このところ、続けて時間術やスケジューリング、手帳に関する本を読んだ。基本的な考え方はそれほど変わらないが、実際のやり方はバラバラ。Aという本でいいと言っていたことがBではまったくダメ、と切り捨てれらていたりする。
たとえば、時間管理に付せんを使うかどうか。
1.積極的に使う。
2.はがれるからダメ。
3.やったことが記録に残らないからダメ。
4.20分以内でできることは付せんに(使い分ける)。
――これでは、読めば読むほど混乱する。
ふと、少し前に文具王・高畑さんが手帳の達人との鼎談で話していたことを思い出した。
“自分が使いたい手帳は、結局自分で作るしかない”そうで、「文具王手帳」なるものが発売されている*1。これは文具王がまったく個人用に作ったもので、はじめは販売することなど考えていなかったそうだ。
本もこれと同じなんじゃないのか、と思った。つまり、どんな本も基本的には著者が「やってみてよかったこと」を書いてあるだけで、人がたくさんいればそれだけやり方もたくさんあるのだ。
「スケジュール管理に付せんを使うのはよくない」と以前読んだ本に書いてあったので、あえてタスク管理に付せんは使っていなかったのだが、最近「待てよ」と思った。
私は付せんが好きだし、そもそも最初にやってみた手帳術は“能率手帳に付せんを貼って管理する”という西村晃さんの方法だったのだ*2。
新しい方法を身につける時、まずはそのままそっくり取り入れるのがよいとされているので、最初は無条件にやってみている。
だが、ある程度その方法がつかめたら鵜呑みにするのではなく、自分に合うものと、それほどでもないものを分けてもいいんじゃないだろうか。
たとえば、5色ペンを使い分ける「手帳セラピー」。色分けをすることはまったく苦にならないしプラスも多いが、「1日1緑」や「1週間未来宣言」を1週間分先に書いておくことは今の私にはピンと来ない。予定がよく変わるので、1週間先のことまで書いても結局意味がなかったりするのだ*3。
それは生活スタイルや手帳に求めるものによって、何がフィットするかが違ってくるということだろう。何もかも本の通りにしようと自分の生活ややり方を変えてしまうのは本末転倒。日々が充実したり、タスクが速く確実にこなせることが本来の目的なのに、その本のやり方をそっくりそのままやることが目的になるのはやっぱりおかしい気がする。
「マニュアル通りにこなす方が考えないですむから楽」とつい思ってしまいがちだが、自分に合う方法は結局自分で作り上げるしかないのだ。先人の知恵を借りるとしても。
そういう視点で本を読んだり取り入れたりしてみよう。どうも私は鵜呑みにしすぎるところがある。意識すると何か変わるかもしれない。