毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

「文章読本」まとめて読んだら見えるもの☆☆

文章読本さん江
斎藤 美奈子
筑摩書房(2002/02)
\1,470

文庫版あり
実家は朝日新聞を取っていた。日曜日、一番楽しみにしていたのが、文芸評論家・斎藤美奈子さん*1の書評だった。本のセレクトも、書いてある内容も、文章そのものも、他の選者とはまったく違っていた*2
朝日を読まなくなって久しいが、文章術の本をいろいろ読むうちに、参考文献としてこの本が上がっていたので懐かしくなり読んでみた。
期待を裏切らない内容と文章だった。

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斎藤美奈子さんはこの本を書くにあたり、ものすごい数のいわゆる“文章読本”を読んでいる*3。ふつうの人はこんな風に読まない。一度に大量に読み、比較することで浮き彫りになる事実が面白い。

実に痛快。こんなに笑えてスカッとする本を読んだのは久しぶりだ。
この本は文章術の本ではなく、著者がいわゆる「文章読本」の山をペンでバッサバッサと斬っていく本だ。
私が読めなかった本多勝一日本語の作文技術 (朝日文庫)』を、「くどい」のひとことで切り捨ててしまったり、あとがきから引用まで遠慮なしに突っ込む。ここまで書ける人はなかなかいない。
というのは、著者は「文章読本」を書く立場にない、と自らを規定しているからだろう。いつか自分も書くかも、と思っていたらここまで「斬り捨て御免」はできない。

斎藤さんによれば「文章読本」はオヤジの勲章なのだそうだ。ここまで俺は評価された、登りつめたというすごろくのあがりのようなもの。
名文を読めといろんな本に書いてあるが、例としてあげている文章はバラバラ。そもそも名文とは何か、という明確な基準がないので結局筆者の好みでしかない。
“これがいい文章”というのも、筆者の職業によって変わっているのだそうだ。新聞記者がいい文章と書いているのは、新聞記事に求められるものだし、小説家や学者、文化人でも同じことだという。
そういう、1冊ずつありがたがって読んでいたら見抜けないことを、斎藤さんはやすやすと切り込んでいく。

文章読本を書く筆者のほとんどは文章を書くプロであり、実はそこにヒエラルキーが存在することも、斎藤さんは暴いている。悪い例として登場するのはほとんどアマチュアの文章だ。そこまでひどい言い方をしなくても、という扱いを受けているのは素人の投書だったりするのだ。
つまり、「文章読本」というジャンルは、“文章のプロ”が“あわよくばプロの世界に入りたい素人”に向けて、上から目線で書いたもの、と定義できる。

 

その後、本の内容は日本語の歴史へと突き進む。時代背景をひもとけば、なぜ文章読本の“開祖”・谷崎潤一郎が「見たまま書け」といい、のちの作者がこぞって反論したのかがわかる。
時代は綴り方全盛、旧かなと新かな遣いの論争も繰り広げられ、その時代時代に応じた説が文章読本で展開されていたことが読み解かれている。
時間軸が明確になることで、「文章読本」の読み方も変わってくるところが面白い。

斎藤さんの結論は「衣装は体の包み紙、文章は思想の包み紙」。
TPOによって変えて当然、かといって誰かに指図されるものでもないし、時代と共に変わるもの。
言われてみれば確かにそうだ。あれ、そんな簡単なことだったの?と拍子抜けしたような気持ちになった。

 

いやしかし、著者の筆力は“ハンパない”。旧かなにこだわった丸谷才一について書かれた一節は完璧な旧かな遣いだし、時代が下るに従ってヒエラルキーの頂点を極めなくても文章読本は書けるようになった、というところではそういうチャラチャラした感じの文章を書いている。こんなに自由自在に文章を操れる人は他にいないのではないだろうか。

さて問題は、この本を読んだあとも文章術の本を読むのかどうか、ということだ。
私など「アマチュアの文章マニア」という、ターゲットのストライクゾーンど真ん中ですから。
金科玉条のようにうやうやしく扱わなくていい、とわかっただけで気楽になれたかもしれない。

軽妙に書いてあって笑いながら読めるが、実はすごい力作だ。
文章術の本に振り回されないよう、文章マニアの方には一読をお勧めします。
私のアクション:文章術をうのみにしない。著者のバックボーンを確認してから読む


以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。

文章界の「中華思想」(P65)

…文章と言えば新聞記者は新聞記事を、学者は論文を思い浮かべる習性がしみついていて、当然と言えば当然であるにしても、それは要するに文章界の「中華思想」というものではないのか、と思ったりするのである。

マチュアの文章マニアは、なぜ片腹痛いのか(P118)

それは彼女らが、文章界のヒエラルキーを疑うどころか無批判に受け入れて、その内部での出世をいじましく画策しているように見えるからだ。組織の論理に忠実なサラリーマン的というか、小役人的というのか、つまり貧乏くさいわけ。

*1:バブル期の有名人・斎藤澪奈子さんとは別人です。ご存じない方には説明がむずかしいのですが、叶姉妹の先駆けのような人でした

*2:もしかしたらページの性質上、取り上げる本はご自身で選んでない可能性もありますね。ふつうの書評ページとは別に中高生向けのコーナーがあり、そこでの斎藤さんの文章が特にイキイキしていたから、それが印象に残っていたのかも。

*3:巻末の参考文献の多さを見ると衝撃を受けます