その方は『嫌われる勇気』だけでは実践がむずかしい場合はこの本を、と勧めていた。
なかなか面白い本だった。
◆目次◆
監修者まえがき トラブルを引き起こしている「原因」の正体 金森重樹
第1部 「箱」という名の自己欺瞞の世界
第2部 人はどのようにして箱に入るか
第3部 箱からどのようにして出るか
著者としてクレジットされているのは「アービンジャー・インスティチュート」というアメリカの研究所。
この「箱」の概念を使ったセミナーなどを開催している団体だそうだ。
主人公は、念願叶って人気企業に転職した幹部トム・コーラム。就任して1ヶ月経ったある日、専務副社長とのミーティングに向かう。
そこで、副社長は「君には問題がある」と切り出す――。
読者は、本を読み進みながら、トムと一緒に自分の行動にどんな問題があり、どうすれば解決できるのかを学べる。
ここで言う「箱に入る」とは、「自己正当化」のことだ。
人には本来「こうすべき」という高潔な行動規範のようなものがあるという(衝動的に湧き上がるので、「感情」として扱われていることも)。
たとえば、夜中に自分の子ども(赤ちゃん)が泣く声で目が覚めたとする。起きて自分が寝かしつければ、妻を少しでも助けられるな、と思う。
でも、面倒だから結局行動しない(これを、この本では「自分への裏切り」と呼んでいる)。
すると、自分を裏切った自分を正当化する方向に走る、というのだ。妻や周りの環境を責めたり、自分は仕事で疲れているんだから、と言い訳したりする。
その結果、「箱」に入ってしまう。
「自分は正しい、相手が悪い、周囲が悪い」というネガティブスパイラルに入る。自分の正しさを証明し続けることに必死になり、疲れるのだそうだ。
箱に入った結果、相手も箱に入ってしまい、お互いを責め合う不毛な状態に陥る、とも。
途中、会長のケイトや、この箱のシステムを会社に導入した伝説の創業者・ルーも参加し、トムが気づいて変わっていくのを助ける。
次のケイトの言葉が、箱の概念をよく説明していると思う。
…自分の感情に背いていると、自分を正当化するような見方で自分自身を見るようになる。そしてそのイメージを、状況が変わっても持ち続ける。だから状況が変わっても、相変わらず箱の中に入っているわけ。人を人としてまっすぐに見られず、自分で作り出した自己正当化イメージを通してしか見られなくなっているの。相手がその自己正当化イメージを脅かすような動きをすると、脅威だと感じるし、自己正当化イメージを強化してくれる人々のことは、味方だと感じる。そのイメージにとってどうでもいい人々のことは、どうでもいいと見なす。どう見るにせよ、相手は単なる物であって、自分自身はすでに箱の中に入っている(P145)。
結果的に、この2日間でトムは箱から出て問題となったスタッフや、長年関係の悪かった家族と心を通わせることができた。
マニュアルのように、「こうすれば箱から出られます」という方法が提示されているわけではない。
だが、順を追って説明を読み、しくみを理解することで、心境が変わり、自然と今までとは違う行動が取れるようになると思う。
一度出たからといって、誰とでもいつでも箱から出た状態でいられるわけではないし、その必要もないと書いている。自分は箱に入っているのではないか、と疑うことがその第一歩。
読んでいて感じたのは、「自分は間違っていない」と思っている時こそ危険、ということ。「自分は正しい」と思うのは、自己正当化を行っている=箱に入っている証拠だからだ。
アプローチは違うが、心屋仁之助さんの本と似ているところがあるように思った。
どんどん周りとの関係を悪化させ、自分で自分を孤立させていく様子は、まさに箱に入っているのと同じだと思う。周囲が自分の思うように動いてくれない、というのは自己正当化の結果、実は望んでいる状態に陥っているだけなのかもしれない。
「箱とは何か」をうまく説明できないので伝わっていないかもしれないが、「箱に入っている人が陥りやすい状態」というのがグサグサ刺さってきた。
上から目線とか、自分だけが正しいとか、他人に興味がないなど、思い当たる人は多いのではないだろうか。
現代病と言うと大げさかもしれないが、おそらくほとんどの人が何らかの箱に入っていると思う。
「人を人として見ているか?モノ扱いしていないか?」と自問してみて、「かもしれない」と思った方はぜひ読んでみてください。
私のアクション:「自分は間違っているかもしれない」と疑ってみる
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以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。※メモに関してこちらをご覧ください。
こちらが外見上何をしているかではなく、心の中で相手をどう思っているかが問題(P56)
相手はそれに反応するんだから。
相手の名前に関心がない=1人の人間としての相手に関心がない(P72)
名前は、いわば基本的なリトマス試験紙。
重要なのは、箱の外に出ているかどうか(P80)
ハードなことをする場合でも、箱の中にいることもできれば、外にいることもできる。行動が違うんじゃない。ソフトな行動であろうが、ハードな行動であろうが、それをしている自分の状態が違う。
(中略)
重要なのは、ハードな内容を伝える場合にも、箱の外に出たままでいることは可能。
人が他の人々にどのような影響を及ぼすかは、行動よりも深いところにあるものによって決まる(P82)
箱の中にいるか外にいるかが問題。
思いやりがあるように行動していても、心の中でそう思っていなければ相手に伝わってしまう。
自分を裏切る→自己正当化が続くと、箱は自分の性格になってしまう(P139)
私はこれまでずっと、自分の感情に背き続けてきた。…そして自分の感情に背くたびに…自分を正当化するような見方をしてきた。するとやがて、こういう自己正当化のイメージのいくつかが、私の性格になってしまう。それらのイメージは箱となって、私はその箱を、いろいろな場所や状況の中に持ち込むようになる。
自己正当化イメージを持ち歩いていないか疑ってみる(P146)
ある場面で、自分が箱に入っているような気がする一方で、自分の感情には背いていないと感じていたとしよう。その場合、すでに完全に箱に入ってしまっている可能性がある。だから、自分が自己正当化イメージを持ち歩いているんじゃないかと疑ってみるのも、決して無駄ではない。
「箱の中にいる=自分をひどい目にあわせたい」になる(P164)
箱の外にいると、自分がひどい目にあってもまるで得にならない。そんな必要はないんだ。…ところが箱の中にいると、自分がひどい目にあった時にこそ、最も必要としていたもの、つまり自己正当化の材料を手に入れることができる。相手は嫌な奴だった、自分が責めて当然の奴だった、という証拠が得られる。
自分への裏切り(P167)
1.自分が他の人のためにすべきだと感じたことに背く行動を、自分への裏切りと呼ぶ。
2.いったん自分の感情に背くと、周りの世界を、自分への裏切りを正当化する視点から見るようになる。
3.周りの世界を自分を正当化する視点から見るようになると、現実を見る目が歪められる。
4.したがって、人は自分の感情に背いた時に、箱に入る。
5.時が経つにつれ、いくつかの箱を自分の性格と見なすようになり、それを持ち歩くようになる。
6.自分が箱の中にいることによって、他の人たちをも箱の中に入れてしまう。
7.箱の中にいると、互いに相手をひどく扱い、互いに自分を正当化する。共謀して、互いに箱の中にいる口実を与え合う。
箱の外に出たいと思ったら、すでに箱から出ている(P205)
相手のために何かしたいと思うことが、すなわち箱の外に出ることでもある。
(中略)
なぜなら、相手を人間として見ていればこそ、外に出たいと感じることができるんであって、人間に対してそういう感情を抱けるということは、すでに箱の外に出ているということ。
箱の中にいる時に、しても無駄なこと(P220)
1.相手を変えようとすること
2.相手と全力で張り合うこと
3.その状況から離れること
4.コミュニケーションを取ろうとすること
5.新しいテクニックを使おうとすること
6.自分の行動を変えようとすること
自分のことを考え続けている限り、箱の外には出られない(P221)
箱の中に入っている時は、たとえ自分の行動を変えようとしたところで、結局、考えているのは自分のことでしかない。だから、行動を変えてもダメ。
「どうやって箱の外に出たか」は理解できない(P224)
箱そのものが行動よりも深いところにあるので、箱から出る方法も、行動より深いところにあるはず。箱の中にいようが外にいようが、外見上同じことができるということは、逆から見れば、行動だけでは箱の外に出ることはできない。
相手に逆らうのをやめてみよう(P227)
自分を何とかすることで箱の外に出ようとしても、無駄。箱の中にいる時に考えたり感じたりすることは、すべて箱によるまやかしに過ぎない。本当は、箱の外側にあるものに抵抗するのをやめた瞬間、つまり相手に逆らうのをやめた瞬間に、自分が変わり始める。
人は箱の中にいながら、同時に箱の外にもいられる(P229)
誰それに対しては箱の中にいて、誰それに対しては箱の外にいるといった具合に。
これをうまく利用すれば、やっかいな場面でも、箱の外に出ていることが可能になる。
箱の外に出た関係がひとつでもあれば、箱の中にいる時間を減らしたり、箱の中に入ったままだった関係を修正したりできる(P230)
箱の外に出る時の仕組み(P232)
目の前にいる人々が常に持っている基本的な「他者性」、つまり相手は自分とは違う一個の独立した人間であるという事実と、目の前にいるのとは別の人たちとともに箱の外に出ている間に学んだこととが相まって、相手の人間性が、私たちの箱を突然突き通す瞬間がある。
その瞬間に、自分が何をなすべきかがわかり、相手を人間として尊重しなくてはならないということがわかる。
相手を、自分と同様きちんと尊重されるべきニーズや希望や心配ごとを持ったひとりの人間として見始めたその瞬間に、箱の外に出る。
箱の外にとどまり続ける上で肝心なのは、箱の外に出ている時に、自分が他の人に対してなすべきだと感じる、その感覚を尊重すること(P237)
しかし、だからといって、必ずしも感じたことをすべて実行すべきというわけではない。その時にできる精一杯のことをすればよい。
自己正当化を続ける方が大変(P238)
何としても自分を正当化しなくてはならない。
自分は思慮深い人間だとか、高貴な人間だとか、しじゅう自分の徳を見せつけていなくてはならないのだから、これは大変だ。
…手に余るという点では、他の人に対してすべきことよりも、箱の中で自分を証明してみせることの方が、よほど手に余る。
(中略)
箱の外にいる時よりも、箱の中にいる時の方が、はるかにしなければならないことが多く、負担に感じていたはずだ。
自分が箱に入っていると、相手はさらにひどいことを続ける(P247)
いったん箱に入ると、相手をひどい奴だと責めている自分を正当化するためにも、実際に相手がひどい奴でなくては困る。箱の中にいる限り、問題が必要だからだ。
そして、こちらが箱の中にとどまり続ける限り、相手はひどい奴であり続ける。こちらが責めれば責めるほど、相手は責められるようなことをするわけだ。