毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

幸せになる勇気を持とう☆☆☆☆☆

嫌われる勇気

以前、友人に勧められて買うつもりで書店に行ったものの、ピンと来ずにアドラーの別の本*1を購入した。ただ、この本も一応図書館で予約はしていた(すごい人気でかなりの順番待ち)。

その後、たまたま行った先の本棚にあるのを発見、貸してもらったところ書店の印象とは違い、引き込まれるように読んでしまった。
帯に「人生が変わる!」と書いてあるが、それも大げさじゃないかも、と思えるくらい。

結局何度も読み返したい、と思って本を購入。そのあとに予約の取り消しを忘れた図書館の順番が回ってきて、バカみたいなツイートをしてしまった。
私にとっては、そのくらいインパクトのある本だった。

 

◆目次◆
第1夜 トラウマを否定せよ
第2夜 すべての悩みは対人関係
第3夜 他者の課題を切り捨てる
第4夜 世界の中心はどこにあるか
第5夜 「いま、ここ」を真剣に生きる
あとがき

全編を通して、「青年」と「哲人」の対話形式になっている。青年が哲人の書斎を訪れ、さまざまな疑問をぶつけ、それに対して哲人が答えていく。

時代も場所も一切触れられていないので、初めは古代ヨーロッパかと思いながら読んでいたが、よく考えたらアドラー心理学はおよそ100年前にできた新しいものなので、今の日本と考えて差し支えなさそう。

それもそのはず、この対話スタイルは、アドラー心理学の第一人者・岸見先生が若い頃先生の元を訪ね歩いた姿であり、もうひとりの著者である古賀さんが、岸見先生の書斎に実際に通った姿だからだ。
ただ、もともとギリシャ哲学が専門だった岸見先生曰く、ソクラテス以来の哲学の伝統に則って「青年と哲人の対話」形式にしたそうなので、私が古代の印象を受けたのもそれなりに理由はあるかもしれない。

 

古賀さんがあとがきに書かれているが、10年以上前に岸見先生の著書『アドラー心理学入門』と出合い、人生が変わったそうだ。それで、アドラー心理学関係の本を読みあさっていくうちに、気がついたという。

わたしがもとめていたのは、単なる「アドラー心理学」ではなく、岸見一郎というひとりの哲学者のフィルターを通して浮かび上がってくる、いわば「岸見アドラー学」だったのだ、と(P288)。

岸見先生が哲学者であったことが、アドラー心理学により深みを与えているのだ。
ここが本書の大きなポイントであり、他の著者が扱う類書との違いだろう。

 

青年は、今どきの悩みを抱えている。親から愛されなかったトラウマ、自分の容姿が好きになれない、職場での悩みなどなど。
それを哲人はあっけなく否定する。なぜなら、アドラー心理学フロイト心理学とはまったく違う考え方をしているからだ。「トラウマ」をはじめ、現代の心理学的常識というのは、ほぼフロイトの定義によるものらしい。

アドラー心理学の考え方を身につけて生きていけるようになれば、世の中はとてもシンプルになるそうだ。
自分が変われば、ものの見方が変わり、穏やかに生きられる。

 

フロイト的な考え方で行くと、人には他者に認められたいという気持ちがあるという(いわゆる「承認欲求」)。しかし、アドラーはそれを否定する。「他者に認められたい」という気持ちを持っている限り、自分の人生は生きられない。
タイトルの「嫌われる勇気」とはここから来ている。

アドラー心理学の大きな柱に「課題の分離」というのがある。人の課題と自分の課題を分けて考えましょう、というものだ。
誰かが自分を好きになるか嫌うかはその人の課題であり、自分の課題ではない。「それはその人の課題」と分けて考えられるか。嫌われても仕方ない、という勇気が持てるか。

 

この本では、繰り返し「勇気」という言葉が出てくる。アドラー心理学は勇気の心理学。自分が普通の人であることを認める勇気、他者をそのまま信頼する勇気などが求められる。

 

この本を読むことでアドラー心理学を理解できても、それを実践するには時間がかかる。

哲人 アドラー心理学をほんとうに理解して、生き方まで変わるようになるには、「それまで生きてきた年数の半分」が必要になるとさえ、言われています(P243)。

30歳なら45歳、40歳なら60歳。ずいぶん長い道のりだ。
でも、本当にこの本に書かれたように考え、生きられるのなら、人生は確実にシンプルになり、ラクになる。トライする価値はあると思う。

 

一部太字にはなっているが、ほぼずっと同じ字の大きさが続き、活字がべったり並んでいるので、パッと見た感じは取っつきにくそう、読みにくそうと思うかもしれない。
でも、読んでみたら会話なので案外読みやすい。

また、アドラー心理学独自の用語がかなり出てくるので、いきなりこの本を読むのは大変かなと感じた。私自身は先に読んだ『アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉』で予備知識があったので読みやすいのだ、と思っていたが、あとで読み出した家族によると、予備知識がまったくなくても読めるそうなので、こちらも問題ないようだ。
さすがはベストセラー。

 

アドラー心理学に則って生きるには、自分の人生を自分で引き受ける責任が発生する。外的要因のせいにはできないからだ*2
その勇気がある、勇気を出そうと思えた人は、ちょうど読むタイミングが来ています。
私のアクション:「自己受容」する

 

【参考】ダイヤモンド社書籍オンラインで、『嫌われる勇気』の連載が今も続いています。気になる方はまずこちらからどうぞ。

diamond.jp

 

 

関連記事

book.yasuko659.com

 




以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。※メモに関してこちらをご覧ください。

われわれは過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している(P30)

人生とは誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分。

短所ばかりが目についてしまうのは、あなたが「自分を好きにならないでおこう」と決心しているから(P63)

「劣等感」と「劣等コンプレックス」は違う(P80-82)

劣等感も使い方を間違えなければ、努力や成長の促進剤になる→自分の劣等感を取り除くべく、より前進しようとする。現状に満足することなく、一歩でも前に進もうとする。

「劣等コンプレックス」とは、自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めた状態のこと→例)「私は学歴が低いから、成功できない」
(劣等感なら、「私は学歴が低い。だからこそ、人の何倍も努力しよう」という決心につながる)

アドラー心理学では、それは「成功できないのではなく、成功したくないのだ」と考える。
現実的な努力をしたくない、今の状態を犠牲にしてまで、変わりたくない。つまり、ライフスタイル(=性格のこと)を変える勇気がない。

健全な劣等感とは、他者との比較の中で生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるもの(P92)

誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、これらはいずれも「負け」ではない(P108)

アドラーの掲げる「目標」(P109)

■行動面
1.自立すること
2.社会と調和して暮らせること
■心理面
1.私は能力がある
2.人々は私の仲間である

「人生のタスク」とは(P111)

1.「仕事のタスク」
2.「交友のタスク」
3.「愛のタスク」

われわれは他者の期待を満たすために生きているのではない(P135)

ユダヤ教のことば
「自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるだろうか」

あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」だけ(P147)

その選択について他者がどのような評価を下すのか、これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない。

「自己肯定」ではなく「自己受容」しよう(P227)

自己肯定とは、できもしないのに「私はできる」「私は強い」と自己暗示をかけること。
自己受容とは、仮にできないのだとしたら、その「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進んでいくこと。自らに嘘をつくものではない。
例)60点を取った時
自己肯定→「今回はたまたま運が悪かっただけで、ほんとうの自分は100点なんだ」と言い聞かせる
自己受容→60点の自分をそのまま60点として受け入れた上で、「100点に近づくにはどうしたらいいか」を考える

人間にとって最大の不幸は、自分を好きになれないこと(P252)

アドラーはこれに対し、
「私は共同体にとって有益である」
「私は誰かの役に立っている」
という思いだけが、自らに価値があることを実感させてくれる、とした。

この時、他者貢献は眼に見えるものでなくてもかまわない。
つまり、「私は誰かの役に立っている」という主観的な感覚、すなわち「貢献感」を持てればそれでいい。

自分が「貢献感」を持てていれば、他者からの承認は必要なくなる(P255)

本当に貢献感が持てているのなら、他者からの承認はいらなくなる。わざわざ他者から認めてもらうまでもなく、「私は誰かの役に立っている」と実感できているのだから。
つまり、共同体感覚さえあれば、承認欲求は消える。他者からの承認はいらなくなる。
→すなわち、幸福とは「貢献感」のこと。

*1:アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉

*2:出来事に対してどう受け止めるかは自分なので