教養の目的とは何か(P131)
それは寛容になることでしょう。寛容であれば世界が広がるし、人間関係も仕事もうまくいくし、結果として出世する(笑)。そのためには単純な主張をする本ではなく、複雑なメッセージを持ったものを読むべきです。長く生き残っている本ならば、行間から「すべてを信じないほうがいい。この本でさえ」というメッセージが聞こえてきます。
日本人ほど宗教的な民族はいない(P133)
(宗教という言葉に)抵抗があるのは事実でしょう。でもそれは宗教的な生き方をしていることの裏返しでもあるんです。宗教とは言い換えるなら、理性を超えた存在や感情に対する畏敬の念。私は日本人ほど宗教的な民族はいないと思っています。お宮参りも宗教的な行為だし、厄年を気にするのもそう。大晦日にNHK紅白歌合戦を見て、その後『ゆく年くる年』で除夜の鐘を聞くのも、カオスとコスモスを一度に体験する宗教的なイベントといえる。世界的に見て、占いがこれほど氾濫している国は珍しい。血液型も自己啓発もスピリチュアルも、私から見るとすべて宗教的なものを求めている証なんです。
中世神学には「総合知に対立する博識」という格言があった(P148)
断片的な知識を積み重ねたところで、それは単なる博識に過ぎず、総合的な知、つまり「教養」にはならない。断片的な知識をつなげて体系的な「物語」にする能力が必要。