毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

いよいよ「記憶力に頼る生活」は限界

パソコンが壊れた。といってもふだん使っているものではなく、2年ほど前に買った仕事用のいわゆる「ネットブック」。結局ほとんどパソコンは使わずにすませていたので、調子が悪くなっていることに最近気づいた。
あわてて連休前にわが家のパソコン担当の兄弟に電話して状態を伝えたら
マザーボード交換かもなぁ」
と言われた。それなら買い直した方が安くなるんじゃないの?と話していて思い出した。ヨドバシで買う時、5年間保証に加入したような気がする。

調べてみたら加入していた。やれやれ、と思ったがメーカーの保証書がない。連休明けに梅田に行く予定があったので、3連休中に片づけながら探すことにした。


ところが、である。全然見つからないのだ。ふだん、保証書はファイルにまとめて入れている。5年間保証の証書もそこに入っていたのだが、なぜかメーカーの分が入っていない。そのパソコンは前にも充電が一時できなくなったので、その時に出したのかな、と思っていたのだが、見あたらない。3連休中にありそうな場所をしらみつぶしに調べ、ついでにかなり要らないものも処分したが、まったく影も形もない。


そもそも、海外のメーカーでぺらっとしたマニュアルしかなかったし、本当に保証書がついていたのか怪しい、と同梱品をメーカーサイトで調べたり、どんな保証書だったか覚えがないのでイメージがないと探せないと思い、ネットで保証書の画像を探したり*1とすでに悪あがき状態。
見つからない、と兄弟に泣き言をメールしたら
「そもそもメーカー保証はもう切れてるんだし、とりあえず電話しなさい」
という冷静な返事が。それもそうだ、と思って今朝電話したら、1年経っていたら保証書は要りません、との回答だったので修理に出してきた。


無事、受け付けてもらえたので、パソコンに関しては「めでたしめでたし」なのだが、今回のショックは大きかった。「自分の記憶がもはやアテにならない」ことを突きつけられたからだ。

今までもうっすら感じることが増えてきていたが、ここまで正面切って「認めろ!」と言われたようなできごとは初めてだ。
今までたいていの記憶は画像というかイメージで頭に入っていた。たとえば今回のようなことが起こっても、「机のあの辺にあったな」とか「○○した時期に見ていたからこれと一緒にあるはず」というような手がかりが必ず頭にあったのだ。それが今回まったく浮かばなかった。

子供の頃から、ものが見つからない時に母がよく
「頭で探しなさい」
と言っていたのもこの傾向に拍車をかけたのかもしれない。やみくもに探すのではなく、「最後に使ったのはいつ?」「どこで使った?」「持って出た?その時のカバンは?」などと手がかりを先に頭で考えるのだ。

でも、この方法もよく考えたら「記憶している」ことが前提だ。記憶がダメになると何の役にも立たない。


メモをしっかり取ろう。やりかけのまま放置するのはやめよう。維持できる以上のものは処分しよう。そう固く誓った。

*1:何と、オークションの画像にありました!確かにうっすら見たような記憶が…