人生の大先輩の、なかなかに深いことばだった。
人生はよくマラソンにたとえられる。フルマラソンを走ったことはないが、素人でも「100メートル走のペースで走ったらあとで大変なことになる」というのは見当がつく。でも、実際は短期決戦にしていないだろうか。私などはまさしくそのサンプルのようなタイプなので、目次を読んだだけでなるほど、そういう考え方もあるのか、と新鮮に感じた。
いくら強いチームでも、全勝することなんてめったにない。仮にその年ぶっちぎりで勝ったとしても、毎年毎年勝ち続けるのは奇跡に近い。
そう考えたら、人生で負けることはあって当たり前だし、負けたからと言って落ち込むことも、自分を責めることも、やけになることもないのだ。
それに、何をもって「勝ち」「負け」というのか。目の前の勝負に勝ったと思っても、人生をロングスパンで考えたら実は勝ちじゃないかもしれないし、たとえば収入や財産で負けたとしても、その人が本当に幸せだと思えていたら、負けとは言えないのではないか。読みながら、そういうことをいろいろと考えた。
章ごとにテーマが「上手に出世するための負け」「人に好かれるための負け」「悪から身を守るための負け」「妬まれずにトクをするための負け」「幸せを味方にするための負け」と分かれている。これを見ただけでも、負けることで得られるものはずいぶんあるなあ、と思う。
「負けて勝つ」とはこのことか、と思った。考え方を少し変えるだけで、選択肢が広がるのだ。
私たちは小さな頃から競争させられてきた。受験でも、就職でも、人によっては恋愛や結婚でも、他人に勝つことを自分に強要してきたかもしれない。
でも、実は目の前の競争に勝つことが本当にいいとは限らない。
今の子どもたちの、運動会の徒競走でみんなで手をつないでゴールすることがいいとは思わないが、必要のない競争に自分を追い立てることはない。こういうやり方もあるんだよ、と言われると少し肩の荷が下りる。
「品格」「品位」「品がない」ということばもたくさん出てくるので、そのあたりは好みが分かれるかもしれない*1。
時々、お年寄りのお説教じみるところもあるので、その辺は流してください。でも、やはり長年生きてきた人の言葉には説得力がある。最近は自分より若い著者の本を読むことも増えてきたが、たまにこういう本を読むとことばや表現の勉強にもなる*2。
私のアクション:“負けるが勝ち”を口グセにする
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読書日記:『養生の実技』
以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。
人生を短期決戦の連続にしてはならない(P6)
長期にわたる平和主義運動として位置づけていく。
人生に常勝はあり得ない(P23)
負けたのをいつも不本意に思うのは、精神衛生上もよくない。自分で進んで負ける道を選んで負けるのは容易だ。
見栄を張るのは、現在の自分に関して、敗北宣言をしているのと同じ(P81)
見栄を張っても、すぐに見破られる。そうなると、自分の実際のレベルは、見栄を張ったラインよりも下であることが明らかになる。それよりも、ありのままを見せたり言ったりすれば、その控えめな態度は必ずや好感を与える。
すべてのけんかは下品(P137)
自分の品格を保つためには、けんかをしないことだ。…また、人がしかけてきたけんかも、受けて立たないようにする。
…売られたけんかに対しては、自分の名誉にかかわるからといって、血気にはやって買おうとする人がいる。だが、売られたからといって買う必要はない。けんかを売るのは「押し売り」である。