余分なものが混入してきてカードが使いものにならなくなるおそれがあるからだ。
特に、リポートや論文を書くために本を読むのなら、全体の見通しができないうちにカードとりを始めると、逆に本の思想の流れが中断されるばかりで、理解そのものもあやしくなってしまう。わたくしは欄外に気のついたことを書き込んでおいて、あとでまとめてカードとりをすることにしている。
英語は逆ピラミッド型(P78)
我々日本人はピラミッド型の文に慣れている。つまり、どうでもよいことから始まって大事な内容は文末の方に出てくる。そのため、日本語を聞く時は、生まれた時から文末に注意を集中するようになっている。
それに対して、英語の方は逆ピラミッド型で、文のはじめに重要な主語・動詞があらわれて、文末に行くにしたがって些末な内容になる。だから、英語に慣れるためには、ヒヤリングの型をピラミッド型から逆ピラミッド型に切りかえねばならない。
そう思って、まずラジオを聞きながら、文の切れ目だけを確認する練習をした。これにある程度慣れてきたら、次に文の一番はじめの語だけを聞き取る練習をする。それができるようになったら、今度は1番目と2番目の語を一緒に聞き取る努力をする。こういう風にして、だんだんと聞き取る語数を増加していった。
全体をとらえる(P81)
その次に、わたくしが気がついたことは、知らない単語が出てくると一瞬ドギマギしてそのあとの文を聞き逃す癖が自分にあることだった。ハッと思ってその単語の意味を考えているうちに、相手の文はどんどん先へ進んでしまう。これを防ぐために、知らない単語があってもかまわずに文を先へ先へと聞いていく練習を始めた。単語のひとつやふたつ知らなくても、これは印刷が悪くて字がかすれている文や活字の脱落した文を読むようなものだし、あるいは調子の悪いラジオを聞いているようなものだ、ということを何度も自分に言い聞かせて、とにかく文の終わりまで聞くことにした。その単語がたとえキーワードであっても、その次の文、次の次の文と聞いていれば、全体をとらえることはできる。
英語を読む時も流れを中断しない(P81)
新しい単語が出てきてもそこで辞書を引かない。少なくともパラグラフ全体は中断しないで読む。それでわからなければ、もう一度読み直す、という風にがんばって、できるだけ辞書を引かない。もちろん、一言一句をゆるがせにせず、辞書を何冊も調べて読むこともできなくはないし、決して悪いことではない。けれども、話を聞いたり本を読んだりする時、思想の流れを中断するのは絶対によくないと思う。特に、日本人の場合、文法はアメリカ人よりずっと知っている人が多く、読む能力は相当に高いのだから、この方法は実行しやすいはずである。
カードとりのコツ(P91)
カードに書かれた内容が一目でわかるようなあだ名をつければよいわけである。ふつう、簡潔な見出しをつける場合、我々は漢語を使って名詞や名詞どめの句を使いやすいが、あとで使う時のことを考えると動詞を使って短い文にしておいた方が能率が上がるものである。
(中略)
なるべく、本文を読まないで内容がわかるようにすればよいわけで、少し長くなってもたくさんのカードを整理する段階で、時間の節約になる。
自分のアイデアを書く時など、見出しだけのカードができても、それでけっこう役立つものだが、この時など短く書きすぎると、あとになって、「はて、何のことを書いたつもりかな」と考え込まなければならない。それに名詞文よりも動詞文の方が、動的な印象を与えるので、カードを繰りながら考えをまとめる時に、頭の働きを刺激する印象が強い。
出所は正確に(P94)
…出所は、正確に、そして書き落としのないように書く。うっかり書き落とした時など、あとで原典にたどり着くまでに、大変苦労するので、予防のために最善の努力をはらうべきだ。本や雑誌から書き抜く時、この場合はページ数を先に書く。…うっかりして本を閉じてしまって、もとのページをもう一度探す、という二度手間をしなければならないことがあるからだ。
受け取りやすい形にする(P131)
どんな場合にも聞き手や読み手に、間違いなく飲み込んでもらうための技術が必要なのである。「良薬口に苦し」とはいうけれども、苦いままよりも色つきの錠剤にして、容器も箱も美しくした方が、飲む方もありがたいし、効き目も増そうというものだ。
「だきこめ」「なめられるな」「のせろ」(P132)
だいたい次の3つの技術に分類できるようである。第1が、読者を自分の味方に引きずり込む技術。第2は、読者の信頼・尊敬を得る技術。第3は、読者を自分のリズムに乗せる技術。
形容詞を削る(P191)
文学作品でも、森鴎外や志賀直哉などの名文章では、形容詞のムダづかいをしていない。三島由紀夫が、「鴎外の文章が古びないのは形容詞が節約されているため」と言っているのは志賀直哉にも共通している。俳句は、美しい・うれしい・かなしい・さびしいなどといった形容詞を用いないで、充分にその感情を表現できるものだが、俳句のように文を書く心がけが必要だ。
自分の考えと引用したものを区別して書く(P202)
学者というものは、自分の知らないことをはっきりと知らないといえるようになった時、はじめて一人前になったと言われるものだ。自信がなければ、知らないとは言いにくい。
(中略)
註をたくさん入れて自他・公私を区別することは、まず、あらゆる方面での、はじめであり終わりである。
*1:漢字・ひらがなの使い分けなど、表記はかなり変えています