吉本ばなな初のコラム集。
「CUT」という雑誌に約5年間連載していた、「人々について」というコラムを中心にまとめたものだ。
◆目次◆
PART1 ひきつけられる人々
こぼれ話のページ(お礼とあとがきもかねて)
PART2 海外に向けた仕事
PART3 心をゆらす様々なできごと
PART4 短いが熱い!捨てがたいコメント集
本として出版されたのが2000年なので、雑誌に掲載されていたのはおそらくもっと前。取り上げられた人物の写真が載っている記事がけっこうあり、テレビ東京系「カンブリア宮殿」でよく見かける村上龍さんがキリッと若いので、時間の流れを感じてしまった。
こういうコラムやエッセイは、時間が経っても色あせないものと、「こういう時代あったよね」と懐かしむものに大別できると思うが、この本は後者。
私にはとても懐かしかった。
というのも、なぜか昔読んでよく覚えている記事が複数あったからだ。この雑誌自体は読んでいないので不思議だけれど。吉本さんのサイトに載っていたのだろうか。
私は、この頃の吉本さんの文章がとても好きだった。だらだらと何気ないことを書いているようで、時々宝石のようにキラリと真理を言い当てたような言葉がある*1。
まん中に色の違うページがあり、「こぼれ話のページ」として後日談が載っている。ここも、“その後の吉本さん”をうかがわせて面白い。
また、海外の媒体から依頼されたものもいくつか載っている。「翻訳を前提とした文章」を読む機会はめったにないのでとても珍しいと思う。日本語にしては過度に主語が入っているところがあったり、妙に論理的だったり、細かいところまできっちり書いてあったり、興味深かった。
今回初めて読んだ記事で一番印象に残ったのは、PART3の「『ロッキー・ホラー・ショー』まわりの日本人」。
『ロッキー・ホラー・ショー』*2という超人気の映画があり、吉本さんも幼少期に影響を受けたそうで、その好きさ加減は言葉の端々からうかがえる。
欧米では熱狂的ファンが映画館で歌ったり踊ったりして、ライブハウス化していたという。
しかし、ある日映画館で見てみた吉本さん、欧米とのあまりの差に愕然とする。
どうして日本にそのまんま持ってくると……になってしまうのだろう。という話だ(P240)。
ものすごく周りに気を使って書いてあるのが伝わってくるが、その下からふつふつと湧く怒りを感じる*3。
ふだん、なんで欧米でやるとかっこいいことが、日本に持ってくるとひどいことになるのか不思議に思っていたが、とても納得できた。
こんな風に、一見たわいもないような書き方で鋭いことを言ってしまう吉本さんの凄みを改めて思い出した。
ご本人が「初めてのコラムで、今読むとあんまりうまくない」的なことを書かれているが、当時の文章はきっとこの頃にしか書けない切れ味がある。
“誰もが楽しめる”ものではないと思いますが、吉本さんの小説が好きな人なら、読んでみると意外な発見があるはずです。
私のアクション:「自分自身がきらきらしていることしか、他人にしてやれることはない」を心に刻む
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※内田春菊さんとの対談
以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。※メモに関してこちらをご覧ください。
「自分自身がきらきらしていることしか、他人にしてやれることはない」(P17)
人の死に(私たちの考えが及ぶ範囲では)意味なんてない(P31)
宇宙はそんなにわかりやすくはできていない。
人間は仕事だろうが愛だろうが考え方だろうが、「これだ!」というものほど怪しいというシステムになっている(P68)
誰かすごい人に会う時や、圧倒されるような発想に触れる時は、その自分の反応のシステムをチェックするシステムも発達させておくのが大切な基本(P69)
*1:今回下のメモにあるのも、私にとってそういう言葉です
*2:これが一番雰囲気がわかると思います→NAVERまとめ:“キング・オブ・カルト”といえばコレ!『ロッキー・ホラー・ショー』が愛され過ぎ
*3:これには後日談があり、「こぼれ話のページ」では大人になった吉本さんが“ちょっと熱くなって書きすぎたかも”と書かれていたのが印象的でした